from 「体験過程と意味の創造」勉強会1 非論理的段階としての現象学 英語版がネットで公開されてた
他人と話す時
- その瞬間におけるその人の全体を受け入れる
- 彼らの言葉を使って言い表そうとする
- ある一点に集中するために他のものを後回しにする
- 「すべてに同意するわけではない」
- どんなシステムも一つの点を明確に表現(公式化)できる
- その「点」は他のものとの関係においては同じではない
- 後回しにした部分で別の含みがあるから
- 「違う」ははっきりしている。では「同じ」とは何か?
- いくつか明確な表現(公式化)を横断する動きをしながら、一体どういう観点で「共通」の「あの点」になりえるのか?
- それは公約数ではない
- 共通の部分なのではない、という意味
- さまざまな明確な表現(公式化)に反応する奇妙な秩序
- 表現を変換していくことは骨の折れること
- 単一の一貫性のあるパターンが「その点」の全体を包含することはできないだろう
- 何か思いついたときに、言葉が出てくるまで静かに待つ
- 途中で邪魔されると「まさに言おうとしていたこと」ですら忘れてしまう
現象学
- ユージンジェンドリン「現象学者は私の方法のもう半分を持っていた」
- 「“一点”がその明確な表現(公式化)なものだと知っていました」
- 原文知りたいな
- 3つの横断が半分、現象学がもう半分、ということ
- メルロポンティが「機能」や「精密化」に見出したものを、サルトルやヘーゲル派は見いだせなかった、という批判
- フッサール
- 「葛藤する接近法」がいかにして「持ち上げてしまう」ことができるのか
- 弁証法における「止揚」の「持ち上げる」のこと
- 「“一点”がその明確な表現(公式化)なものだと知っていました」
3つ目
- 三つあるなら「半分」じゃないじゃんw
- ディルタイ Wilhelm Dilthey - Wikipedia
- 理解は創造
- ディルタイにとって体験過程は理解
- 我々の内部で創造されることが理解
- 個々の進歩は他のものをさらに創造できるので、それらはそれについての実例となる
- IOFIの原理の話だな
https://1000ya.isis.ne.jp/1708.html ヘーゲルの話も軽く説明すべきか 現象学 現象学 - Wikipedia
- ヘーゲル(1770 - 1831) が1807年に出版した著作『精神現象学』弁証法的現象学
- フッサール (1859 - 1938) が提唱した超越論的現象学
- マルティン・ハイデガー (1889 - 1976) 解釈学的現象学
現象学は思考段階のある種の進歩
- 体験過程と意味の創造は7つの新しい進歩を提起する
- これは何か、を解説したい
カールロジャーズ
- いかにして新しい意識が、浮かび上がった抑圧を検証するために、有機体的経験に対して照合されうるか
- 彼は「対応する真実を探した」
- ユージンジェンドリン
- 別の道
- シンボル化以前の一定の経験を探す代わりに
- いく種類かのステップ
- 「体験過程スケール」となった
- 別の道
カールロジャーズ
- 「人となること」On becoming a Person
ステップの教授法
- 現在フォーカシングと呼ばれている
- 心理療法はやり方を教えるのに失敗している
- 専門的知識を与える方が好き
-
僕的にはチクセントミハイの方がしっくりくる
-
物への質問
- Die Frage nach dem Ding.: Heidegger,
- The Question Concerning the Thing: On Kant’s Doctrine of the Transcendental Principles (New Heidegger Research)
- いい後書きをつけてハイデガーに感謝されたとか書いてるけど
- “What Is a Thing?”
- Amazon
-
by Martin Heidegger (Author), W. B. Barton Jr. (Translator), Vera Deutsch (Translator), Eugene T. Gendlin (Contributor)
- こっちじゃなくて?
- 前者、目次を見る限りユージンジェンドリンは出てこなさそう
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多くの哲学者は
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哲学に還元主義を持ち込むことを恐れて物理学を避ける
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心理学を持ち込むことを避けて人間的な体験過程を避ける
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ハイデガーはあらゆるものが持ち込まれなければならないと考えた
- 僕もそう思うし、現代において歴史的に価値のあるものを生み出したい哲学者はプログラミングを勉強しろよと思ってる(極論)
- 感情ではなく状態性
- 「住まうこと」「状態性」誤解されていた
- 「被投性」が「気分」の中で意味があることの理解が難しい
- 「住まい-思考」が見出され、実行されることがわかりにくい
- ハイデガーは現象学を離れ、出来事を「歴史」に帰属させた
- その結果「現象」が言葉や歴史と切り離せなくなってしまった
- それを多くの人が「あらゆる経験は古い考え方である」と誤解した
- ハイデガーは歴史は「住まうこと」の中で起こると考えた
- 「思考-住まうこと」
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現象は孤立ではなく、あらゆる経験は依存的
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中立的で解釈されていない「現象」が存在するという仮定が失敗
- あらゆる経験は不連続によってのみ破られ得るような暗黙の仮定から完全に派生するということを仮定する、という流れになった
- よくわからん、原文あるかな
- あらゆる経験は不連続によってのみ破られ得るような暗黙の仮定から完全に派生するということを仮定する、という流れになった
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非論理的移行を見落としている
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形成された複雑さを正確に理解するとき、それはその形式を超える時
- 理解してない時は引用しかできない
- まさに今の僕だ
- 理解するということは、その形式の「中に」「住まい-思考」すること
- これは形式「を守ること」よりももっと正確な理解
- 守破離を連想した
- 理解していない時は型を守ることしかできない
- 正確に理解したとき、型が破れる
- 理解してない時は引用しかできない
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「一層の-動き-を求める-秩序」
- いやこれ原語表記を併記して欲しかった
- 〜は一貫性のある原理より、入り組んでおり、複雑
- 形成された形式よりも多くの秩序(order)を持っている
- 強要的に正確なフィードバック
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体験過程
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デリダの「動き」
- 恣意的なものではない
- 個々の動きが、動きのない矛盾に終わる
- 秩序の転覆は無秩序だと考えている
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ディオニソス的経験が既成の種類の経験と共に働くとき、今まで以上の秩序を作り出す
- 既成の秩序の単なる欠如ではない
- 暗黙裡に押し付けられ形成された秩序の産物でもない
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ニーチェの「体-知」、シェライエルマッハー、ディルタイ、メルロ・ポンティ、ハイデッガー
- この秩序は、それ自体を考え、研究できる、という断続的な再認
- そのような思考は、単なるファジーなフェルトセンスではない
- 「正確に」理解しようとする働きが、切断と形式(区別と全体的なパターン)を超越する