Plurality の地図

韓国での Plurality の広がりってなに?

韓国では『Plurality』の韓国語の商業版はまだ確認できず、全章を読める訳は非公式の機械翻訳だけです。そのかわり、タンの来韓講演や、ワイルの前著『래디컬 마켓』、韓国自身の熟議の制度を通して、考え方が少しずつ紹介されてきました。

韓国には、市民がネットで政府に政策を提案したり、無作為に選ばれた市民の代表団が国の難しい問題を話し合ったりしてきた経験があります。台湾のオードリー・タン(Audrey Tang、韓国語では 오드리 탕)も、韓国の催しで何度も講演しています。ところが、タンとグレン・ワイル(E. Glen Weyl、글렌 웨일)の書籍『Plurality』そのものは、韓国ではまだあまり読まれていません。韓国では、この本の考えはどんな道すじで届いてきたのでしょうか。

ひとことで言うと

2026 年 10 月の時点で、『Plurality』の韓国語の商業版は確認できません。全章を韓国語で読めるのは、有志による非公式の機械翻訳だけです[1][2]。

そのかわりに、本の考えは、別の入口から少しずつ紹介されてきました。タン本人の来韓講演やインタビュー、ワイルの前著『래디컬 마켓』(『ラディカル・マーケット』)、そして韓国自身が積み重ねてきた熟議(じっくり話し合って決めること)や市民参加の議論です[3][4]。

たとえば

はじめての来韓(2017 年 4 月 12 日)。 タンは、ソウルの東大門デザインプラザ(DDP)で開かれたハッキング防御の国際大会「코드게이트 2017」で基調講演をするため、はじめて韓国を訪れました。取材に対してタンは、開かれた政府とは、誰もが政府の公共データにアクセスでき、市民が政策の過程を理解して意見を出せる環境のことだ、と答えています[5]。

「特異点ではなく多元性の時代」(2024 年 9 月 11 日)。 同じ DDP で開かれたスタートアップの催し「트라이 에브리싱 2024」で、タンは「다원성」(多元性)という考えを強めていきたい、と話して講演を始めました。記事の見出しは、AI の時代には特異点(シンギュラリティ)ではなく「다원성의 시대」(多元性の時代)が近づいていると言うべきだ、というものでした[3]。

사람과디지털포럼(2025 年 6 月 25 日)。 ハンギョレ新聞社の研究所が毎年開くフォーラムで、タンは「디지털 집단지성은 여전히 민주주의의 미래인가」(デジタルの集合知は、いまも民主主義の未来か)という題で基調の発表をしました。報道によれば、タンは、垂直的な AI ではなく水平的な AI を作るべきだと述べました。そして「미래는 단일하지 않다. 미래는 복수다」(未来は一つではない。未来は複数だ)という言葉で締めくくっています[6]。

くわしく

本より先に「人」が来た

韓国語でまず広まったのは、本ではなくタン本人の姿でした。2020 年には、慶尚南道が「コロナ 19 と地域(ローカル)の民主主義」をテーマに開いた国際フォーラムで、タンが基調のセッションを担いました[7]。OhmyNews はタンが事前に出した発表文を紹介し、「特異点(singularity)が近づいたという話を聞いたら、多元性(plurality)があることをいつも思い出そう」という趣旨の呼びかけを伝えています[8]。2023 年には、教育放送 EBS の講義番組『위대한 수업』(偉大な授業)に出演しました[9]。

ワイルは、2019 年に出た『래디컬 마켓』の韓国語版(부키 刊、박기영 訳)で知られています[4]。2020 年には IT 系メディアの IT조선 のビデオ通話のインタビューで、제곱투표(クアドラティック投票)などを説明しました[10]。→ ラディカル・マーケット・クアドラティック投票

政治の事情が影を落としたこと

2021 年 12 月 16 日、大統領直属の第 4 次産業革命委員会は、ソウルでの国際会議で予定していたタンの発表を、当日になって取り消しました。ハンギョレの報道によれば、委員会が挙げた理由は「中国と台湾の関係のさまざまな面を考えた」というものでした。台湾の外交部は、台北にある韓国の代表部の代理代表を呼んで抗議しています[11]。タンはのちに日本の対談で、この件で韓国の人々との関係が変わったことはない、と話しました(聯合ニュースの記事)[12]。

2024 年 3 月 18 日にソウルで開かれた第 3 回民主主義サミットでは、タンは映像で演説しました。ハンギョレは、政府が中国の反発を考えて、演説を事前に公表せず、対面ではなく映像の形を選んだとみられる、と報じています[13]。

翻訳:公式の窓口はあるが、訳文がない

本の公式の案内ページ(README)には、韓国語訳へのリンクがあります。リンク先は 2024 年 2 月に載ってから二度差し替えられ、2025 年 9 月からは個人のリポジトリ(GitHub 上の置き場)を指しています[14]。そのリポジトリは自らを「공식 한국어 번역 저장소」(公式の韓国語翻訳の置き場)と呼び、韓国語版は出版の準備中で、訳文と図版を CC0(誰でも自由に使える形)で公開する予定だと書いています。けれども、2026 年 10 月の時点で訳文は入っていません[14]。

全章の韓国語訳としては、OpenAI の Codex で機械翻訳したものが別のリポジトリにあります。人の目での確認は通っておらず、公式の訳でもないと明記されています[2]。韓国の大手のネット書店で探しても、알라딘で出てくるのは英語の原書だけで、예스24 では該当がありませんでした[1]。→ 本の版と翻訳

韓国の制度との接点

韓国には、本が扱う熟議や市民参加と重なる経験があります。2017 年には、政府の政策提案の場「광화문1번가」に、約 20 万人が合わせて 118,705 件の提案を寄せました[15]。同じ 2017 年の 8 月には、大統領府のネット請願「청와대 국민청원」が始まりました(2022 年 5 月に廃止)[16]。また同じ年には、原子力発電所「신고리 5·6호기」の建設を続けるかどうかを、500 人の市民参加団の熟議にかける「公論化」が行われています[17]。

2025 年 6 月のフォーラムでは、李在明政権の国政企画委員会の報道官をつとめる조승래議員が、「국민주권위원회」(国民主権委員会)を作って、AI を使ったさまざまな方法での市民参加を考えている、と話しました[6]。

日本との行き来

韓国のメディアは、日本の動きも伝えています。2025 年 10 月のハンギョレのインタビューでタンは、チームみらいの安野貴博が「내가 쓴 책인 ‘다원성’」(私が書いた本『多元性』)を読んで政治に加わったそうだ、と話しました。ここでの『多元性』は『Plurality』のことです[18]。

2026 年 5 月には、改革新党の이준석代表が安野と会いました[19]。その対談で安野は、選挙で一人が投票したあと議員に届けられる情報の量はとても少ない、という点を、タンもよく言うこととして挙げています[20]。同じ年の 7 月には、ソウル大学の研修団が東京で、市民の技術の集まり DD2030 と懇談しました[21]。→ チームみらい・デジタル民主主義2030・日本での Plurality の広がり

ずれも見える

政府の「AI민주정부」(AI 民主政府)の戦略は、24 時間の AI 相談や「AI 国民秘書」など、行政サービスを前に出しています[22]。これに対し、市民参加の場を運営してきた社会的協同組合 빠띠(Parti)の理事長 권오현は、AI のガバナンス(運営と統制)の中に市民の席を作り、AI を公共財として扱う「민주적 에이아이」(民主的な AI)を唱えました[23]。

どこが議論になっているか

よくある誤解

Plurality の中での位置

本は韓国を主な題材にしていません。英語版 3-3 章「失われた道」は、⿻ の要素にすぐれた台湾以外の国を並べる中で、一文だけ「South Korea has invested extensively in both digital services and digital competence education.」(韓国はデジタルのサービスとデジタルの能力の教育の両方に大きく投資してきた)と触れます[27]。6-5 章「学習」は、国際的な学力調査の 2022 年の報告を引き、パンデミックの間に流れに逆らって伸びた国の一つに韓国を挙げています[28]。

韓国での語られ方は、本の中の 台湾のデジタル民主主義 や vTaiwan の紹介と、ラディカル・マーケット 以来の クアドラティック投票 に集まっています。日本のような、有志の翻訳コミュニティから出版、政党の政策へと続く流れは、韓国ではまだ見えません。

ほかの国・地域の記事:

もっと知りたい人へ

  1. タンの 2024 年の講演の報道(韓国語・記事、アジアトゥデイ)— https://www.asiatoday.co.kr/kn/view.php?key=20240911010007744
  2. 사람과디지털포럼 2025 の報道(韓国語・記事)— https://www.eroun.net/news/articleView.html?idxno=58605
  3. 韓国語の非公式の機械翻訳(韓国語・訳文、CC0)— https://github.com/ynginkim/plurality-ko-codex
  4. 公式の案内から行ける韓国語訳のリポジトリ(韓国語・README)— https://github.com/hwnprc/plurality-korean
  5. 『Plurality』3-3「The Lost Dao」(英語・本、CC0)— https://www.plurality.net/v/chapters/3-3/eng/

出典

  1. 알라딘での検索(「플루럴리티」、2026-10-02)— https://www.aladin.co.kr/search/wsearchresult.aspx?SearchTarget=Book&SearchWord=%ED%94%8C%EB%A3%A8%EB%9F%B4%EB%A6%AC%ED%8B%B0
  2. ynginkim/plurality-ko-codex(非公式の機械翻訳)— https://github.com/ynginkim/plurality-ko-codex
  3. アジアトゥデイ「AI 시대, 특이점이 아닌 ‘다원성의 시대’ 다가온다고 말해야」(2024-09-11)— https://www.asiatoday.co.kr/kn/view.php?key=20240911010007744
  4. 알라딘『래디컬 마켓』の書誌 — https://www.aladin.co.kr/shop/wproduct.aspx?ItemId=209332518
  5. OhmyNews のタンへの取材(2017)— https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002316156
  6. 이로운넷の사람과디지털포럼の記事(2025-06-26)— https://www.eroun.net/news/articleView.html?idxno=58605
  7. 中央日報の慶尚南道のフォーラムの記事(2020)— https://www.joongang.co.kr/article/23887348
  8. OhmyNews の台湾のデジタル社会革新の記事(2020)— https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002684921
  9. 한국강사신문の EBS『위대한 수업』の記事(2023)— https://www.lecturernews.com/news/articleView.html?idxno=127975
  10. IT조선のワイルへのインタビュー(2020)— https://it.chosun.com/news/articleView.html?idxno=2020070301621
  11. ハンギョレ「한국, 탕펑 대만 정무위원 발표 취소…외교 결례 논란」(2021)— https://www.hani.co.kr/arti/international/china/1024171.html
  12. 聯合ニュース「한국 연설 취소된 대만 장관 "한국인과의 관계에 영향 없다"」(2022)— https://www.yna.co.kr/view/AKR20220116015000073
  13. ハンギョレ「대만, 서울서 열린 민주주의정상회의에 화상 연설…중국 반발」(2024-03)— https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1132832.html
  14. 本のリポジトリの PR #1097 と韓国語訳のリポジトリ — https://github.com/pluralitybook/plurality/pull/1097 / https://github.com/hwnprc/plurality-korean
  15. 韓国語版 Wikipedia「광화문1번가」— https://ko.wikipedia.org/wiki/%EA%B4%91%ED%99%94%EB%AC%B81%EB%B2%88%EA%B0%80 [CC BY-SA 4.0]
  16. 韓国語版 Wikipedia「청와대 국민청원」— https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%B2%AD%EC%99%80%EB%8C%80_%EA%B5%AD%EB%AF%BC%EC%B2%AD%EC%9B%90 [CC BY-SA 4.0]
  17. 김정인の論考(プレシアン、2026-09-27)— https://www.pressian.com/pages/articles/2026092314572957576
  18. ハンギョレ「가짜정보 속도보다 해명이 더 빨라야…2·2·2원칙 중요」(2025-10-01)— https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1221666.html
  19. 京郷新聞「이준석, 일본 ‘테크 정당’ 팀미라이 대표 만났다」(2026-05)— https://www.khan.co.kr/article/202605291503001
  20. 동행미디어 시대の安野と이준석の特別対談(2026-05)— https://www.sidae.com/article/2026052709243067747
  21. ソウル大学の研修団の記事(2026)— https://www.snu.ac.kr/snunow/snu_story?md=v&bbsidx=174815
  22. 大韓民国政策ブリーフィング「'AI민주정부' 본격 추진」(2026)— https://www.korea.kr/news/policyNewsView.do?newsId=148970591
  23. ハンギョレの 2026 東アジア市民社会カンファレンスの記事 — https://www.hani.co.kr/arti/economy/it/1273845.html
  24. 京郷新聞のコラム「‘답정너’ 공론화도 민주주의인가」(2026-09)— https://www.khan.co.kr/article/202609132002025
  25. OhmyNews の寄稿(2025)— https://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0003193584
  26. 個人ブログの読書記録(Naver、2025)— https://blog.naver.com/katie_booktiful/224129685556
  27. 『Plurality』3-3「The Lost Dao」— https://www.plurality.net/v/chapters/3-3/eng/ [CC0]
  28. 『Plurality』6-5「Learning」— https://www.plurality.net/v/chapters/6-5/eng/ [CC0]

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