「体験過程と意味の創造」勉強会
- 2021-12-10
- 今回の目的
- 「まだ言葉になっていないモヤモヤ」が認知においてどのような働きをするのか、を整理した「体験過程と意味の創造」第3章まで前提知識をなるべく要求しない道を引く
- 原著の副題「主観的なものへの哲学的・心理学的なアプローチ」
- よい副題だと思う、まさに主観的なモヤモヤへのアプローチ
ユージンジェンドリン
- 「体験過程と意味の創造」の著者
- Eugene Gendlin - Wikipedia
- Eugene T. Gendlin (1926 – 2017)
- アメリカの哲学者
- 臨床心理学者カールロジャーズの元で学んだ後、哲学の博士号を受けた(1958, シカゴ大学)
- 1962 体験過程と意味の創造
- 後に心理療法の手法[Focusing]と、一般的な思考法[Thinking At the Edge]を生み出した
- Eugene T. Gendlin (1926 – 2017)
- Carl Rogers - Wikipedia
- 1902 - 1987
- シカゴ大学の心理学の教授(1945–57)
- クライエント中心療法の創始者
- “Client-Centered Therapy” (1951)
-
1982年にアメリカとカナダの心理学者422人を対象に行った調査では、歴史上最も影響力のある心理療法家とされた(フロイトは3位)
- のちにPerson-centered therapy - WikipediaやPerson-centered Approach、人間中心アプローチ、と呼ばれるようになる
- デザインにおける人間中心設計とか、教育学における学習者中心とかとの関連は今回は深追いしない
- アブラハム・マズロー(1908-70)と同じぐらいの時代の人
体験過程とは?
- 「体験過程と意味の創造」
- カールロジャーズが心理療法をやる上で実践的に使っていた概念
- ユージンジェンドリンが整理した
- 和訳が堅いが、英語はExperiencing
意味とは?
- 「体験過程と意味の創造」
- いくつかの次元がある
- 言語的シンボル同士の関係
- シンボルと対象との関係
- 例えば「イヌ」というシンボルと「よく街で見かける4本足のアレ」という対称の関係
- これの他に「経験」の次元がある
- なお「体験」と「経験」って訳語が揺れてるけどどちらもExperienceです
- 経験の次元
- とは何か?
- 「シンボルが我々の経験する意味を適切にシンボル化しないとき」を考えるとわかりやすい
-
手を振ったり、指差したり、長々と話したり、メタファーを考えだしたり、例を挙げたり、言葉を探すために沈黙する
- つまり、うまく言えないモヤモヤやワクワク、違和感などがある
- この状態を「We are experiencing a meaning」と表現している
- 別の言い方で「we feel a meaning」も同じ意味
-
「 いつもは我々の意味を含んでいるようなシンボルがこの現在の感じている意味にふさわしくないように思われる」ということ に我々は気が付くのです。
- モヤモヤ思ってることを言葉で表現しようとした時に、マッチしてないように感じる
-
つまり、意味は単に事物とかシンボルとか、それらの関係の問題ではなくて…何か感じられ、経験されるものでもあるということです。
- Q: 「言語化された意味と言語化されてない意味がある?」
- A: 言語化されてない意味がある。「言語化される前のサムシングがある」という感覚をみなさん経験されたことがありますよね、それのことを下で説明するように「感じられた意味」って呼びますね、ということ
- で、この後でそれにフォーカスしていく
- この論文ではこのような「意味」について扱うので、felt meaningや experienced meaningという表現をする
- 和訳だと「感じられた意味」とされている
- 「感じられた意味」という一塊のフレーズとしてこの後何度も出てくる
- 「感じられた意味は認知において、どのように働くのか」がこの本のテーマ
- 和訳の過程で異なるシンボルに分断されてシンボル間の関係がわかりにくくなってる
-
- experienced meaning = felt meaingだということはジェンドリンが明記している
- 後年のThinking at the edgeではfelt senseがよく使われ、これの和訳は「フェルトセンス」
- 日本語だとシンボルの間の関連がよくわからなくなってしまっているので、英語でのつながりを把握しておくとよい
- (余談)Thinking at the edgeのエッジ
-
「感じられた意味」
- これが本書のメインテーマ
- 第I章 経験された意味の問題
- 今ここ
- 第II章 認知において感じられた意味が働く実例
- 第III章 感じられた意味の働き方
- 今回の勉強会の目的地
- 第I章 経験された意味の問題
- 第I章 経験された意味の問題 > 2.心理学における問題 > c.経験の分節化
- (西尾による訳)
- 概念化や表現と、経験や感情は別物である。
- 経験や感情は、概念化や表現とは離れた意味を持っている。
- これを「感じられた意味」と呼んでいる。
- 概念化や表現は、その「感じられた意味」に対して適切であるかもしれないし、適切でないかもしれない。
- この概念化や表現、別の言い方をすれば「シンボルによる構造化」と「感じられた意味」との間にはどのような関係があるか?
- さまざまなものがある。(7つある)
- この本の先の章では、これらの関係を精査することによって、「感じられた意味」が認知において持っている機能を詳しく見ていこうと思う。
- (西尾による訳)
認知において必要な機能
- 「第II章 認知において感じられた意味が働く実例」はいろいろな実例を挙げている章
- それをここでなぞっても「紙に書かれた実例の羅列を口頭で劣化コピーするだけ」になりそうだから飛ばす
- 後半のB. が重要な概念のハブになってるのでそこだけ紹介
- 「感じられた意味」が、認知に必要な、特定の機能を果たしていることについて
- 1.問題解決
- デューイの「[思い付き]」の概念
- なんらかの問題を解こうと考えているとき、ふと「思いつく」ことがある(みんな体験したことあるよね?)
- この「思いつき」には「感じられた意味」が関与してそう
- 「思いつき」が起きる過程で「まだ言語化されてない状態のサムシング」があって、それについて考えてた時に「あっ、これってこうすればいいんじゃないか?」と事後的にシンボル化される
- 例えば中学ぐらいの数学のテストで、展開して整理したら解ける問題と、そうでない問題がある。後者は「どうやって解くんだろう」としばらく悩んで「あ、前に解いた問題でこんな感じのことをしたな」みたいに思いついたりする
- ここに「言語化される前のサムシング」があるよね
- 2.再現と分節化
- 再現=「忘れたことを、思い出す」プロセスでも「感じられた意味」が使われている
- 「あー、何か言おうとしたんだけどなんだっけな」
- 「言おうとしたこと」が存在するという感覚がある
- しかしそれはまだシンボル化されてない
- 「言おうとしたこと」という雑なシンボルで指し示されているだけの状態、これを言語化したい
- 「解決策を、思いつく」と同じ構図
- 「あー、何か言おうとしたんだけどなんだっけな」
- 分節化(ARTICULATING)
- 英語のarticulateは日本語に訳すと歪むと思う。「この製品は部品に分解することができる」という状況でも「彼はその件に関して流暢かつ一貫して話すことができる」という状況でも使う単語
- 日本語で「わける」と「わかる」に同じ漢字を使うのと似た構図
- ここでいう分節は、文脈として言語学者[ソシュール]の「世界は一部の差異を無視し、一部の差異に注目することで分節されており、その分節の仕方は民族語によって異なる」を背景にしてる
- 世界がグループに分けられている、その分け方はことなっている
- 具体例: 日本語だと孫は「孫」の1つだけど、中国語だと4通りある
- 孙子(sūnzi), 孙女(sūnnǚ), 外孙子(wàisūnzi), 外孙女(wàisūnnǚ)
- (日本にも昔は内孫/外孫の区別があった)
- 他の例
- 叔父と伯父、ancle
- 兄と弟とbrother
- 虹の色、何色に区切るかは国によって違う
- サピア・ウォーフの仮説
- 区切る語彙があるかどうかが認知に影響を与えるという仮説
- 英語のarticulateは日本語に訳すと歪むと思う。「この製品は部品に分解することができる」という状況でも「彼はその件に関して流暢かつ一貫して話すことができる」という状況でも使う単語
- ソシュール「言語によって分かれている」
- それだけではなく、人間は現在進行形でモヤっとした経験を区切ることによって理解をして行っている
- =分節化によって理解している
- この考え方は、分節化する前の「モヤっとしたもの」がある、と前提しているわけ
- 再現=「忘れたことを、思い出す」プロセスでも「感じられた意味」が使われている
- 3.心理療法
-
心理療法は経験の分節化が絶えず行われる領域
- これは簡潔に核心をついた表現だと僕は感じるけど「心理療法」のイメージがないとピンとこない?
- 例えば「心が辛いんです」というクライエントが来る
- 「心が辛いんです」って言われてもこちら側としてはわからんわけです
- 少なくとも下記の二つが言える
- そこ(クライエントの中)に主観的な「辛い気持ち」がある
- 本人もそれがどのようなものでなぜ存在するのかを言葉にできてない
- つまり
- 辛さの現在進行形の体験(Experiencing)が存在していて、まだシンボル化してない
- この分節化を促すのが心理療法
- Q: 「分節化」と「言語化」は何が違う?
- A: 世界を分けていくのが分節化
- Q: でも言葉にはするよね?
- A: 後で出るのだけど、ここでいう「シンボル」は必ずしも言語ではない。だから「言語化」と呼んでいない
-
- 1.問題解決
- 「感じられた意味」が、認知に必要な、特定の機能を果たしていることについて
- 第II章 認知において感じられた意味が働く実例 > B. > 3.心理療法 p.104
-
クライエント中心療法では,特別にクライエントの感じられた経験を彼自身の言葉で探究する
-
他の方法では治療者の理論的な照合の枠組みから発する診断的な概念を提供する
-
けれども,もっとよく調べてみると, 別の派の治療法でも,一般に診断が予見しているようなクライエントの中の感じや経験をクライエント自身が自分で直接発見することを,同じように強調していることが見受けられる
- 「診断は概念的な足場である」 ジークムント・フロイト - Wikipedia
-
建築中のビルの足場のように,実際のビルができた時には不用なものとして取り払われる
- 大事なのは何かというと、クライエントが自分の経験や感じていることを自分の言葉で表現できるようになること
- 診断はそれを手助けするための足場にすぎない
-
診断は,面接やプロジェクティヴテスト(例えばロールシャッハテスト)の資料から一日の中に作ることができるかも 知れません.しかし,クライエント自身による,彼の内部での感情や,経験の発見 や把握には長い時間がかかりますし,概念によってそれが成り立つのではなく, 感情によって,それが成り立っていなければならないのです
-
一つまり概念的な一般化によるのではなく,彼の独自な経験によって成り立っていなければな らないのです。そのために,治療のあらゆる形態はもっと深く経験しようという 個人の努力から成り立っていますし,彼自身の感じられた経験を,自分で把握しシンボル化しようと努力することになるのです
- 概念的な一般化で診断とか判断をするのではなく、彼自身が自分で自分のモヤモヤを把握して言葉にしなきゃいけない
-
-
第III章 感じられた意味の働き方
- 感じられた意味がシンボルとともに働く様式が7つある、という話
- A: 認知における感じられた意味の平行的な機能的関係
- 直接照合 (DIRECT REFERENCE)
- 再認(RECOGNITION)
- 解明(EXPLICATION)
- B: 創造的な機能的関係(“特定”“非平行的”)
- 隠喩 (METAPHOR)
- 理解 (COMPREHENSION)
- 関連 (RELEVANCE)
- 言い回し(CIRCUMLOCUTION)
平行的な機能的関係
-
「平行的な」とは「感じられた意味とシンボルが1対1で対応する」と定義されてる
- 今はざっくり「シンプルなパターン」って理解でよいと思う。
- ここで定義の議論をするより後半の「非平行的な」例を見た後の方がわかりやすい
-
直接照合 (DIRECT REFERENCE)
- 例えば知ってるけど忘れてしまって言葉が出てこないとき
- 思い出せないものに対して「Aだったかな?いや違うな。Bかな?そうそう、Bだ」となる
- この「言葉になってないモヤモヤ」と「A」を照らし合わせているのが直接照合
- 「何か言おうとしたんだけどなんだっけな?」「A?」「いや違う」「B?」「そうそう、それ!」
- 「言おうとしてたこと」「A」「B」がシンボル
-
- Fが「感じられた意味」(felt meaning)
- 言語的なシンボルに限らない
- ということをここに言語で書いて説明したり、ビデオ会議越しに伝えるのがめっちゃ難しい…
- p.127 例: 運動的なシンボル、視覚的シンボル、行為、対象物、状況
- 例えばボウリングをすることをイメージして
- それ、その動き
- (と僕が言及した時点で言語的シンボル「その動き」になってしまった)
- それ、その動き
- 例えば「私にとって注目はスポットライトのような物です」と話してる人がいて、そして何かを思い出して眩しそうな顔をした
- これは「状況」のシンボル
- ここでのシンボルの役割は「感じられた意味」を指し示すことなので、それができるならば言語的シンボルでなくてもよい
- 「眩しさ」という言葉で指し示すこともできるし、眩しそうに目を細めるのでもできるし、手を動かして目を覆うのでもよい
- 体験した人にはあたりまえのことなのだが、体験してない人に言語的シンボルで伝達するのは難しいな…
- 「眩しそう」は違う
- それは僕がクライエントを見て勝手に思ってることであって、クライエントの中の「感じられた意味」を指し示すシンボルではない
- クライエントから「光を遮ろうとするような手の動き」が表出されたなら、これはシンボルである
- 訓練されたクリーンランゲージのコーチは間違いなく「その(動きを指し示す)はどのようなものですか?」と聞くだろう。
- 言語的シンボルより優先する
- 言語的シンボルよりもその動きのシンボルな方が「まだ言葉になってないもの」と強いつながりを持っているから
- これは現状Keichobotでは全然できてないし、できるようにする目処も立っていない
- 言語的シンボルより優先する
- 訓練されたクリーンランゲージのコーチは間違いなく「その(動きを指し示す)はどのようなものですか?」と聞くだろう。
-
- 例えば知ってるけど忘れてしまって言葉が出てこないとき
-
再認(RECOGNITION)
- シンボルだけが先にあるような状態
- 例えば本に書かれた単語を読む
- ここにはシンボルだけが書いてあって、人間はいない
- シンボルを見て、意味が呼び起こされ、感じられる
- シンボルは我々の心の中に「感じられた意味」を呼び起こす働きをする
-
解明(EXPLICATION)
- RECOGNITIONはシンボルが先に提示された
- EXPLICATIONは「感じられた意味」が「シンボル」になる動き
- 感じたことを言葉で説明したいが、まだ言葉が見つかっていない、という状況
- これを解決する
- (注: もちろん言語的シンボルに限らないが、シンプルに説明するために言語的シンボルの例にしている)
- 「言えた!」という時にEXPLICATIONが起きている
- RECOGNITIONとEXPLICATIONは、ちょうど逆
-
- RECOGNITIONはシンボルが感じられた意味を呼び起こしてる
- EXPLICATIONは感じられた意味がシンボルを呼び起こしてる
-
- RECOGNITIONでは「シンボルを見て感じられた意味が記憶の中から思い起こされた」
- 同じようにEXPLICATIONでは「感じられた意味にマッチするシンボルが記憶の中から選び出された」ということ
- 注: ここではシンプルな「平行的な」関係の話をしてるので、既存の言葉ですんなり説明できたケースを扱ってる
- そうでないケースが後半にある
- RECOGNITIONはシンボルが先に提示された
-
3つの平行的関係まとめ
-
直接照合のところで例に出したらストーリーは実は「直接照合を繰り返して解明が行われた」というストーリー
-
「何か言おうとしたんだけどなんだっけな?」「A?」「いや違う」「B?」「そうそう、それ!」
-
-
直接照合の結果、Fの一部にマッチすることがあり、その場合は分節化を促す
- 「それってA?」「いや、Aであるともないとも言える…」
-
つまり直接照合の結果に3パターンある
-
- (RECOGNITIONが点線なのは描き損じです)
-
創造的な機能的関係
- やっと本題!
- 隠喩 (METAPHOR)
- 理解 (COMPREHENSION)
- 関連 (RELEVANCE)
- 言い回し(CIRCUMLOCUTION)
- 「平行的なシンボルを持たない感じられた意味」がある状態
- 要するに「表現するのにちょうどいい言葉」がないような経験がある
隠喩(METAPHOR)
- ユージン・ジェンドリンのメタファー概念
- 隠喩と訳されてるが、隠喩か直喩かに関係ない議論をする
- 「たとえること」と思った方がいい
- ここでは英語のまま「メタファー」と呼ぶ
- 厳密には「たとえること」や「メタファー」に代表されるような「既存のシンボルで新しい意味を作り出すこと」をまとめて「メタファー」と呼んでる
- 例
- 「私の恋人はまるでバラのようだ」
- 「時は金なり」
- 時は本当に金なんですか?
- そんなわけではない
- 時を貯金できるわけではない
- 「金」というシンボルを使って本来の「金」の意味ではないものを指している
- 時は本当に金なんですか?
- 「公開鍵暗号は南京錠のようなもの」
- 公開鍵暗号が真鍮でできてると言いたいわけではない
- 「南京錠を所有する1名だけが施錠できる」と言いたいわけではない
- 施錠する時に「開錠する時に必要な鍵」が必要ないということを言ってる
- どの例でもシンボルを、その本来の意味と違う使い方で使っている
- 現存するシンボルで感じられた意味を正確に表現できない状況
- なので通常繋がらないシンボルに新しい結合を作って表現する
- 複数のシンボルで表現されるけどもandやorではない
- 「公開鍵暗号かつ南京錠」でもないし「公開鍵暗号または南京錠」でもない
- 既存のシンボルの論理的な組み合わせではない
- メタファー的シンボルを受け取った人の中で起こることは西尾的にはこんなイメージ。
- (1)関係しているとして提示されたシンボルAとBからRECOGNITIONされた「感じられた意味」の間にオーバーラップがない
- (2)ので、拡大解釈をしてオーバーラップを見つけ出してる
- (オーバーラップっていうとandみたいなのでやはり少し違和感がある)
- ユージンジェンドリンは「感じられた経験の塊に、既存のシンボルが呼び起こす感じられた意味が照合されて、塊の新しい側面が現れる」という表現をしている
- モヤっとしたものとモヤっとしたものを照合したら間に壁ができる的な
- 似たようなことを別の表現方法で伝えようとしている感
- モヤっとしたものとモヤっとしたものを照合したら間に壁ができる的な
- 平均のようなものか?
- それは図が一次元だからそのように見えるだけ
- 多次元で考えると平均はcになる
- 一通りのcだけになる
- これは違う
- そうではなく、Bのある軸y方向の成分を無視してAに入れたdにもなりうる
- 何に注目し何を無視するかによってeにもなりうる
-
例えばある詩を何度も読むと様々な意味が得られる
- これを「不安定なプロセス」と解釈することも可能だが、ユージンジェンドリンは「創造的」と解釈している
- (1)関係しているとして提示されたシンボルAとBからRECOGNITIONされた「感じられた意味」の間にオーバーラップがない
- 隠喩におけるRECOGNITIONと直接照合の役割
- シンボルから「感じられた意味」が呼び出されてるところはRECOGNITION
- 直接照合「時は金ですか?」「No!」
- メタファー「時は金です」「(直接照合して)えっ、時は金ではない。この人は何を言おうとしてるのか…そうか、時が金のように貴重だということか!」という解釈
理解(COMPREHENSION)
- これ「理解」って訳語がついてるけど、次の節でunderstandingに関する話をすごくするので、同じ訳語を使うのは混乱の元だと思う。
- 僕も混乱した
- 「理解」というよりはこっちのニュアンス
-
- (これは非平行的なシンボルの使い方の例であり、文字通りの「完全に理解した」という意味ではない)
-
- 以下で口頭では「COMPREHENSION」と呼ぶようにしようと思う
- 既に感じられた意味を持ち、それをシンボル化したい
- しかし既存のシンボルでは言いたいことにピッタリとフィットするものがない
- なので既存のシンボルを組み合わせる
- これがCOMPREHENSION
- 「それMETAPHORのところでした説明と同じでは?」と思った?正しい!
-
To invent a metaphor to express a prior felt meaning is “comprehension.” (p.117)
- たとえ話を作り出すことはCOMPREHENSIONだと明記してある
- これもあって「理解」という訳語を使いたくない
-
- 左がCOMPREHENSION、右がMETAPHOR
-
- というわけで、例えば「本を読んで書いてあることを理解する」や「メタファーを見て何を言いたいのか理解する」の「理解」はCOMPREHENSIONと別物です。要注意。
- 例
- 「伝統は火を守ることだ」
- 「消えないように守ることが大事ってことかな〜?」
- 「伝統とは火を守ることであり、灰を崇拝することではない」[グスタフ・マーラー]
- 「なるほど 火が生み出した副産物でありもはや変化しなくなった灰(=クラシック楽曲)を崇めるのではなく、今現在新しく光を生み出している火(作曲家)が消えないように尽力すべきである、それが伝統を守るということである、ということか」
- メタファーを読んで西尾の中に作られた「感じられた意味」がCOMPREHENSIONによって新たなシンボルになっている
- 「光」とかの新しいシンボルが出てきている
- メタファーを読んで西尾の中に作られた「感じられた意味」がCOMPREHENSIONによって新たなシンボルになっている
-
理解の過程において,所与の感じられた意味は直接に照合されていて,多くの種類の関係ありそうなシンボルを選び出す(p.150)
- バッチリ言葉にできたら、より豊か
-
言葉にできていなかったものを、バッチリ言葉にできたとき、それは言葉にできていなかったものと同じものではなく、より豊かでより明確で、しっかり理解されたものなのです。
- 表現するとは自覚すること
-
「語る主体にとって、表現するとは自覚することである。彼は単に他人たちのために表現するのではない。自分がねらっているものを、自分自身で知るために表現するのである」(メルロ=ポンティ、高橋(訳)、現象学の課題)
-
- METAPHORとCOMPREHENSIONの関係
- RECOGNITIONとEXPLICATIONの関係に構図が似ている
- RECOGNITIONによってalready calledなfelt meaningがEXPLICATIONによってシンボル化する
- 同様に
- METAPHORによってalready createdなfelt meaningがCOMPREHENSIONによってシンボル化する
- RECOGNITION/EXPLICATIONは平行的な関係なので同じシンボルになる
- METAPHOR/COMPREHENSIONは創造的(非平行的)な関係なので、異なるシンボルになることがある
- 関連: 隠喩と理解の関係(脳内モデル修正の記録)
関連(RELEVANCE)
- ここまでで「一つの」感じられた意味と「それについての」一つの以上のシンボル化との間の関係を定義した
- 「他の」感じられた意味があることで、シンボルが理解(understand)可能になるケースを考える
- 日常会話ではこんなことを言う
-
理解するためには“過去の経験”が必要だ
-
”文脈“を理解しなければならない
-
- 「関連」とは「シンボル化がそれによって理解可能になるような、そういう関連のある感じられた意味」
-
relevant felt meanings, from out of which symbolization is understandable
- この「理解」にはunderstandが使われていて、COMPREHENSIONの訳語の「理解」とは別物
-
-
一組のシンボルは,そのシンボルが表す一つの感じられた意味だけではなくて, その他多くの経験された意味の助けによって理解されるようになるのです(p.158)
- 例「ある初心者がある格言を学ぶ。20年以上もの経験の後で、その格言の意味をもっと違った、もっと完全な形で理解した、しかしそれを弟子に教えようとしたら20年前に学んだ最初の言葉以上にその意味をうまく表す表現(=シンボル化)が見つからない」
- 数学書でよくあるやつ
- 最初にある数学的概念の定義を見たときにはサッパリ意味がわからない
- 色々な例や解説を読んで「なるほどわかった、こういうことだな」と思う
- 「そう書けばいいのに」と思いながら定義をもう一回みたら、まさにその通りのことが書いてあった
- 数学書でよくあるやつ
- 二つの視点:意味が関係を決めるか関係が意味を決めるか
- METAPHOR/COMPREHENSIONもRELEVANCEだ、と言ってしまうことは一応可能
- でもそうやるのじゃなくて2つの視点として捉える方が良い、とユージンジェンドリンは主張している(p.159)
- 絵に描いてみた
- METAPHOR/COMPREHENSIONの視点は感じられた意味が他の感じられた意味との間の関係性を規定している
- RELEVANCEの視点は他の感じられた意味との間の関連性が、いま注目している感じられた意味を規定している
- 矢印の向きが逆であるということ
- 何かを知っていたことで、新しく見たシンボル(たとえば教科書の数式)が理解できた、という経験をみんなしてるはず
- 同じシンボルを別の人(例えばちゃんと授業に出てなかった同級生)が見て、誤った解釈をしたり、チンプンカンプンだったりするケース
- 意味が関係を決めるか関係が意味を決めるか(v1)
- RELEVANCE(v1)
言い回し(CIRCUMLOCUTION)
- CIRCUMLOCUTIONという単語のチョイスがイマイチだ、と著者本人が言ってる
- さらに訳語として「言い回し」をチョイスした
- これはわかりにくくなってると思う
- 大前提: 言語的シンボルに限定した話はしてない
- 「言い回し」って訳語はどうなんだ
- CIRCUMLOCUTION
- A roundabout or indirect way of speaking; thus:
- Unnecessary use of extra words to express an idea, such as a pleonastic phrase (sometimes driven by an attempt at emphatic clarity) or a wordy substitution (the latter driven by euphemistic intent, pedagogic intent, or sometimes loquaciousness alone).
- Necessary use of a phrase to circumvent either a vocabulary fault (of speaker or listener) or a lexical gap, either monolingually or in translation.
- A technical word, such as hyperkalemia or hypoallergenic, can be glossed for general audiences with a circumlocution, such as “high potassium level” or “less likely to cause allergies” (respectively).
- 後者の例が近いかな
- 伝えたいことを「hyperkalemia」というシンボルで表現したが、伝わらないかもしれないので改めて同じことを「high potassium level」と表現している(日本語だと「高カリウム血症」である←この西尾による追記もCIRCUMLOCUTIONの実例)
- 何かを伝えたくて、ある説明をした後で、同じものに対してさらに追加で説明する
- 言葉に限らず、図やジェスチャーを使ったりしてもよい
- 同じ「感じられた意味」を違うシンボルで表現する
-
- これもCIRCUMLOCUTIONの実例
- 言葉というシンボルで表現した後で、同じものを図というシンボルで表現した
- これもCIRCUMLOCUTIONの実例
- これは「言い回し」っていうよりは「言い換え」じゃないかなぁ
- A roundabout or indirect way of speaking; thus:
- いまこの説明「同じことを」「違う表現で」と説明したうちの、前半の「同じことを」を「関連することを」に変換したものがCIRCUMLOCUTION
- 「同じことを」はもちろん包含される
- この資料のように関連することをいくつもつなげているのはCIRCUMLOCUTIONが発生している
- それによって「伝えたかったこと」がはっきりしていく
- =感じられた意味を創造的に形成・修正している
- さっきの「二つの視点」の図
- 関連を増やすことによって意味を修正している
- (これも関連を増やすことの実例)
- 例「昨日、電話を買い替えたんだ〜、あ、持ち運ばないやつの話」
- 「電話」で携帯電話をイメージしてたとしても修正される
- これも実例
- RELEVANCEとCIRCUMLOCUTIONの関連
- どちらも関係を作り出している
- RELEVANCEはある感じられた意味が既に存在して、それが今作られつつある感じられた意味に影響を及ぼしている
- 過去の経験が今の理解を助けている
- CIRCUMLOCUTIONは今シンボルによって呼び出された感じられた意味が、過去の感じられた意味に影響を及ぼしている
- 今の言葉が過去の説明を強化している
創造的な機能的関係まとめ
-
ver.3
- 前のバージョンでは下二つで「なんとなく複数個」描いてしまったが、本質的に重要なのは「1つではない」「他の」というところなので、他のものを一つだけ描いた
- FRはgivenであり、FGはいま修正され創造されている、それが横軸の違い
-
ver.4
- この枠組みを使うとこの前発表したクリーンランゲージの仕組みをうまく説明できると気づいた
-
- 人がうまく言えないことFをなんとか言葉にしようとしてAと言った時、それは「うまく言えない」のだから当然平行的なEXPLICATIONではない
- 意味が歪んでいる
- シンボルが本来の意味で使われていない
- なのでそれを聞いた人がRECOGNITIONしたFAはもちろんFではない
- そこでRECOGNITIONを止めましょう
- これがクリーンランゲージの根本的発想
- 「相手がAと言った」という現象だけにフォーカスする
- 人がうまく言えないことFをなんとか言葉にしようとしてAと言った時、それは「うまく言えない」のだから当然平行的なEXPLICATIONではない
- 「話し手の使った言葉を変えない」というルールの理由がわかる
- 相手が使ったAという言葉を使えば、たとえそれが非平行的なプロセスで出てきた言葉でも、Fを指し示すことができる
- そのFが何であるのかは聞き手にはわからないが実用上問題ない
- Fに対して質問をすることでCIRCUMLOCUTIONを発生させる
- CIRCUMLOCUTIONは経験された意味の間のRELEVANCEの創造
- RELEVANCEが増えることによってFが明確化していく
- 相手が使ったAという言葉を使えば、たとえそれが非平行的なプロセスで出てきた言葉でも、Fを指し示すことができる
- Keichobotの振る舞いについて、以前は「クリーンランゲージでそういうルールだから」と説明した
- 「ルールだから」に帰着させずに説明することができるようになった!
- こういうメカニズムで言語化を促す仕組みなのだから、ユーザの発言したシンボルをRECOGNITIONするべきではない
- だからクリーンランゲージのコーチたちは「クライエントの言葉を勝手に解釈してはいけない」という訓練を受けている
- ソフトウェアがコーチの役割をする場合も、ユーザのシンボルを理解する必要性はない
- このプロセスを促すことが目的なのだから、現象としての表出されたシンボルが何であるかと、そのシンボルの間にどのようなシンボルがあると表出されたか、だけを把握すれば良い
- 「クリーンランゲージの仕組みをCOMPREHENSIONした!」
- 時間に余裕があれば使おうと思った資料
- ないので使わない
質疑
- Q: Keichobotが「話し手の使った言葉を変えない」のは「ソフトウェア的に変えるのが難しいから変えない」のかと思ってた
- A: まったく逆。僕がクリーンランゲージを学びに行ったときに「聞き手が話し手の言葉を変えてはいけない」をルールとして学んだ。その時はなぜそうなのかの原理を理解していなかった。「話し手の言葉を変えてはいけないし、解釈してもいけないのかー、ふーん、それって人間には大変だけどソフトウェアの方が得意なのでは?」と思った。なので作ってみた、という流れ。
- Q: この図について
- Aさんが伝えたかった情報とBさんが理解した情報はかならずしも一致しない?
- A: 必ずしも一致しないです。
- 例えば「詩の文章を何度も読むと違った意味が出てくる」「若い時に読んだ本を時が経ってからもう一度読むと若い時には気づかなかった意味がそこから受け取れた」
- このプロセスは非平行的であり創造的なので新しい意味が作られており、それはAさんの思ってる意味とは必ずしも一致しない
- Q: BさんがCOMPREHENSIONしたということの意味は…
- A: まず大前提としてこの図でBさんはCOMPREHENSIONしてない
- 左がCOMPREHENSION、右がMETAPHOR
- 日常会話的な用法と逆なので混乱しているけども、ジェンドリンの付けたラベルとしては「シンボルを見て意味を思い浮かべてるプロセス」はCOMPREHENSIONではなくMETAPHOR
- で、BさんがAさんの出したシンボルを見て「脳内に何かぼんやりと浮かんだ」とき、その浮かんでるものとAさんの伝えたかったものは必ずしも一致しない
- これを近づけていくにはBさんがそのぼんやりモヤモヤを言葉にしてアウトプットし、Aさんがそれを見て、Aさんの中に浮かんだぼんやりモヤモヤと「言いたかったこと」を直接照合して「そう、それが言いたかった」とか言うかどうか試すプロセスが必要
-
必ずしも一致しない
- むしろ、ほとんどの場合では一致しない
- なんで平行的シンボルではほぼ一致するのかというと、人々の会話の中でこすられにこすられててきたシンボルなのでみんなの脳内でだいたい同じものに結びつく形に収斂しているから
- 「イヌ」というシンボルを見て赤くて棘のある植物を思い浮かべたり、金属で先が丸くて食事の時に口に入れるものを思い浮かべたりしない。
- 収斂が進んでない幼い人間は「ニャーと鳴く四つ足の動物」を「イヌ」と呼んだりする
- 学習の結果、収束している
- コミュニケーションして失敗したり成功したりしてるうちに、より成功する「シンボルと意味の結びつけ方」を選ぶようになっている
- これがメルロポンティの言うところの「制度化した言葉」、洗練された言葉
- そういう洗練された言葉のことばかり考えがちだけど、制度化される前の、モヤモヤうまく言えないものが言えたばっかりの「生まれてきたばっかりの言葉」は平行的じゃないよね、歪んでるよね、まっすぐ降りてきたわけではないよね
- なのでそう言うことを言語化していくことを考えるとき非平行的なものに注目していく必要があるよね、と言うのがジェンドリンの考えな訳です
- Q: モヤモヤが明示的にある場合にはCOMPREHENSIONで出す?
- A: その「モヤモヤが明示的にある」の「明示的」が僕にとっては違和感がある
- モヤモヤ=フェルトセンス、じゃないかな
- 単語を見て呼び起こされるフェルトセンスは、ある程度明確になっている
- モヤモヤのフェルトセンスはまだ明確になってない
- Q: そういうモヤモヤを言語化するためには4つの関係を駆使していく必要がある?
- A:そう