「体験過程と意味の創造」を読んでいく勉強会
- 2022-02-04
- 前回「体験過程と意味の創造」勉強会1では第三章までをやった
- 今回は第四章をやる
目的
- 「まだ言葉になっていないモヤモヤ」を言葉にすることが必要
- 個人の知的生産にも必要
- 思考を言葉にすることが思考を改善するためにも実利につなげるためにも必要だから
- チームワークにも必要
- 言葉にしなければ他のチームメンバーに伝えにくいから
- 個人の知的生産にも必要
- この「モヤモヤを言葉にする」に関して我々はボンヤリとしか認識してなかった
- Eugene T. Gendlin(ユージン・ジェンドリン)はモヤモヤと言葉の関係について深く考察して「体験過程と意味の創造」を書いた
- 「体験過程と意味の創造」を読むことで、我々は「モヤモヤを言葉にすること」に関する語彙や視点を手に入れて、より解像度高く考えることができるようになる
前回の振り返り
- 重要な言葉
- 感じられた意味: felt meaning、experienced meaning。モヤモヤのこと。フェルトセンスと呼ぶ人もいる
- シンボル: 言葉のこと。厳密には言葉でないものも含む(前回参照)が今回はその話はしない
- 第三章「感じられた意味の働き方」
- 「感じられた意味」と「シンボル」が、共に働く(相互作用する)働き方を7つに分けて解説した
- 前半3つが平行的関係
- シンボルと意味の対応の図
- 3つの平行的関係 直接照合は意味と意味の関係
- 日本語で呼ぶと一般用語との混同が起きるから全部英語で呼ぼうと思ってるけど、DIRECT REFERENCEだけしばしば直接照合って言っちゃう
- 具体例「あっ、なんか言おうと思ってたんだけどなんだっけな」「A?」「いや違う」「B!」「そう、それ!(「言おうと思ってたこと」は「B」である)」
- 「言おうと思ってたこと」という文字列がS0
- うまく言えないモヤモヤがシンボルS0によって指し示されている
- 後半4つが非平行的関係
第四章: Characteristics of Experienced Meaning as Functioning in New Symbolization
- 第三章では「感じられた意味」がどのような働きをするかを説明した
- 第四章では「新しいシンボルが生み出されるプロセス」の中での「感じられた意味」のどのような特徴が機能しているのかを説明する
- つまりモヤモヤを言語化する時にモヤモヤのどんな特徴が言語化に影響を与えてるのかという話
- AとBに分かれていてBが圧倒的に長い
- A: Experienced Meaning Is Not Determined by Logical Relationship, But Does Not Function Arbitrarily
- 「感じられた意味」は論理的関係によって決定されるのではない
- また「感じられた意味」は恣意的に機能するのでもない
- B: Characteristics of Experienced Meaning as Functioning in New Symbolization
- Bの見出しは章の見出しと同じ
- A: Experienced Meaning Is Not Determined by Logical Relationship, But Does Not Function Arbitrarily
4A:「感じられた意味」は論理的関係によって決定されるのではない
-
第三章後半の非平行的関係4つに関してlogical determinationに関する問いをオープンにしていた、答えないで放置していた
- METAPHOR
- 新しい意味は何が決めるのか?
- (この後「類似性(論理的関係の1つ)が決めるのではない」と言う話をする)
- 新しい意味は何が決めるのか?
- COMPREHENSION
- 論理的に考えると symbolized comprehended meaning = implicit meaning でないといけないように感じるがどうか?
- (この後「イコールの関係ではない」と言う話をする)
- 論理的に考えると symbolized comprehended meaning = implicit meaning でないといけないように感じるがどうか?
- RELEVANCE
- なんらかの論理的関係が「何が関係するか」を決めてるのか?
- CIRCUMLOCUTION
- 「今の意味を少しずつ作り上げる」ことに寄与する意味は、作られつつある対象との間になんらかの論理的関係を持つのか?
- METAPHOR
-
これらの機能的関係は、別の論理的関係に依存しない
- なぜなら「感じられた意味」がシンボルになった後で論理的関係の対象であるような「概念」になるから
- 「感じられた意味」は前概念的(preconceptual)な存在
-
Q: 先ほどの例でS0という頭の中に隠れたシンボルがあったと思うが、S0がまだ表出化されてない段階では概念になってないと言うこと?
- A: 「頭の中にある」「隠れた」ものは「感じられた意味」(フェルトセンス)Fです
- Q: S0はまだこの世界に存在していなくて…
- A: いや、 ここでいうS0は具体的には「言いたいこと」というシンボルです
- (=既に言語化され、世界に存在している)
- 「何か言いたいことがあったんだけどな、なんだっけな、うまく言えないな」と言うとき”何か言いたいこと”というシンボルが、まだうまく言えてないモヤモヤしたFを指している
- Q: 「何か言いたいこと」とは文字面が「何か言いたいこと」ということ?
- A: そう、“何か言いたいこと”という文字列はシンボルですよね、言葉だから。で、そのシンボルS0が指し示している「感じられた意味」がある。それがF。
- Q: この左の人の頭の中にはSBが既に存在していて、しかし発見されてない状態にあり、その発見を手伝ってる?
- A: そうです。もちろん左の人はBという単語を知っているわけです
- (補足:「何か言いたいことあったんだけどな…そうだ!Ελληνικάだ!」とギリシャ語のわからない人が言うことはない)
- Bというシンボルを見てFBを思い浮かべることができているので、Bという単語は知ってるし、Bを見て思い浮かべる「感じられた意味」もある
- Q: 左の人の頭の中にBが「発見はされてないけど存在している」なら「概念として存在している」のでは?何か言いたいことに対する論理的な関係は論じられるのではないか?
- A: ええと、今この会話の中で概念という言葉がざっくりとした意味で使われてると思うから違う気がする…
- (補足: “概念”というシンボルが指し示しているものに関して、ジェンドリンの本の中の意味だと西尾が考えている感じられた意味Fxと、質問者の中の意味だとこの会話を通じて西尾が判断した感じられた意味Fyの間で「直接照合→No、一致しない」となっており、何がどう一致しないのかはまだ言語化できてない状態になっている)
- まず、この人はAという概念もBという概念も持っている、そこは正しい。
- しかし、なんらかの論理的関係によってFがなんであるのか特定されたのかというと、そうではない
- Q: FとSBがイコールであるという論理的関係によってS0がSBであることが分かったのでは?
- (追記)
-
COMPREHENSION
-
論理的に考えると symbolized comprehended meaning = implicit meaning でないといけないように感じるがどうか?
- (この後「イコールの関係ではない」と言う話をする)
-
- (追記)
- A: FとFBはなんらかの論理的関係によってイコールであると決まったのではなく、直接照合をして「しっくりきた」んですよ、瞬間的に。「ああ、それだ」と。
- Q: それは論理的な関係ではない?
- A: これは論理的な関係ではない。で、これが起きた後で、左の人が「ああ、それだ、S0はSBだ」と言語化して、その時点でS0が特定されたシンボルになる。その後で、初めてS0に対して論理的な関係を使って発展していくことができるようになる。
- Q: ああ、つまりフェルトセンスの間には論理的関係は決めづらい、あくまでも論理的関係はシンボルの間で成り立つものだ、ということ?
- A: そうです。FとFBを直接照合で照らし合わせてるのは、フィーリングというか、しっくりくる、しっくりこない、という感じによって表現される関係であって、論理的な関係ではない
- その理解はまったく正しくて、それをどこか先の方で説明したはずなので先に進みますね
METAPHOR
“私の恋人は赤い赤いバラのようです”という直喩
-
これを見たときに心に浮かぶ意味はどのようにして決まるのか
-
「バラの意味との類似性できまる」という考え
- それは本当か?
- バラと人間は別物
- 「どういう意味で似てるのですか?」と問いかけてみる
- この問いに対して事後的に色々言葉が出てくるかもしれない
- 「生き生きと咲き誇っている」とか
- 「良い香りがする」とか
- 「見ると美しいが触るとトゲに刺される」とか
- 最初に“私の恋人は赤い赤いバラのようです”を見たときに「類似性がわかった感じ」があった後で「意味がわかった感じ」があったのか?
- そうではないはず
- 「類似性」が先にあったのではない
- 「恋人」と「バラ」を組み合わせて同じものを指す、という体験過程(experiencing)が先にあった
- 「どういう意味か?」という問いに対して、意味を言語化しようとする過程で事後的に類似性が導き出された
- 特定の類似性は隠喩的な意味の側面として事後的に「見出され」「創造された」もの
- 「猫は太陽のようなものだ」
- 「わびしいパンダ」
- 「わびしい」というシンボルと「パンダ」というシンボルが組み合わされている体験過程がここにある
- これはどういう意味?と考えることで意味が創造される
- 「毛がボサボサなのかな?」とか
- 意味が創造されたあとで、その「意味」が「二つのシンボルの類似性」になる
- 意味が創造された後でそれが言語化される
-
比喩の作り手の側の話を考える
- ここまでは比喩の受け手の話だった
- 言葉にならないモヤモヤがある
- 「これを何かにたとえられないかな、これは何に似てるかな」
- 彼女はゾウかな?彼女は竹かな?
- 色々考えて「あっ、バラがよさそう」となる
- 「バラ」というシンボルによって呼び出された「意味」と、いま言葉にしたい「モヤモヤ」とに「フィットした感じ」がある
- 似てると感じてから、それがなぜ似ているのかの説明が出てくる
- 「彼女はバラだ、なぜなら、触ると棘が刺さるから」
- 漠然とした経験の、特定の側面を「発見した」「創造した」「特定した」
-
何が比喩における意味の創造を決定するのか(4A2)
- それは直接照合だ(4A2a)
- 我々は言葉になってないモヤモヤと言葉などのシンボルによって呼び出された意味とを直接照らし合わせて「そうだな」と思ったり「違うな」と思ったりできる
- それは直接照合だ(4A2a)
概念と感じられた意味の区別(4A2b)
- 概念(uniquely specified (logical) concepts)と感じられた意味の働き(the functioning of felt meaning)は明確に区別しなければならない
- これが先ほどの概念に関する質問に直接答える節
- 一つの感じられた意味は、いろいろなシンボル化をすることができる (COMPREHENSION)
- このそれぞれのuniquely specified conceptsが同等なのではない
- the functioning of felt meaningがそれぞれ「しっくりくる」ものであるとしても、出力されたシンボルが論理的に同一の意味ということにはならない
- この「しっくりくる」は直接照合によって判定される
- Fの異なる側面をシンボル化しているので当然この二つのSは異なる可能性がある
「意味の創造」はcreation ex nihiloでもarbitrary creationでもない(4A2d)
- ここでいう「意味の創造」は
- 「無からの創造」ではない
- 「任意のものの創造」でもない
- 機能的関係のそれぞれによって創造の度合いは異なる
- METAPHORとCIRCUMLOCUTIONでは感じられた意味自体が作られる
- COMPREHENSIONとRELEVANCEでは、givenな感じられた意味が、シンボルによって修正される
- 新しい意味を創造するわけではない
- だけどもこのgivenなfelt meaningはどこかでdirect referredなので全体としては新しい意味の創造に関わってる
-
- どの場合もゼロから生まれていているわけではない
- 言語化されたシンボル間の論理的な関係は二つのexperienced creationsの後に発生する
- 対象となる概念の創造(感じられた意味のシンボル化)
- シンボル間の関係の創造
- KJ法の説明で良く言うやつ
- 「なにか関係がありそうだぞ、と思うものを近くに置く、その後で事後的に『どういう関係があるのか』を言語化できるようになる」
- こうやってどう言う関係があるのかを言語化した後にそれを言語的に扱えるようになる
- KJ法の説明で良く言うやつ
- ジェンドリンは論理が先ではなく経験が先であることを指して「既存の哲学の順番を反転した!」と言ってる
- それは西洋哲学が言語的思考に重きを置いてきた歴史的経緯があるので反転のように見えてるだけ
- 東洋哲学が身近な我々にとっては別に目新しい話ではない
- 禅の基本的思想
-
不立文字(ふりゅうもんじ)は、禅宗の教義を表す言葉で、文字や言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味。不立文字 - Wikipedia
- 体験の方が本体であって、言葉はそれを限られた力で表現したものにすぎない
-
- 西田 幾多郎の「言葉になる以前の『純粋経験』がある!」なんかも同様
- 野中 郁次郎が「組織の中で言葉になっていない『暗黙知』を共有するためには、同じ経験を一緒にする『共同化』が有益だ」とか言ったのとかも同様
- 川喜田 二郎のKJ法で「混沌をして語らしめる」も、カードを論理的に分類したり整理したりするのではなく、主観的な「なんとなくこの二つは関係ありそうだからそばに置いとこう」(直接照合でフィットした)の状態のままストックして、事後的に言葉が生まれる(混沌が語る)ということ
- エンジニアの知的生産術p.155 グループ編成には発想の転換が必要で僕がKJ法の知識を前提として書いたことをジェンドリンが前提なしで懇切丁寧に書いていたという感じ
- 禅の基本的思想
4Aのまとめ
- なるべく歪めずに翻訳してみた
- 1: 「感じられた意味」は、それが機能するときに、直接照合できる
- 「それが機能するときに」の限定はよくわからない。いつでも直接照合できるし、その時に機能してる
- 2: 「概念」は論理的にユニークに特定されシンボル化されたもの
- 「概念」は「感じられた意味」ではない
- その「概念」は「感じられた意味」の創造的性質を持っていない
- 私たちが「概念」を「持っている」とき、それは「感じられた意味」と結びついている
- 哲学書とかを読んでチンプンカンプンな時、単語が意味と結びついてない
- 概念が定義されているだけではそれを活用することができない
- だからそれを自分の言葉で説明し直したりできない(創造ができない)
- 具体例
- 定義の理解にかける時間を飛ばしても意味がない──エンジニア・光成 滋生(3) | サイボウズ式
- 開集合の概念は明確に定義されている
- しかしその定義を読んだらすぐ使えるようになるのかというとそうではない
- Q:哲学書に限らない?
- A:哲学書に限らない。意味がわからないなーとなる書籍の例として哲学書とか数学者とかを挙げた。他にも不慣れなプログラミング言語の仕様書を読んだりして「クラスとは?」とか「トレイトとは?」とかなったりする
- Q:つまり「ある概念を見て理解した時、それはシンボルとフェルトセンスが結びついた時だ」ということ?
- A: 多分あなたが言いたいことのニュアンスは正しいと思うのだけど「理解」という言葉が未定義だからYesともNoとも言いづらい
- まあ、正しく理解されてると思います、あっ、「理解」って言葉を使っちゃった。つい自然言語で「理解」って言っちゃうけど、「理解」って言葉の定義は不明瞭ですよね
- なので「理解」という言葉を使うのを避けると、「ユージンジェンドリンが持っていたと僕が思っている構造と同じ構造」があなたの中に作られつつあるように僕は感じます
- A: 多分あなたが言いたいことのニュアンスは正しいと思うのだけど「理解」という言葉が未定義だからYesともNoとも言いづらい
- 哲学書とかを読んでチンプンカンプンな時、単語が意味と結びついてない
- その「感じられた意味」に対して直接照合できる
- その「感じられた意味」が「概念」の間の論理的関係を壊さずに、「概念」に対して創造的な働きをできる
- 壊したいときには壊すこともできる
- 3: 意味が創造される過程で働いている「感じられた意味」は、常に直接照合されている。
- それらは「不確定なもの」なのではない
- 既にあるシンボル化がなされていて、更なるシンボル化が可能なのだ
- シンボル化における「感じられた意味」の働きがこの本の探求の対象
determinedでもindeterminateでもない - その「働き」は論理的に決定(determined)されたものではないが、不確定(indeterminate)なものでもない - これ自然言語で説明しようとするから解像度不足で禅問答みたいになってるだけで、確率分布にたとえればわかりやすいと思う - - ある「感じられた意味」が働いたときには、他の「感じられた意味」が働いた時とは違った結果が得られるだろう - つまり「この二つの分布は異なってます」ということ
- これで4Aは終わり
- 次のセクションでは「新しいシンボルが生み出されるプロセス」の中での「感じられた意味」のどのような特徴が機能しているのか掘り下げていく
- Q: 論理的に決定とは?
- A: あるシンボルAとシンボルBを組み合わせた時に一通りのCだけが出てくるのではない、ということ
- Q: この縦線の図は?
- A: 一点だけが返ってくる確率分布
- たとえば1+2は3である、というのは一通りに論理的に決定とはするわけです
- 一方でバラ+恋人は一通りに決まるわけではない
- A: 一点だけが返ってくる確率分布
- Q: 何かを学ぶ人が「完全に理解した」となってから「やっぱりわからん」となるプロセスについて
- A: 「完全に理解した」となったとき、分布の中の一つの解釈を選択してるわけですね、で、その解釈がその時点で観測していたすべての事実と無矛盾である、整合している、だから「完全に理解した」という気持ちになる。しかしこの理解が正しい保証はない
- 文章AとBを読んで「完全に理解した」となった後、別の文章Cを読んだときに「あれ?さっきの解釈と辻褄が合わないぞ?」となる、これが「やっぱり分からん」
- で、戻って「ということはこの解釈か、これならAともBともCとも辻褄があうぞ」となる、こうやって理解が更新される
- 「完全に理解した」の時点では「その人がそれまでに読んだ文章と矛盾しない解釈」
- さらに読み続けたらその解釈と矛盾する文章に出会う
- これを辻褄合わせるために考えて、見つかった時に理解が更新される
- Q: 「概念は論理的にユニークに特定されシンボル化されたもの」の特定とは何か、フェルトセンスが特定されたのか?
- A: たとえば「開集合」という概念が本の中で使われる時、それは「下記の3つの条件を満たす集合ものを開集合と呼ぶ」みたいに明確に特定され、一つの意味だけを指すようなシンボルとして使われている
- このような状態になっているシンボルを「概念」と呼ぶ
- 一方でそのシンボルが個人の中でフェルトセンスに結びついているかどうかはまた別の話
- あるシンボルが「概念である」というのと、ある個人がその概念を「持っている」かは別の話
- 開集合というシンボルは数学辞典を見れば明確に定義されているので「概念である」けど、ランダムな人を捕まえてその人が開集合の概念を使って創造的活動ができるかっていうとそうとは限らない
- 概念は人の中にあるフェルトセンスではなく、人の外にあるシンボル
- で、このシンボルは複数人で同じものを指して使いたい、議論を進める上でそれが有用だから
- なので「この概念はこういう意味です」といろいろな言葉や実例を使って頑張って一通りの意味、ユニークな意味になるように「特定」するわけです
- Q: 「特定され」と言われると「何かに特定する」というように感じられる
- A: それは訳が悪いだけで「特定」「specify」は「select」「create」などと並列してつかわれていて、そんな強い意味で「特定」とは言ってない
-
ユニークな形で特定 《説明》された概念
-
- A: それは訳が悪いだけで「特定」「specify」は「select」「create」などと並列してつかわれていて、そんな強い意味で「特定」とは言ってない
- A: たとえば「開集合」という概念が本の中で使われる時、それは「下記の3つの条件を満たす集合ものを開集合と呼ぶ」みたいに明確に特定され、一つの意味だけを指すようなシンボルとして使われている
- Q: 「わびしいパンダ」はメタファーですか?
- A: 「わびしいパンダ」はメタファーです。
- 世の中一般的な用語としてはメタファーではないかも知れないがこの本の文脈ではそう。
- 二つのシンボルが組み合わされていて、体験過程がつくられているから。
- Q: 「わびしいパンダ」の「わびしい」はパンダを修飾しているような気がする
- 「恋人」と「バラ」は並べてる感じがあるが…
- A: 「わびしさ」と「パンダ」なら?これはいま名詞形に変えただけなのだけど。
- 「わびしさ」と「パンダ」がくっつかないなーと思うのと「恋人」と「バラ」がくっつかないなーと思うのは同じ構図
- 「わびしいパンダは普通じゃん」と思われたなら例の選択が適切でなかっただけ
- なんらかの二つのシンボルをくっつけた例を示したかった
- 「わびしいテレビ」でも「テレビなパンダ」でもいい
- 「わびしいパンダ」はランダムに組み合わせるサイトで作った、僕の予断が入らない例を作りたかったから
- Q: メタファーはシンボル二つからフェルトセンスが作られるという理解で良い?
- A: はい
「新しいシンボルが生み出されるプロセス」の中での「感じられた意味」のどのような特徴が機能しているのか(4B)
- 9個のサブセクションがあるが、7つの機能的関係の説明とは違って「個別のXが9個ある」という感じではない
- 手前のものが発展して次のものになったりしてる
- 一応見出しを眺めておく
- (1) The non-numerical character of experience
- (2) The ”multischematic” character of experience
- (3) Meanings are likenesses and vice versa
- (4) Relation or relata
- (5) Multiplicity
- (6) Any concept is one of many
- (7) Any experienced meaning can (partly) schematize (creatively determine) a new aspect of another experienced meaning
- (8) Every experience is capable of havinng an aspect schematize by any other experience
- (9) Creative regress
- 一単語だったり長めの文章だったりマチマチだな
双子の危険(twin danger)
- 2つの表裏一体の危険性がある
- 危険1: 前回解説した7つの機能的関係のうち、特定の一つだけを重要視してしまい、「感じられた意味」が残り6つの機能的関係でも機能してるという事実を無視してしまう
- 危険2: 「感じられた意味」のことを、シンボルとの間の7つの機能的関係から切り離して、「感じられた意味」単体で議論してしまう
- 第二の危険を回避するためには、7つの機能的関係のうちの一つ「直接照合」を使えば良い
- なのだけどこれをやることによって「直接照合」という特定の一つだけを重要視してしまい第一の危険にはまる。
- だからtwo dangersではなくtwin dangerなのだ。「個別の二つの危険」ではなく「一つのコインの裏表」的な関係のある危険
- 危険2:シンボルとの間の機能的関係から切り離して「感じられた意味」について語っても意味がない、を別の言葉で表現すると
- 「モヤモヤ」が存在するよね!「モヤモヤ」とはなんだろう?とモヤモヤだけに注目してもあまり意味がなく、
- モヤモヤがどうやって言葉になるのか、言葉がモヤモヤにどのような影響を与えるのか、に注目していく必要がある
- これが「感じられた意味」と「シンボル」を切り離してはいけない
- Q: 危険性とは?
- A: 読者がそういう勘違いをすると有益な議論にならないから気をつけてねということ
(1) The non-numerical character of experience
- 日本語では「無数的特徴」
- 今まで「感じられた意味」を「灰色の丸」で表現してきたんだけど、それは適切ではないという話
- 意味は集合ではない
- とはいえ描くのが大変だから今後も灰色の丸で表現します
- 頑張って描くとこんな感じ
- これはいくつ?一つ?二つ?たくさん?
- 薄目で見ると二つに見える、遠く離れればドーナツ的な形の一つに見える、はっきり見ればいくつものストロークがみえる
- 西尾の思いついたメタファー: 経験は高次元空間上の曲線で、まったく同じ経験を繰り返すことはないのでその曲線自体は重ならない。我々が自分の過去の経験を振り返るとき、全ての軸を対等に扱うわけではないので、適当にその時の興味に基づいた低次元空間(この絵では二次元)に投影される。この時に像が重なり合って濃くなるところとそうでないところができる。我々がそれをみて、一部分を切り出して、「ここが一つ」と事後的に考える
- 「感じられた意味」「経験」にはunit(一単位の塊)は存在しないので数を数えられない
- ジェンドリンの表現
- experiencingとan experienceを対比している。
- experiencing(=体験過程)はcountless
- それをspecifyしたり、selectしたり、シンボルを創造したりすることによって「an experience」(=一つの経験)になる
- an experienceは数えられる
- 英語だと「anやsのついてるexperience」なのか「ついてないexperience」なのかでどちらのことを指しているか明確にわかる
- 日本語にするとわかりにくい
-
- 同じ「体験過程」が「二つの経験AとB」としてシンボル化されることも、「一つの経験AB」としてシンボル化されることもある
- なので、AとB「の間にある」ことと、AB「の中にある」ことに本質的な違いはない
- これは後でもう少し詳細に出てくる
(2) The “multischematic” character of experience
- まず原文に忠実に説明すると: experienceをsymbolizeするときschemeは一通りではありませんよ、多スキーム的multischematicですよ、という話
- 抽象的なので具体例を考えてみる
- schemeは一旦「構造」と呼ぶことにする
- 経験について話すときに「まずAが起きて、それからBが起きて、最後にCが起きた」という時間的な構造にすることもできる
- 「今までに何度もXとYが対立する経験をした」みたいに時間的構造ではない形にもできる
- 構造はいくつもありえるよね
- 別の例
- ある著者の本を読んでシンボルAとBとCを経験した、ABCにはその著者の作った構造がある
- 別の著者の本を読んでシンボルXとYとZを経験した、XYZにはその著者の作った構造がある
- ある読者が「A=Xなのでは?」と思う
- 元々は個別の二つの読書経験だったが、心の中でそれが結びついた
- 「感じられた意味」Fが作られた
- それが一つのものとして表出された
- 以降、FをABCの構造の中のAとして表出することもXYZの構造の中のXとして表出することもできる
- ABCの著者の本をさらに読んでABCDEの構造を獲得したら、XとDやEの間の関係も同時に獲得できる
- 抽象的なので具体例を考えてみる
“経験の側面”についての定義
- 経験の側面:aspect of experience
-
- この図の灰色の部分
- 「経験の側面」という用語は、創造的シンボル化によって経験がspecifyされたときに、その結果として生じる物を指して使う。
- 創造的シンボル化は、無数的で多スキーム的である「モヤモヤした経験」のある「側面(aspect)」を創造=specifyする。
- この時、注目している経験Xだけではなく、他の経験Y, Z…に依存しながら側面が創造される。この時、経験XだけでなくY,Zの側面も創造される。
- 経験X以外に他の経験の中のどの経験が、この「側面の創造」の中に含まれて「いた」か、を人は事後的に説明(創造的にspecify)することができる。「側面の創造」が既に行われているなら、この説明はCOMPREHENSIONだ。
- ここで、含まれて「いた」と言ったのは、過去だから。この説明はCOMPREHENSIONのタイミングで行われる(そしてCOMPREHENSIONは「側面の創造」の後に行われる)ので、その時「側面」は「既にそこにある」のだ。
- 「側面」の概念は今後頻出なので、説明しないで先に進むと「定義は?」となりそうだから明記しておいた
- しかし、特に目新しいことを言ってるわけではない
- こういう絵が何度も出てきた
- この灰色の部分にいままで専用の名前はなかった。
- これを「F1の側面がF2によって創造された、同時にF2の側面もF1によって創造された」と表現しますよ、ということ
経験は時間を含んでいる(4B2a)
- 我々は時間の中で生きているので、我々の経験は時間的スキームの中に置くことができる
- ただし常に時間的スキームに置いているわけではないし、時間的スキームが他のスキームに対して優越するわけでもない
- たくさんの種類のスキームの一つにすぎない
- 確実に使えるスキームなのでスキームというものの説明に採用しただけ
- 他のスキームの話が次にある
- 連想したこと
- チャット上での会話をそのまま時系列のチャットログとして保管するのは時間的スキーム
- 自分がScrapboxに書いたものを見返して、ある行Xを見て何か新しい付け加えることを思いついたとする
- 二通りの書き方がある
- Xに箇条書きの子としてぶら下げる書き方
- ページの最後や別のページで、行リンクや引用でXに言及する書き方
- 前者は時間と無関係に、同じテーマの話題が一箇所にまとまっていてほしいと思ってる
- だからその場所に加筆する
- 後者は書き出された時間軸の構造を壊したくないなと思ってる
- だからその場所に加筆するのではなくリンクで指し示して別のところに書く
- 今回僕は前者をやった
- 自分がなぜそれをやったのか考えて、複数のスキームのうち片方を選んだことがわかった
- あるScrapbox上のコミュニティではこれを/villagepump/時間軸指向 v.s. /villagepump/コンテキスト指向or/sta/トピック指向と表現している
- 「テーマ、コンテキスト、トピック」というシンボルで指された「感じられた意味」と「時間軸」というシンボルで指された「感じられた意味」に対立関係がある
- 理想のグループウェアは、議論が時間軸で保存され検索されるだけではなく、トピックによる整理が促進されるものであるべきなのかもしれない
- Scrapboxは全てのページが誰でも編集可能であることで「両方できる」
- そこに「死んだテキストの倉庫」にしてはいけない、チャットログを単に保管しておくのは死んだテキストの倉庫としての利用だ、という作者の思想が加わって、その思想に共感した人の間ではトピックによる整理が促されているだけ
- システムとしての制約ではないのでランダムな組織に導入したら議事録置き場になっちゃうケースも多いんじゃないかなぁ
- Scrapboxは全てのページが誰でも編集可能であることで「両方できる」
- 二通りの書き方がある
- Q: メーリングリストも時間軸で見るのとツリーで見るのとができる
- A: でも別のツリーで話されたトピックを使うのが難しい
- メールという非常に限定された機能で何とかしてトピック指向の整理をしようと頑張った結果があれ
- 全部引用してきて切り貼りして…という作業になっている
- Q: 時間軸の情報が失われるのが怖いから追加で頑張る、GitやScrapboxなら壊してもいい気持ちになる
- A: 時間軸情報を人間に見えるテキストの形で保持しようとしている、しかも発言者も保持しようとしてる、その結果制約が厳しくなっている
- Scrapboxの場合、箇条書きのツリーを共同編集するカルチャーのコミュニティであれば、みんながツリーを育てる
- Q: Kozanebaは時間指向とトピック指向を両立するツール?
- A: どうなのだろう。まず本の文章を刻んで並べてる時は本の中での出現順による時間的スキームだと思う。それから「この指示語は何を指しているのだろう」とか考えて形を作っていくフェーズで文の構文的な構造を反映したスキームに変わっていってると思う。
- 今回この発表資料を作る過程での使い方はそこどまりで、なので説明も順番に読んでいく形になってる
- 一部、双子の危険とか側面の定義とか、くくりだされてる「かたまり」はある
- もうすこし寝かせてから、改めて整理する時には元々の書籍の時間的スキームからだいぶ離れたものになりそう。Kozanebaも結局「どっちもできるツール」だからユーザがどういう気持ちで使うかによるのかな
- Q: 時間的スキームとコンテキスト的スキームを自由に行き来できるのが理想?
- A: 僕は行き来できるのが理想だと思う。
- 整理してる時にトピック軸で整理したいのだが、断片がそれ単体でよくわからない時にはシュッとそれが出てきた時間軸の流れを確認して、なるほどね、となってからまたトピック軸に戻って整理したい
- Kozanebaにその機能があるといいなと以前から考えている、いま「位置」は二次元のベクトルだが、これは高次元のベクトルが二次元に写像されてるだけで、背後に時間軸もある、N人がそれぞれ整理したらそれは2N次元のベクトルになって、射影の方法はたとえばtSNEとかでもいい
- 優先順位が高くないのでまだ実装してない
- Q: 本質的に必要なのは情報の依存関係で、時間関係はそれの代替であると思う
- A: 文章として表現した時に、依存関係のあるものは当然、文章中で近接した位置に来やすい
- なのでそれを読解する時には一旦時間軸の情報を保存した上で読み進めていって、その後で「著者の心の中にあった構造はどのようなものだろう」と読み解くことが必要になる
- Q: 用途によって情報の整理の仕方が、並び替えによらず隠したりとか、用途によって異なるのでは
- A: 話された内容をそのまま保管しておきたい、という倉庫的用途なら時系列のまま取っておくので問題ないが、共通の理解を作ることが必要な用途ではもっとトピック指向のことができる必要があるのでは
- B: ソースコードとGithubでは
- C: 一つのリポジトリではなさそう
- A: 個々人の思ったことを全部吐き出すなら、事前にリポジトリという単位で分けることが難しい、全部入りのリポジトリから事後的に有用なものをピックアップできる仕組みが必要
- 特定(specify)されてない経験は単位を持たない
- 特定されるタイミングで単位が特定され、それと同時にスキーム的関係も特定される
- 時間についても同じことが言える
- 時間的前後関係や瞬間はスキームの一種であり、特定されるまでは時間スキームの中の関係を持たない
- たとえば「ある経験X」があり、それから「ある経験Y」があり、Yから振り返ってみて何かZが「Xの中に既にあった」と言ったりする
- 「これが先にあった」ということは、単に「これ」というよりも多くの説明をしている。
「物」と「過程」(4B2b)
- 時間以外のスキームの例
- 「過程」という言葉は個人的にはしっくりこない
- 「過程」という言葉で僕が思い起こす「感じられた意味」が、それと関連あるとして書かれているシンボル(many place in one time)とうまくフィットしない
- 「川」のたとえと、他の場所でprocessと併置された「運動(motion)」という表現がある
- 「水が川下に動く」という「動き」を考えた時、ある時点において川のいろいろな場所の水は全部「川下への動き」をしている
- まあこれは「いくつもスキームがあるよ」の実例の一つにすぎないので先に進もう
B5までをしっかり、B6〜9を駆け足で準備したが、B2の途中で時間がなくなった
- 次回、B1,B2を振り返ってB3から
- 予定: 「体験過程と意味の創造」勉強会3
予定ほど進まなかったけど一方向的な知識の伝達より双方向的なやりとりをすることの方が大事なことなので、今後もこういう感じで良いと思う これを体験過程と意味の創造の言葉で表現すると…
- 書籍の中の「概念(シンボル)」は勉強会の視聴者Xの中ではまだ「感じられた意味」と結びついてない
- 書籍の一部を引用したり、西尾による別のシンボル化をみたりしてXの中で「こういうことかな?」と「感じられた意味との接続」が行われる。(A)
- これによって、概念を使った創造的な活動が行えるようになる。
- でもこの「感じられた意味」が本や西尾の中の「感じられた意味」と一致するかどうかはわからない。
- なのでXは別の仕方でその「感じられた意味」をシンボル化し、それを西尾に投げかけてみる。西尾はその刺激で新しいシンボル化をしたり、「しっくりくる、こない」と直接照合の結果を返すことができる。
- この相互作用のプロセスによって西尾とXとの間で共通の「ある特定のシンボルがある感じられた意味に接続している状態」が作られる。(B)
- これによって、片方の人の中で、その「感じられた意味」の働きで創造された新しいものを、もう片方の人が容易に理解できるようになる
- これは制度化した言葉だな