ハイデッガーによる講演
- 和訳「技術とは何だろうか」の中に収録されている
- English: Building Dwelling Thinking
2022-01-15〜17 非論理的段階としての現象学で紹介されていた。特にこの文章の中でEugene T. Gendlinは「dwell-think」にフォーカスしており、僕は住むことと考えることに関してハイフンでつなぐほどの強い関係を感じたことがなかったのでどういう意味で繋いでいるのか興味が湧いた。
- 散らばって書かれているので紹介しづらいが例えばここ
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We do not need to surrender what is already formed. When we precisely understand its formed intricacy, that is just when we exceed its forms. When we don’t understand a book, we can only quote it. To understand it is to dwell-think in its forms, and that is more precise than the forms.
- 訳: 我々は「既に構造化されたもの」に降伏する必要はない。我々が複雑な構造を正確に理解した時、それはその構造を超える瞬間だ。書籍を読んで理解できない時、我々はそれを引用することしかできない。書籍を理解するということは、その書籍の構造の中にdwell-thinkするということであり、それは書かれた構造よりももっと正確な理解なのだ。
- つまり「理解とはdwell-thinkだ」と言ってて、これは「理解とは何か」を理解したい僕にとって見逃せない情報。
ハイデッガーはこう書いた
-
考えること自体も、建てることと同じ意味で、ただし別の仕方で、住むことに属しています。
- つまり、まず建てることがどのような意味で住むことに属しているのか理解する必要がある。
- ハイデッガーはこの「建てる」「住む」という言葉を、現代においてその単語が指している意味ではなく、古語においてどのような意味であったかを考える。
- 現代の解釈だと「住むこと」を目的として「建てること」が行われ、「建てること」は「住むこと」の手段、というように二つは別々の行為と認識される。
- しかし古語においては「建てること」=「住むこと」だった
- この「住む」は「滞在する」「存在する」と密接に関連した概念だった
- ここからハイデッガーは「建てることは本来住むことである」「住むとは、人間の存在の根本動向だ」と考える。
- 次にハイデッガーは「建てる」について掘り下げる
- この「建てる」は「船や寺院を製作すること」という現代語における「建てる」に近しい意味の他に「畑を耕す」「葡萄を育てる」「おのずから果物を実らせる草木の成長を、保護する」「世話をする」「面倒を見る」「労わる」といった意味と関連している。
- これを踏まえてハイデッガーは「住むことの根本動向は、労わること」と考える。
- 「労わる」という言葉でハイデッガーが指しているのは「積極的な」「何かをその本質へ戻してやる」こと
- ハイデッガーがここまででやってきたような「単語を現代の意味ではなくその本来の意味に戻して解釈すること」は「労わる」ことの一種
- これは明示的には書いていない。
- ハイデッガーは「考えること自体も、建てることと同じ意味で、ただし別の仕方で、住むことに属しています。このことは、今回試みてきた思索の道に証しされているかもしれません。」と書いている。
- この「試みてきた思索の道」で行われている「単語を現代の意味ではなくその本来の意味に戻して解釈すること」が「積極的に何かをその本質へ戻してやる」という意味で「労わる」の一種だと考えれば全体的に辻褄があう。
- つまりそのような種類の「考える」は「労わる」であり、「建てる」であるので「住む」である。この意味で「考えること自体も、建てることと同じ意味で、住むことに属している」が成立する
- 「ただし別の仕方で」と言っているのは「建てる」ことが「場所としての物」を作り出すことで「労わる」という仕方とは別ということ
- (この仕方についてこのページでは本題ではないので解説しなかったが、元の文章ではかなりいろいろ書いている)
- 理解とdwell-thinkについて
- ハイデガーは労わることの一つの具体的なやり方として単語をその本来の意味に立ち返って他の単語との関係を見るというアプローチを行った
- 現代における意味ではなく、本来の意味
- 僕は労わることの一つの具体的なやり方として、ハイデガーの使った単語を、勝手に解釈しないで他の単語との関係を見るというアプローチを行った
- 辞書的な意味ではなく、ハイデガーが表現しようとした意味
- 単語をKozaneba上に置いて関係を可視化した
- だからどちらも「労わる=考える」(schonen-denken)してる
- 労わることが住むことの根本動向なので、これがdwell-thinkである
- 非論理的段階としての現象学でEugene T. Gendlinの言った「書籍を読んで理解できない時、我々はそれを引用することしかできない。書籍を理解するということは、その書籍の構造の中にdwell-thinkするということであり、それは書かれた構造よりももっと正確な理解なのだ。」を思い出してみよう
- このdwell-thinkのプロセスによって、僕はハイデッガーの書いたものを単に引用するだけではなく「書かれてないけどこう考えれば全体的に辻褄が合う」と書かれていないものの言語化ができている=書かれた構造よりも正確な理解
- 今この段落でやっているようにハイデガーとユージンジェンドリンの両方に対して辻褄があっている
- ハイデガーは労わることの一つの具体的なやり方として単語をその本来の意味に立ち返って他の単語との関係を見るというアプローチを行った
---履歴
- 2021-12-08 理解とは型の中で考えること
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理解した: 「住まう」とこざね法
- と書いてから「本当に理解しているのか?」と疑問に思って、ハイデッガーの書いたものを読もうと考えた
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- 2021-12-10 ざっと読んだ感想
- 建てること、住むこと、考えること:ざっと読んだ感想
- ざっと読んで理解できるタイプの文章ではないのでじっくり読む必要がある、と判断した
- 2021-12-25, 2022-01-11, 2022-01-13 Kozaneba:dwell-think
- 「住まう」とこざね法に書いた「理解=仮説」
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付箋の配置によって擬似的に「相手のシンボル空間」を作り出して、その中で活動することで「住まう」のだ
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- この「理解=仮説」が正しいか検証するために、それを実践して結果を観察した
- 当初「住まう」に対して自分が持っていた解釈とハイデッガーが「住まう」という言葉で指した意味とは違うことがわかった
- 「住まう」とこざね法に書いた「理解=仮説」
- 2022-01-13
- ハイデガーは労わることの一つの具体的なやり方として単語をその本来の意味に立ち返って他の単語との関係を見るというアプローチを行った
- 現代における意味ではなく、本来の意味
- 僕は労わることの一つの具体的なやり方として、ハイデガーの使った単語を、勝手に解釈しないで他の単語との関係を見るというアプローチを行った
- 辞書的な意味ではなく、ハイデガーが表現しようとした意味
- だからどちらも「労わる=考える」してる
- ハイデガーは労わることの一つの具体的なやり方として単語をその本来の意味に立ち返って他の単語との関係を見るというアプローチを行った