体験過程と意味の創造」を読んでいく勉強会

目的(前回の再掲)

  • 「まだ言葉になっていないモヤモヤ」を言葉にすることが必要
    • 個人の知的生産にもチームワークにも必要
  • この「モヤモヤを言葉にする」に関してEugene T. Gendlin(ユージン・ジェンドリン)は深く考察して「体験過程と意味の創造」を書いた
    • 「体験過程と意味の創造」を読むことで、我々は「モヤモヤを言葉にすること」に関する語彙や視点を手に入れて、より解像度高く考えることができるようになる
    • これが将来のグループウェアがどう進化していくと良いのかや、知的生産の手法がどう作られると良いのかを考えることの助けになるはず
  • p.27に書かれているもの
    • 体験過程と相互作用できるような語彙を作る

    • それによって体験過程についてのコミュニケーションが可能になる

    • nishio.iconユージンジェンドリンもおおよそ同じことを言ってましたね

前回の振り返り

  • 感じられた意味 (felt meaning = experienced meaning = felt sense) / シンボル
  • シンボル化(特定、説明、specify)
    • ここまでの勉強会で「特定」と訳すと混乱が発生しがちだったので今回は訳さずにspecifyのままやります
  • 「概念」は論理的にユニークに特定されシンボル化されたもの
  • 「経験の側面」(4B2)
    • 明確な境界を持たないモヤモヤした「経験」がある
    • 創造的な「シンボル化」の過程で経験が「働く」
    • この「働き」の結果として「経験」はspecifyされる
    • そのspecificationが「経験の側面」
    • aspectを辞書で引いてみる
  • non-numerical
    • モヤモヤした経験のどこを「1単位の経験」として切り出すかは確定していない
      • image
      • この図は描きにくい。前回グラデーションを3段階にする表現方法を思いついた。この表現方法で上の図で言いたいことを表現するとこうなる:
        • image
      • こういうものについて「これは一つか?二つか?」と問うのは無益。どこを境界とするかで変わるから。
  • 関係は意味であり逆もまた真
    • 関係を丸の間の線ではなく、それ自体が丸と考える
      • image
  • 「の中にある」と「の間にある」は同じ
    • image
    • 「AとBの間にある」と「ABの中にある」が両立しうる
    • どの範囲を一塊と認識するかの違い
  • 「AとBの間の関係」と「Bによって作られたAの側面」は同じ
    • image
    • 両方を小さい範囲で捉えると「間の関係」になる
    • 片方を大きく捉えると「側面が作られた」になる

「スキーム」の復習と追加解説

  • 「スキームとは何か?」という問いに答える必要があると感じたnishio.icon
  • どう解説するか悩んだのだけども、これって「オブジェクト指向のオブジェクトって何?」に似た問いかもnishio.icon
    • 「オブジェクトとはモノです」だと説明不足
    • 真面目に説明しようとすると膨大になる
    • その膨大な説明を伝えたところで得られる実益が大きくないので費用対効果が悪い
  • というわけでバッサリ一言で言えば「スキームとは形です」
    • 古代ギリシア語(skhêma, “form, shape”)由来
    • スキーマになったりシェマになったりする
  • スキームの例
    • 第2節で出た例
      • 形の全然ない状態と比べると「まずAが起きた、それからBが起きた」は形がある、これが時間的スキーム(temporal scheme)
      • 例えば「経験を積む」というとき、本来形のない「経験」を、石のような積むことのできる「形のあるもの」と認識している。これが「物」(things)のスキーム#物のスキーム
      • 過程(process)のスキーム#過程のスキーム
        • 僕ならこれは「流れのスキーム」と呼ぶ。
        • 川の流れのように連続的にずっと動き続けている。
        • ジェンドリンは「体験」を「我々がどの瞬間にも持っている感情の流れ」と捉えている
          • 各瞬間に考えていることはそれぞれ異なっているが、ずっとそこにある
          • 離散的ではなく連続的に存在し続けている
          • だから「体験過程」と呼ぶ
          • Q: 感情と思考は区別してる?
          • A: してない。両方とも体験過程(=experiencing)
            • 確かに「感情」という用語はこの勉強会では見慣れないか
            • feelingとfeltは英語では同じ語の活用、felt meaning=experienced meaningは同じ意味だと明言されている: 61b5db5eaff09e00004dd1b2
  • 他の例
    • シェマという言葉はピアジェが使って有名になった。
      • ストーリー
        • 幼児が犬を見せられて「ワンワンだよ」と言われる
        • これを繰り返して、何種類かの犬に共通している形を抽出する
        • 未知の犬を見たときに「これもワンワンだ!」と判断するようになる
      • これが「ワンワンのシェマ」の獲得
      • image
        • この図は前回「開集合の概念を得る過程」を表現するために描いたもの
        • 「ワンワンのシェマを獲得する過程」も同じ
        • チワワを見て、プードルを見て、ダックスフントを見て、それらの経験の重なり合った部分が「これがワンワンだな」となる
      • これをジェントリンの用語で言えば「ワンワンのスキーム」と呼んでも差し支えない
        • 幼児が言語化してくれないので僕がかわりに詳しくいうと
        • シンボル「ワンワン」Sがある
        • Sが指し示す感じられた意味Fの中に
        • (例えば)「四つ足の柔らかく動くもの」のスキームがある
      • ピアジェの方のストーリーだと幼児はこのあとネコを見て「ワンワン!」と言って「違うよ」と言われる。
        • この話も関連しているけど今日の流れとは合わないのでスキップする。
    • 今僕がやっているのも「スキーム」の例をいくつか挙げることで、それに共通するパターン(=スキーム)を獲得させようとしている行為
    • 例: 後で僕の作った例として「盆栽のスキーム」が出てくる
      • 詳しく言えば、シンボル「盆栽」が指し示す感じられた意味Fの中に「伸びてから不要な枝を切る」という時間的変化のスキームがある
  • 5つ具体的な例を挙げた
  • スキームという言葉が時々「論理的体系」のような使われる
    • だけど「論理的体系」と訳語を当てると「ワンワンの論理的体系」というよくわからないことになる。
    • 「物」のようなシンプルな「形」から、犬の「四つ足で柔らかく動くもの」という「形」から、「キリスト教における『創造主が存在する』という世界観」の「形」まで包含している概念がスキーム。
  • というわけで一言で説明するなら「スキームとは形」
    • Q: 「概念」とは違うのか?「概念」だと広すぎる?
    • A: 「概念」という言葉は明確に別の定義がされている
      • 「概念」は論理的にユニークに特定されシンボル化されたもの

      • それは「スキーム」とは違う
      • 例えば幼児がワンワンのスキームを獲得して初見の犬や猫に「ワンワン!」と言うようになった時、その幼児は「ワンワンとは何か」を言語化できていない
      • まだシンボル化されていない
        • だから「概念」ではない
    • Q: スキームは視覚的なものに限らないよね?
    • A: 限らない。あーそうか、形っていうと物理的存在のニュアンスが出てしまうのか。
      • 例えば「世界とは創造神が作ってその後破壊されるものだ」もスキーム
      • 例えば「時間のスキーム」は視覚的な形なことを何も言ってない
      • より具体的な例として「温かいお湯に入っていたら、時間経過で冷めてしまった」のスキームとかは視覚ではないね
      • 時間経過のない例としては例えば「体の奥に鈍痛が続いてる」のスキームも視覚は関係ない
  • ここから少し哲学史の話
    • スキームは現代の西欧では相対化されている
      • かつては社会が個人に対して天下り的に経験を解釈するためのスキームを与えていた
      • しかし、今は個人がそれに疑問を持つようになった
      • nishio.iconここのところ「西欧は」ってジェンドリンが言ってるのは「東洋ではまだだ」という意味ではなくキリスト教文化圏における哲学史が念頭にあってその範囲に限定した話をしてる
        • 相対化されてない時と比較するとわかりやすいか
          • 世界は神が「光あれ」と言って作ったものだった。
          • 「落雷」は「神の怒り」だった。
          • 皮膚病は悪事をなした人に対して神が罰を与えたものだった(ヨブ記)
        • こういうスキームが社会から天下り的に与えられていた、違う解釈を主張すると社会から罰された
          • 「解釈の正統性が疑われる」と異端審問所に召喚される
    • この考え方がどう変わって来たか
      • 相対主義
        • そもそもキリスト教以前、例えばプロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と主張していた
          • 今の時代から振り返って言葉を補うと「絶対神ではなく、個々の人間が万物の尺度なのである」という感じ
        • キリスト教の後、例えばニーチェは「神は死んだ」と主張した
          • 「神」が生きていたころは、それを批判することは「冒涜」であった、しかし神は死んだのでもはや「神スキームの批判」は冒涜ではない、だからやります、という話
          • 世界が絶対神によって作られた的な「世界観」は、現代では唯一の形ではなく、いくつもある形の中の一つに過ぎない
        • 絶対的な正しさはない、という考え方
          • これが相対主義
        • 相対主義の立場は「色々なスキームがあって、大体同じ」と考える
      • 実証主義
        • 形而上学の命題は検証不可能だからナンセンス」という考え方
        • この立場は、すべてのスキームは無意味、と考える
          • nishio.iconこの「検証不可能なものはナンセンス」という考え方、哲学より科学に慣れた人は「そうだそうだ!」と言いたくなるかもしれない
          • この立場をとった[エルンスト・マッハ]は「ニュートン力学の『絶対空間』や『力』の概念は検証不可能な形而上学的概念だからナンセンス」と主張した
            • 個人的には過激だと思うwnishio.icon
          • (余談)ここで絶対的な空間の存在を批判したことが、後にアインシュタインの「観測者によって空間座標系が異なる」という相対性理論につながったとされている
            • 当たり前と思わずに疑うこと自体は有益か
            • でも「全部無意味だ!」は過激だよね
      • プラグマティズム(実用主義)
        • 正しさはその有益さによって決まるという考え方
        • この立場は、色々なスキームがあるが、同じ結果をもたらすならそれは同じとみなして良い、と考える
        • nishio.icon相対主義・実証主義と並列に並べてはいるが、ジェンドリンはこの立場だと思う。以降の章でこれを使っている
        • Q: 「正しさ」と「有用さ」は別物と考えても良いように思うが、関連づける必要はあるのだろうか?正しさはどうでもいいのでは?
        • A: 「正しいかどうか議論してもあんまり有益ではないからどうでもいい、有用さを優先する」というのであればそれはプラグマティズム。
          • 世の中には何が正しいのかをめっちゃ議論したがる人がいるわけです。
          • で、その人たちが議論をする上で何を「正しさ」の根拠にするか。
          • 例えば「キリスト教の聖書に書いてあるから正しい」という立場があった
          • 「観測されたものが正しい」という立場もあった
          • 「観測なんかあてにならない、理性に明確に浮かび上がるものが正しい」という立場もあった
          • どの「正しさの定義」も他の定義に対して優位にはなれかった、あ、これキリスト教権力の崩壊後の話ね。
          • で、そうなった時に新たな立場として「こうやって何が正しいか議論してても有益じゃない、有益な方が大事だろ」派が生まれた、それがプラグマティズム
          • この主張を「正しさの定義を考える文脈」で表現するなら「正しさは有用性である」になる
          • 関連「Linuxカーネル開発は実用主義」
    • このように社会から天下り的に一通りの「正しいスキーム」が与えられるのではなく、個々人が異なるスキームを持つようになっている時代だよ、という話。
      • キリスト教勢力が
  • スキームの概念の横断的確認

前回の続き

  • 前回何の途中だったか?
    • 第四章: 「新しいシンボル化の中で働いているものとしての経験された意味の特徴」
    • 「新しいシンボルが生み出されるプロセス」の中での「感じられた意味」のどのような特徴が機能しているのか(4B)
      • 9個のサブセクションがある
      • 前回その中の6までをやった
  • 4B7: (7) Any experienced meaning can (partly) schematize (creatively determine) a new aspect of another experienced meaning
    • 「経験された意味は他の経験された意味の新しい面を (部分的に) スキーム化できる(創造的に決定できる)」
    • 「他の経験された意味」(other experienced meanings)BがAの新しい側面の創造に寄与してるってことをここまでで見てきた
      • この「新しい側面」はAとBの間の関係とも解釈できるし、BによってAに関連づけられたものとも解釈できる
      • これを別の表現で言うと「他の経験された意味」が「新しい側面」の性質を部分的に決定している、となる
    • 4B4ではこの「決定」についての説明を飛ばした
    • 「Bがどのように働いたか」は「Bの側面」である。どのように働いたかを言語化することはBの側面のspecifyである
    • Aの側面がspecifyされる時に、Bはどういう相互作用をしているか?
    • Since B functioned when an aspect of A was created in interaction with B, some possible scheme “already” in B can later be seen to have determined the new aspect of A.

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        • nishio.icon見やすく引き離して描いてるけどXとSを重ねて描けば見慣れた図になる
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      • 時刻T1でBとのインタラクションの中でAの新しい側面Xが作られる
        • (具体例は後で)
      • この創造にはBが機能している
      • なのでlaterな時刻T2において
        • 「Bの中に元々あったあるスキームSが、
        • T1でAの新しい側面Xを決定していたのだな」
        • と事後的に見ることができる。
      • その後、時刻T3において、このスキームSがBやXから分かれてシンボル化できる
    • schematizeの定義
      • この「Bの中に元々あったあるスキームSが、Aの新しい側面Xを決定した」を「BがAの新しい側面Xをschematizeした」と呼ぶ(schematize精読)
    • 例えばこのような問いかけが事後的に行われる
      • 「AのどこがBに似ているか?」
      • 「Bという問いに、Aの中の何が答えられるか?」
      • 作られようとしているAの側面が、Bによって決定される。
      • 「恋人はバラだな」となってから「恋人のどこがバラに似てるのか?」と問いかけて、事後的に「恋人」の側面が「バラ」によって決定される
    • もちろんこの決定はfullyでない、それはB自体になる
      • 既にAの中にあったnew aspectのうち、Bにfitするものを探しただけ
      • だから「部分的に決定する」
    • 実例を作ってみるnishio.icon
      • 「この講義資料を作るプロセスって盆栽みたいだ」
      • 「まず、育て伸ばさないといけないけど、自然に伸びたままでは伝わらないので余計な枝を切らないといけない」
      • 1: モヤっとした「講義資料を作るプロセス」から、「まず関係ありそうな物を書き連ねる、それから削る」という側面が言語化された
      • 2: これには「盆栽」が元々持っていた「枝が伸びてから、不要な枝を切り落とす」という時間変化のスキームが働いている
      • 3: その後で「こういうスキームが働いた」と事後的に言語化できるようになった
      • nishio.icon多くの人はこういうスキームの働きを自覚してないと思う、僕も自分の思考プロセスをジェンドリンの視点で観察し直して初めて認識した
      • せっかく言語化したので「茂らせてから剪定するパターン」とでも名づけておこう、いつか作文技法の説明をする時に使えそうだ
      • 「執筆プロセス」と「盆栽」の間に共通の「パターン」を見出したことと、チワワとプードルを見て共通の「シェマ」を見出したこととは、同じ「構造」をしている
        • この「パターン」「シェマ」「構造」などと呼ばれているものが「スキーム」
      • Q: 「執筆プロセスはなんか盆栽だな」と思ってから「伸びてから剪定」生まれたんですか?
        • A: 今回はそうです
        • Q: 「執筆プロセスはたくさん書いてから削るものだ」が先にあって、それに似てるものを探して「盆栽」に辿り着いたのではない?
        • A: そういう流れで考えが発展するケースもあると思います。その流れだと「執筆プロセス」の言語化はもうできてて、それを他人に伝えるために後から盆栽のたとえを作ってるわけですけど、この章のスコープは「新しいシンボル化の中で『感じられた意味』がどう機能するか」なので既に言語化が済んでるケースはスコープ外なんです。
    • nishio.iconスキームは教会や学校が与えるものだけではなく、個々人がこうやって生み出してるんですよ、というのが大事なところ
      • キリスト教勢力が強かった時はスキームとか世界観は教会が与えるものだった
      • 今でも一部のスキームは学校などが与えている
      • だけどもスキームは個々人が生み出している、生み出して良いものなのだ、生み出していることが無視されがち、個人が生み出したスキームが大した物ではないと軽視されがち、
      • 教会が与える物の方が正しいんだという時代があったが今やもうそういう時代ではなく個々人が生み出しているということに注目していく必要がある、なぜなら教会や学校や社会が与えるものを絶対的なものとみなせなくなっているから、
      • 個々人が自分で自分の中のスキームとか世界観とか人生観とか経験とかをしっかり見ていく必要があるようになって来ているんだ、という話

(追記)盆栽のメタファー

  • ep.1
    • Q: 「執筆プロセスはたくさん書いてから削るものだ」が先にあって、それに似てるものを探して「盆栽」に辿り着いたのではない?

    • 盆栽のメタファーはゼロから生まれたわけではなくて「アイデアは種、土に落ちたら目を出すけど、石に落ちたら枯れてしまう」のような植物のメタファーがもわっと僕の中にあった
    • 講義資料を作る知的生産のプロセスを考えた時に植物のたとえがフッと出てきた、具体的には盆栽のイメージが出た
    • 盆栽で枝を切る的なイメージを別のところで雑談したことがあったのかもしれない、あった気がして来た、それを思い出したのだと思う
    • けど、今回意識に登ってきたタイミングでは「何か実例を作らなきゃ→講義資料を盆栽に例えよう」だった
    • B: 根拠がわからずに「似てる」と思うことはあるから違和感はなかった
  • ep.2
    • 「講義資料を作る上ではたくさん書いてから削ることが必要です」と言ってから「これを たとえていうならなんだろう」と考えて「盆栽」が出てくるケースももちろんあると思う
    • が「講義資料を作るプロセス」で指されているものをAとするかに「たくさん書いてから削る」で指されているものをAとするのかの違いであって「なにかまだもわっとしているもの」に対して「盆栽」をぶつけてるという構図は同じ
    • 「たくさん書いてから削る」も「盆栽」とはイコールではない
  • ep.3
    • 「新しいシンボル化の中で『感じられた意味』がどう機能するか」なので既に言語化されてるケースはスコープ外なんです。

    • こういうプロセスであることのデモンストレーションとして「視覚的なスキームでない例」のところで出てきた「腰痛」を「執筆プロセス」にぶつけてみよう
    • 執筆プロセスは鈍い腰痛のようなものだ」とまず言い切ってしまう
    • それから「これはどういう意味でそうなのだろう」と考える
    • (考えてみる)
    • そうだなぁ、動かして血流を良くすることで痛みが軽減するかな
    • 最初は痛いかもしれないけどだんだん楽になる
    • これを執筆プロセスの側の側面として言えば
    • 「うまく言えないモヤモヤした凝り固まりは、そのままにしてないで少し不快な気持ちがあってもそれを使っていくと、だんだんほぐれて言葉になっていく」とかかな?
    • こうやってから「うん、これはしっくりくるな」「こないな」と事後的に判断できるようになる。
    • 僕はこれを「執筆プロセスっていうよりは、組織内の感情的なわだかまりの話じゃないかな?」と思った。
    • 執筆プロセスに関して「触れると不快になるから触れずに置いているせいで凝り固まって痛みを発してるもの」が存在するイメージがない

Q&A

  • Q: 言語化の前にマッチングする対象はスキーム?
    • A: 言語化の前にマッチングする対象がスキームというか…言語化の前にマッチングしたときにスキームが生み出されている
    • Q: 生み出されているというべきか見出したというべきか
    • A: それは同じ意味で使っています。赤ちゃんがプードルとチワワを見た時に「共通のスキームを見出した」と表現しても「共通のスキームを自分の脳内に生み出した」と表現しても表現しようとしていることに大差はない。
  • Q: 側面(アスペクト)とスキームの違いは何か?
    • A: ちょっとすぐ答えられない
    • B: スキームの一部がアスペクトという気がする、盆栽の「枝を切る」の側面が使われている
    • A: 今の指摘が正しくて(ここ前半の部分だけキャッチしている) 今説明ができた。「講義資料を作るプロセス」の「たくさん書いてからから削る」という側面と、「盆栽」の「枝が伸びてから切る」という側面は、イコールではない、でも共通のスキームを持っている
    • Q: なるほど、抽象構造が間に挟まっている
    • 追記: 手前の「スキームと概念とはどう違うのか?」の議論と同様の議論が成り立つ。つまり「側面」は言語化されたものだと定義されていて、スキームは言語化されていない状態のまま機能する(幼児の「犬のシェマ」の例を思い出そう)
  • Q: それは3種類のうちの何のスキームなんだろう?
    • A: いや、スキームは3種類に限ってない、スキームは無数にある
    • Q: 物のスキームとかに類型されるのかなと、思った
    • A: 例として3つ挙げただけ、犬のスキームも3つのどれかに当てはまるわけではない
  • Q: この話を聞いた時に連想したのが、抽象化、プラトンのイデアの概念と似てるのかな
    • A: うーん、プラトンは例えば犬を例にするなら、色々な具体的な犬から抽象された、共通の「犬が持つべき属性」を持った理想的な犬「犬のイデア」があると考えたわけだけども、これは「唯一存在する」と考えたわけ。
    • 相対化されてる今の哲学の流れだとスキームは個々人の中にそれぞれ存在していて、みんな違ってて、自由に作ったりしている。
    • イデアは絶対主義的な、正しさの根源として存在しているのでそこが違うかなと思う。
    • 我々の魂は、かつて天上の世界にいてイデアだけを見て暮らしていたのだが、その汚れのために地上の世界に追放され、肉体(ソーマ)という牢獄(セーマ)に押し込められてしまった。そして、この地上へ降りる途中で、忘却(レテ)の河を渡ったため、以前は見ていたイデアをほとんど忘れてしまった。だが、この世界でイデアの模像である個物を見ると、その忘れてしまっていたイデアをおぼろげながらに思い出す。このように我々が眼を外界ではなく魂の内面へと向けなおし、かつて見ていたイデアを想起するとき、我々はものごとをその原型に即して、真に認識することになる

    • 一神教的世界観の話を主にキリスト教を例に挙げて話してたのでプラトンより後の時代のものと勘違いするかもしれないけどAC1280 ユダヤ教の成立、AC350 プラトンという感じで、プラトンはユダヤ教の考え方を知っててそれを哲学化した

4B8

  • (8) Every experience is capable of havinng an aspect schematize by any other experience

    • 「あらゆる経験は何か他の経験によってスキーム化された側面を持ち得る」

    • image

    • 7はスキーム化する側の視点だった、8はスキーム化される側の視点(cut1)

    • 二つの意味AとBがあるとする

      • AとのインタラクションでBの側面を見出せる(=創造できる、specifyできる)
        • (ここから原文のAとBは特徴7とは逆なので注意)
      • この側面はAによってスキーム化されたもの
        • 例: 恋人の側面はバラによってスキーム化された、執筆過程の側面は盆栽によってスキーム化された
      • 意味が多スキーム的(4B2)なのでAとBの間のスキーム的関係は、新しい意味に沿って生み出される(17)
        • nishio.icon新しい意味の創造と新しいスキーム的関係の創造が同時並行的に行われている
      • では、もしspecifiedな関係がgivenだったらどうか?(p.195訳文に疑問)
        • nishio.icon例: 「恋人」と「バラ」の間に「類似」関係がある、とgivenだったら?
      • 多スキーム的特徴(4B2)によって、このgivenな関係にも新しい側面Xを見出すことができる。
        • nishio.iconこの「類似」にも「どのような類似か」を見出すことができる。例えばどちらにもトゲがある。
      • この側面XはAとBの両方によってスキーム化される。
        • nishio.icon「トゲがある」は恋人とバラの両方によってスキーム化される。その二つから見出されたパターンである。
      • それゆえ、そのgivenな関係の、AとBの間における「新しく作られる応用」も、また多スキーム的である。
        • たとえ、A, B, relationの3つの要素がすべてuniqueにspecifyされているとしても。
        • nishio.iconどのようなスキーム化をされるかが一通りではない。「トゲがある」ではなく「よい香りがする」になることもできる。
    • nishio.icon既に言語化されspecifyされたシンボルの間の話ではなく、その言語によって指し示された「経験された意味」の間の話をしている(cut3)

      • 7や8に限らず、9個の特徴が全部「まだspecifyされてない、経験された意味」についてのもの
      • 「創造する余地の残された物」だよということ
        • refer to what is left open to creation

    • 「あらゆる経験は何か他の経験によってスキーム化された側面を持ち得る」は一見とても形而上学的な特徴に見える

      • 実際、形而上学的な表現をするとスッキリする(とジェンドリンはいうがスッキリするかどうかは僕は異論あるけどwnishio.icon)
        • 「すべての可能なスキームは、ある形而上学的な源Xからくる。
        • なので任意のスキームAはXの創造物であるなんらかのスキームを内包する。
        • それゆえ、任意のスキームAは他の任意のスキームBの中に見出すことができる、AもまたXの創造物だからである。」
        • “Because all possible schemes (all intelligibility) come from a metaphysical source X, therefore any scheme or meaning will embody some scheme that is a creation of X. Therefore, any scheme or meaning can be found again in any other meaning, since it is also a creation of X.”

        • このXのことを、色々な種類の哲学で「神」と呼んだり「自然」と呼んだり「条件付け」と呼んだり「心」と呼んだりしてきた
          • 相対化してるわけ
          • nishio.icon仏教においては「」Xがすべてのものを生み出してるから、すべてのものの中に他のものが入ってる(事事無礙)とか考えたりする
          • このXのことを5章では「IOFI点」(IOFI=instance of itself)と呼んで掘り下げていくのだけど、その話はまた今度。
      • Xが何なのかは特定しなくて良い
        • 創造の源泉がどこにあるか特定しなくても、色々な名前で呼ばれてるXが創造の過程に言及している点は同じなので。
        • これらの答えは「機能的に等価」(英語版p.214)である
        • nishio.iconこの「機能的に等価」というのは、ざっくり言えばプラグマティズム的に同じ正しさということ
          • 「神が〜」と言おうが「私の心が〜」と言おうが生み出されるものの有用性が同じなら区別する必要がない、という考え方
        • 神だと考えることがしっくりする人はそう考えたらいい、神を信じてないなら「生まれてから今までに行われた条件付けの結果である」と考えてもいい
        • Q: これはXの存在を仮定しないと今後の話がしにくいということ?
        • A: というよりは、この話を読んでて「それって要するに神では?」と思う読者もいるかもしれない、それなら神だと思ってもいいよ、それがに何であるかの特定はこの段階では重要ではないから、ということが言いたいのだと思う
        • Q: Xの存在に疑問がある
        • A:Xの存在に関する議論は次の章で行われる、さらに抽象度が上がるから今回の勉強会からはスキップしたいw
    • 任意の形が任意のものにフィットすると言っているわけではない

      • それではすべての意味がarbitraryなものになってしまう
      • そうではなく、大部分のケースはフィットしない
      • だから「新しい側面」が作り出される必要がある
    • これの例:

    • 詩人「私の恋人を例えるなら…」

      • 過去の経験の中から「赤いバラ」が見つかる、ピックアップする
      • このタイミングで「私の恋人」に新しい側面が作られている
        • 側面は作られているが、まだ言語化はされていない
    • 「赤いバラ」が「私の恋人」の中にどう見出されるか

      • 「私の恋人」に作られた「側面」Xの中に「バラ」の要素が見出される
        • Xとバラはイコールではない
          • 例えば恋人は土から生えてこない
          • だからXとバラは直接フィットしない
          • バラの中のある要素(ある側面)がXとフィットする
        • 例えば「恋人のfreshness」と「バラのfreshness」がフィットしたりする
      • ところで、ここからちょっと面白いところ
      • 先程の「恋人は土から生えてこない」に納得した人が多いだろう
      • が、特徴8は「任意の意味Bが、別の任意の意味Aの、新しく作られる側面Xの中に見出される」を要求している
      • じゃあやってみよう!
      • 私の恋人は赤いバラのように土から生える」と言い切ってみる
        • 「土から生える」をgivenでspecifiedなスキーム的関係(類似性)とした場合、何が言えるか
        • givenでspecifiedな関係に新しい側面が作られる
      • givenな「土から生える」Rは、意味A「私の恋人」に側面を作りうるか?
        • Yes、「土から生える」で側面Xを作ることができる。例:
          • 「私の恋人の振る舞いは生まれ育った国の文化に深く根ざしている」
          • 「私の恋人は静かに突然に現れる、まるでその場に生えてきたみたいだ」
    • BがAをスキーム化するとき、Bにはそのスキームにフィットする側面としない側面がある

      • フィットしない側面を使えば、Aにまた新しい側面を作ることができる。
      • nishio.icon今回の例では最初は「土から生えてくるわけじゃないよねー」と言った、つまりこれはフィットしない側面だった
        • フィットしない「土から生えてくる」をあえて選んだ
        • その結果として、新たな側面「生まれた国の文化に根ざす」が出てきた
        • こうやって新しい側面を作り出すことが可能
          • この「可能」は「現象として起こりうる」の意味で、個人が現象を引き起こすことができるかという意味では本人のポエムスキルによると思うnishio.icon
      • この新しい側面Xの中には、Bにフィットするような側面がある。
        • nishio.icon僕はこの「恋人」のことを知らないので「生まれた国の文化に根ざす」がフィットするのかどうかわからない
        • 詩人は自分の恋人のことを思い浮かべて「これはフィットするな!」とか「しないな」とか考えることができる
        • これは事後的に行われることである
    • このように側面や「側面の側面」がいくつでも介在できることで第8の特徴が可能になっている。

      • 解説のためにあえて聞いてみる「どのような意味NもAとBの間の関係であり得ると、どのように確信できるのでしょうか?
      • 特定された意味の間には一定の関係だけが可能である。
      • 経験された意味の無限の多様性は、この特定された意味間の確定された限定的な関係にどのように入り込むのだろうか。
      • NによってAに新しい側面が作られる。たくさん作られる。これをNAと呼ぶことにすると、それぞれのNAとBの間に、少なくとも一つの関係が可能で、見出すことができる。
        • それはAとBの関係であり、Nの側面である。
      • もし「私の恋人」に「大地から生える」という側面を作り出したなら、その時点以降「これは何を意味するのか?しないのか?」と問うことができるようになる。(p.170訳文に疑問)(cut 2)
    • nishio.iconゲーム「ウミガメのスープ」みたい。一見つながってない二つのものをつながっている、と提示されて、そこから「なぜつながっているのか」を考える遊び

  • (9) Creative regress

    • やっと最後の一つ!!
    • あるspecifyされた意味Sがある時に、それに関係する経験された意味Eをdirect referすることができ、その経験された意味EをSとは異なる方法でspecifyできる
    • 例えば
      • 「えーっと、そういえばこれって何が言いたかったんだっけな?」
      • 「何のためにこの話を始めたんだっけ?」
      • 「このXって言葉、私はどういう意味で使ってるんだろう?」
    • 掘り下げて言葉にしたものから一旦離れてモヤモヤに立ち戻る行為
    • nishio.icon3番目の問いかけ、自分もよくやってるイメージ。
      • いろいろ喋ってから、改めて「言いたかったこと」との直接照合をしている
      • 一見後戻りに見えるが、これは結構創造的な結果になる
    • この「何を意味していたか」にdirect reference(直接照合|直接言及)することを”creative regress”と呼ぶ
      • 創造的退行、創造的後退、創造的回帰。和書は「退行」を選んでる。個人的にはしっくりこない。
    • “regress”はspecified meaningから離れてfelt meaningに戻ることを意味している。
      • 言語から離れてモヤモヤに戻る
    • “creative”で、このregressは新しい側面を創造(create, specify, discover)するためのものだと示している
      • 新しい側面を見つけるためにモヤモヤに戻る
    • このような移行において、経験された意味がいくつかの役割を果たす
      • 1: 私たちがspecifyされた意味Sを持つ
      • 2: Sは「創造的回帰」において「直接参照」される。
      • 3: この(同じ?)経験された意味Eが、新しい、異なる方法でspecifyされる。
    • Eが、Sの元になった経験された意味と本当に同じものかどうかは断言できない。「同じでない」とも断言できない。
    • みなさんもきっとcreative regressを経験したことがあるはず。
  • 4章完了🎉

    • この後、この本の流れだと IOFIの原理の話になるが、さらに抽象度が上がって哲学の要素が増えて行くから、この哲学から生まれた具体的な方法論であるThinking At the Edgeフォーカシングに進む方が有益かもしれない

Q&A

  • Q: スキームとモデルはどう関係するか
  • A: この本の中でモデルという言葉は出てこないので、違う人が使っているシンボルS1とS2が指すものが同じかどうか、という話になる。まずその「モデル」とはどのような意味で使ってるか掘り下げましょう
  • Q: 近似、具体的なものがあってそれを近似したもの、抽象化、抽象構造、さきほどスキームを抽象構造だと捉えて、モデルも抽象構造だと考えているので似通っている
  • A:なるほど。
    • その「近似」の「近似される前のもの」が何であるかによる。例えばデータとか、既に言語化されている概念を言語の上で加工してよりシンプルな言語表現に変えるなどの場合、これはシンボルの中でしか動いてないからスキームは関係ない気がします。
    • 一方で、自分が経験した、まだ言語化されてないモヤモヤしたものがいくつかある中で、それから抽象化して作られたものはスキームな感じがする。
  • Q: モデルという言葉の使われ方が色々あるけど、一部スキームともマッチしそうということ?
  • A: 「何のモデル化なのか」「モデルの材料になっているものはなんなのか」が重要だと思います
  • B: 犬のモデル化はまさにスキームですよね「4本の足があるふわふわして動くもの」みたいな

以下、剪定した枝

cut1 - schematizing experienceという視点 - これは別の「過程」?nishio.icon - 〜edなexperience X - Xの側面が作られる - 7は - 任意の経験は - ある側面 - 他の経験によって〜edされるもの - を既に中に持っていた、と見做せる

cut 2

  • それは、バラがある方法でしか地面から伸びないことと関係がある。(例えば、必ずしもその場所に根を張っているわけではない)。これを「私の愛」とするならば、さらに新しいアスペクトを作らなければならない)。指定された意味の論理的必要性は、創造性によって妨げられることはない。

If we can assert that any meaning can be a relation between any other meanings, we have covered all the other possible ways in which a new aspect schematized by any one meaning can be found in any other. Seven implies eight. If the creation is possible, the finding “in” is implied. The creation is possible and determined (schematized) by all the interacting experiences. Because they determine the creation, an aspect of them can be created that can be seen to have determined it, that is, that can be seen to be related to any (new) aspect of any experience, or indeed to any experience considered as being determined by it in the creation of aspects of it. All these characteristics are possible because the multiplicity and multischematic character of experienced meaning enters and offers its capacities for countless new¹9 aspects, whenever experienced creating of meaning occurs.

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「恋人=バラ、関連:国」「恋人=バラ、関連:香り」「恋人=バラ、関連:トゲ」

cut3 - もちろん7も8もpossible of experienced meanigsである - possible of specified meanigsではない - nishio.iconどういうことかと言うと、既に言語化されspecifyされた意味の話ではなく、その言語によって指し示された「経験された意味」の側の話をしていますよ、ということ - 7や8に限らず、9個の特徴が全部「まだspecifyされてない、経験された意味」についてのもの - 「創造する余地の残された物」だよということ - > refer to what is left open to creation - Aをある特定の方法でBと関連させなければならないとしても、新しい側面を見出すことができる - それが「考える」ということ - 何も創造する余地がなければ、任意の問題は解決不可能なように記述できる - これでは思考は起こらない