スキームの概念の整理
- スキームの概念の整理をして、次回スキームの話をしてから7節に入る方が良さそう
- 4B7「経験された意味は他の経験された意味の新しい面を (部分的に) スキーム化できる(創造的に決定できる)」の話
- 前回の第2節の「経験は多スキーム的である」を前提として発展されるのが7節だけど、2節がしっくりきてるとは思いがたい
- スキームの概念
- 6章で色々書かれている
- スキームについて横断的に確認するのが良いかも
- 今の理解でざっくり書いておくと「論理的に『こういう構造がありますよね』と言えるような構造(スキーム)は、一通りではなく複数ある。またそのスキームが言語化される前の状態がある。」という感じ
p.25-27
- 序章
- どのような種類の概念が感じられた意味に関連付けられうるのか
- 「経験」の論理的スキーム以上のものを必要とする
- 既に論理的に整備された経験だけでなく
- 論理的に整えられる以前の経験も取り上げなければならない
- 意味とか
- 論理的オーダー
- 論理的秩序
- を形成する際の経験の働き
- 前論理的、前概念的経験を、それが論理的シンボルと共に働いている時に研究しなければならない
- 「前論理的経験」を「論理的シンボル」で置き換えてはいけない
- 論理的なレベルに留まっていると、経験がどのようにして論理と共に働くのかを明らかにできない
- ある経験がどんなに複雑でも
- 論理的にスキーム的な構成概念とみなすことはできない
- 経験と論理がどのように関係するのかということについての一つのスキームを持つことができるだけ
- その場合でも経験は直接照合されなければならない
- 経験は我々がどの瞬間にも持っている感情の流れ
- 形は整ってない
- それを「体験過程(experiencing)」と呼ぶことにする
- 体験過程は
- 行動においても
- 意味を形成する上においても
- 基本的な役割
- 論理的スキームが体験過程のこのような役割との関連で考えられないなら、それらは空しい
- p.26
- 我々は一つ一つが排他的で基本的なものであるような多くのスキームを持っている
- 相対主義、実証主義、プラグマティズム
- スキームが
- 大体において同じようなもの
- 相対主義
-
相対主義(そうたいしゅぎ、英: relativism、独: Relativismus、仏: relativisme)は、経験事象に対する見方が、その他の経験事象に対する見方との相対的関係(is relative to)すなわち依存関係(is dependent on)においてしか客観的にはありえない、という考え方
-
- 相対主義
- すべてまったく意味のないもの
- 実証主義の立場「形而上学の命題は検証不可能であるがゆえにナンセンスである」
- しばしば同じものだと判断できる
- 6章6A5でプラグマティズム的判断をしている
- 大体において同じようなもの
- スキームの相対性
- 今日の西欧で、社会は個人に対して、経験を解釈するためのスキームや形式を提供しない
- この「形式」は何の訳語?=form
- かつては「雷が落ちた」を「神の怒りである」と解釈するスキームがあった
- 個人は互いに矛盾したり、無関係だったりする、多くの形式やスキームがあることを知っています
- =人生や体験過程にじかに直面
- 芸術形式とか、哲学的スキームとか、宗教的信条とか、社会的パターンとか、道徳的価値とか、儀式とかに疑問を投げかけた
- シュペングラーやトインビー「このような相対化は社会的分裂のきざしでは?」
- 歴史的パターン
- 社会的分裂の時代には、維持されてきたスキームが「相対的」なものとなり
- 個人は人生や体験過程を直接解釈する
- しばしば絶望的
- 極めて人間的
- 既存のスキームを持ち出すか、
- 合理的方法によって、どのようにして概念を体験過程に関連づけるかを知る
- 歴史的パターン
- 今日の西欧で、社会は個人に対して、経験を解釈するためのスキームや形式を提供しない
- この「形式」は何の訳語?=form
- p.27 シンボル化が体験過程に影響する仕方、それによって影響されるしかた
- 体験過程と相互作用できるような語彙を作る
- これによって体験過程についてのコミュニケーションが可能になる
- スキームを経験上の意味と関連して考えられるようになる
- 体験過程と相互作用できるような語彙を作る
6章 哲学における応用 6A 相対性が含意する哲学的方法の原理 原理のいくつかの実例
- 生じうる無数の意味
- 決定性
- 選択的公式化
- 6A4 開放的スキーム
- 6A5 スキームの評価
- あらゆる用語の相対性
- 「定義」などの基本的な用語を含めて
- 機能的同等性
- 論理的形式
237-239
- 開放的スキーム
- 原文を読む必要がある
- ざっくり
- あらゆる(可能性のある)意味を公式化することはできない
- 矛盾する可能性のあるあらゆる含意を解決することはできない
- ざっくり
- 原文を読む必要がある
239-240
- スキームの評価
- スキームの価値
- スキームの相互比較、相対的評価
- スキームの目的
- どのように?
- 特定された経験の側面に照合する
- 2つのスキームが同じように照合しシンボル化できるなら、その側面について、それらのスキームは等価
- 変なカッコの付け方をしてるから原文を確認する必要がある
- スキームの評価の原理
- スキームの価値と評価は、スキームを助けにしてシンボル化される経験の側面に依存してる
- 僕の具体例Re:言語化では「言語化のメリットは?」という問いに対して答えを言語化している。
- この言語化は「体験過程と意味の創造」を学んできたことによって僕の中に作られた知識体系の助けによって行われている
- この「知識体系の助けによって言語化」が、ここでいう「スキームの助けによってシンボル化」
- この具体的な言語化の中でも、相手が「体験過程と意味の創造」の知識を持たないことを仮定して、伝わにそうな言葉に変えることができている
- それがなぜできるかというと、これらの言葉が単なるシンボルではなく、僕の中にある「感じられた意味」に接続されているから
- つまり「概念を持っている」状態になっているから
- この考え方はプラグマティズム的
21.schemeは「 スキーム」 と訳す ことに した。これは理論体系 とい うよ うな意味であるが,ス キームとそのまま訳すことにしたのである。 multischemeは「多スキーム」と訳した.
p.23
-
過去においては,意味は,大抵の場合,事物(客観的照合,感覚知覚)と の関連 において分析されたり,論理的構造 との関連において分析されてきたのでありま す.もちろん,意味は経験に関係するものと見なされましたが“経験”は通常,感 覚的知覚を統合する論理的スキームと解釈されるか,あ るいはまた行動の観察 結果を関係づけたり,それを予言したりする際に媒介となる論理的概念と解釈 さ れ て き ま した 。
-
けれども,今日,我々はもはや“経験”をそんなに狭い意味に解釈することはで きません。論理的スキームや感覚知覚の他に,前論理的でありながら,しかも我 々の思考や知覚や行動様式の中で重要な役割を果たしているところの経験とい う強力な感 じられた次元もあるのだということに気づくようになってきたのであ ります.
- 経験を論理的スキームであるというように考えてはいけない、それは狭い解釈である、という主張
p.185
- スキームの例
- 時間
- 物
- 過程
p.231
- デカルト どんな概念も、何かについてのものか、それ自身実在的であるかのどちらか
- 我思う、ゆえに我あり、の話ね
- ジェンドリン的に言えば「特定・説明された内容」と「それ自体が体験過程」
- 後者は「新しい意味の創造」
- これはスピノザ的に言えば「観念の観念」
- 「観念の観念の観念」は「観念の観念」に一致するので無限退行が避けられる
- 「観念の観念」がIOFI点であり、これは多スキーム的