ハンガリーでの Plurality の広がりってなに?
2020 年の夏、ブダペストに住む 1 万人の家の郵便受けに、市から一通の招待状が届きました。くじで選ばれた市民が集まり、気候の問題を話し合って、市に提言を出してほしい、という呼びかけです。台湾のオードリー・タン(Audrey Tang)とグレン・ワイル(E. Glen Weyl)の書籍『Plurality』も、話し合いの参加者をくじで選ぶやり方(抽選)を取り上げています[1]。ハンガリーでは、この本の考えはどこまで届いているのでしょうか。
ひとことで言うと
2026 年 10 月の時点で、『Plurality』のハンガリー語訳は見つかっていません。タンやワイルを取り上げたハンガリー語の報道も、わずかしか見つかりませんでした[2][3]。
Plurality と重なるのは、台湾の偽情報対策を学ぼうとする市民団体の動きと、ブダペスト市が 2020 年から開いてきた、くじで選ばれた市民による会議(市民会議)や、住民が予算の使い道を決める参加型予算です[4][5]。ただし、集まった材料はまだ薄く、この記事で言えることも限られています。
たとえば
ハンガリーの記者の問い。 タンの対話の記録には、ハンガリーのメディア HVG.hu の記者 Nagy Gábor による取材があります。Nagy は「I'm talking from Hungary」(ハンガリーから話しています)と前置きし、ハンガリーではコロナの前から政府を信頼していなかった、台湾はどうやって信頼を築いたのか、と尋ねました[6]。
タンは、2014 年 3 月には政権の支持率が 9.2% か 10% ほどだったこと、そのとき自分たちが議会を 3 週間占拠したこと、そしてその年の末ごろに政府が「開かれた政府」を国の方針にしたことを挙げて答えました[6]。なお、この記録の日付は 2020 年 1 月 19 日ですが、問答はヨーロッパでのコロナの流行に触れていて、日付と中身が合わない可能性があります[6]。
台湾への視察(2022 年 12 月)。 ハンガリーの団体 Political Capital は、Lakmusz(編集長の Zöldi Blanka)などの団体と 5 日間、台湾を訪れました。視察を組んだのは、台北にあるハンガリーの代表部と台湾の外交部です。一行は、偽情報を探して明らかにする台湾の市民団体などと会いました。Political Capital によれば、翌月に始める「Magyar Digitális Média Obszervatórium」(ハンガリーのデジタルメディア観測所)の参考にするためでした[4]。
ブダペストの気候の市民会議(2020 年)。 市は、住民の住所の登録から無作為に選んだ 1 万人に招待状を送りました。応募した人の中から、年齢・性別・学歴・住む場所の偏りが出ないように、50 人をくじで選びます。市は DemNet 財団の参加と調整のもとで会議を開き、参加者は 2 つの週末をかけて専門家の話を聞き、話し合って提言をまとめました[7]。
くわしく
本の訳は見つかっていない
本の元の置き場(GitHub)にある 160 件の複製(fork)には、ハンガリー語のディレクトリがありません(このサイトによる 2026 年 10 月の暫定の数え)。公式サイト plurality.net の言語の一覧にも、ハンガリー語はありません[2]。ワイルの前著『Radical Markets』(ラディカル・マーケット)の訳も確かめられていません。2026 年の Hetek の記事は、書名を英語のまま書いています[8]。国立セーチェーニ図書館の目録での確認はまだです。
報道に出てくるワイルとタン
Hetek は 2026 年 7 月、ローマ教皇の回勅(教皇が出す公式の文書)と AI 企業の話を書いた記事で、ワイルに触れました。記事によれば、ワイルは英誌 The Economist への寄稿で、シリコンバレーには神が必要だと書きました。記事はワイルを Microsoft の研究者で、RadicalxChange を創設した人と紹介し、『Radical Markets』は 2018 年に、右からも左からも議論を呼んだ、と書いています。これは Hetek の見方です[8]。→ ラディカル・マーケット
タンについては、Denník N のサイトにあるハンガリー語の Napunk が、2022 年に台湾を紹介した文章で取り上げています。そこではタンが「az első vállaltan transzgender tagja a kormánynak」(トランスジェンダーであることを公にした最初の閣僚)として紹介されています[9]。
媒体ごとの扱いの違いは比べられるか
後で紹介する論文は、ハンガリーの政権寄りの媒体の性格を論じています[10]。では、タンの扱いは媒体によって違うのでしょうか。主な報道サイトの中で「Audrey Tang」を検索すると、Magyar Nemzet・Index・Telex はどれも 0 件でした(このサイトによる 2026 年 10 月の暫定の数え)。HVG・444・Qubit・Origo では、検索の結果をうまく読み取れませんでした。0 件は、記事が無いことの証明ではありません[3]。今ある材料では、媒体ごとの扱いの違いを比べることはできません。
タンの対話に出てくるハンガリー
タンの対話の記録でハンガリーに触れているのは、ほとんどが相手の人の発言です。たとえば Beth Simone Noveck は 2018 年、誰かが「They very chillingly paint the picture」(ぞっとするほど描き出している)とする像を紹介する形で、今日の民主主義の危険は街の戦車ではない、と話しました。その例として、プーチンやエルドアンなどと並べて「Orbán in Hungary」(ハンガリーのオルバーン)を挙げています[11]。2020 年には、Alliance of Democracies Foundation の Jonas Parello-Plesner が、コロナの危機を権力の集中に使う指導者がいるとして、「In Europe, Hungary stands out」(ヨーロッパではハンガリーが目立つ)と述べました[11]。どちらも、話した人自身の見方です。
偽情報と Community Notes
Lakmusz は 2025 年 1 月、Meta が外部のファクトチェックをやめ、X の Community Notes(利用者が投稿に補足を付ける仕組み)をまねた方式に移ると発表したことを報じました。記事は、国際的なファクトチェックの団体による批判も紹介し、ハンガリーでの Meta の提携先は AFP だと書いています[12]。同じ年の 7 月には、約 22 万件の Community Notes を調べたオックスフォード大学の研究を紹介しました[13]。→ Community Notes
atlatszo.hu は 2024 年 7 月、台湾に向けた中国の情報戦を報じ、台湾のファクトチェックの仕組み Cofacts の共同創設者 Billion Lee に話を聞いています[14]。→ Cofacts
市民会議と参加型予算
ブダペスト市は、2020 年(気候の緊急事態)、2021 年末(EU)、2022 年(大気汚染)の 3 回、市民会議を開きました[5]。2020 年の会議では、参加者が、建物のエネルギーや交通、気候の危機の伝え方など 8 つの主題を挙げました。市は、気候の専門家の班がそれを新しい気候戦略に入れる、と伝えています[15]。
副市長の Kerpel-Fronius Gábor は告知の中で、市民会議は、社会にあるさまざまな意見と目的が「egy helyen találkozzanak egymással」(一か所で出会う)ための方法だ、と述べました[7]。
参加型予算(közösségi költségvetés)は、ハンガリー語の Wikipedia によれば、2019 年の地方選挙のあとに急に増えました。国の法律による決まりは無く、取り入れるかどうかは自治体が決めます[16]。ただしブダペストの市議会は 2025 年 12 月、2026 年の市の参加型予算の実施を、市の財政が安定するまで延ばすことを決めました。それまでに選ばれた案の実施は続くとされていますが、一部の案の予算は、自転車の道や路面電車の事業などに回されました[17]。
市民テック(市民が技術で社会の課題に取り組む活動)では、K-Monitor が 2007 年から、公金を透明に使うことと汚職を減らすことを掲げて活動しています。K-Monitor は、独立を保つためにハンガリーの国からの支援を受けない、としています[18]。→ シビックテック
どこが議論になっているか
- 市民会議を支える仕組み。 Pospieszna らの論文(2025 年)は、ハンガリーには市民会議を明示的に扱う法律の枠組みが無いと書きます。さらに、政権寄りの媒体は異論を抑え、おおむね公式の議題に従っている、とも書いています(Hann ほか 2020 年の研究を引いた、著者らの見方です)[10]。同じ論文の著者らは、右派ポピュリズムの政府が権力のチェックを弱めて市民が政策に参加する道を減らし、ブダペストを含む自治体の財政の自由もここ数年厳しく制限されてきた、と書いています[10]。この記事で使った材料には、政府の側からの見方を示すものはありません。
- Community Notes で偽情報は減るか。 Meta は、専門家にも偏りがあり、ファクトチェックの仕組みが検閲の道具になってしまうことが多すぎた、と移行の理由を説明しました。これに対し、ヨーロッパのファクトチェックの団体の代表は、証拠にもとづく決定というより、政治的な動機による動きに見える、と批判しました[12]。Lakmusz は、自分たちでハンガリーで Community Notes を試したとき、事実の誤りの無い投稿にも補足が付くことがある、補足そのものに誤りがありうる、などの問題に気づいた、と書いています[13]。
- 参加の仕組みとお金。 2026 年の市の参加型予算は、市の財政の安定を待つとして延期されました[17]。上の論文も、自治体の財政の自由が制限されていることを、地方の民主主義の課題として挙げています[10]。
Plurality の中での位置
本の英語版は、ハンガリーを取り上げていません。本は 5-4 章「拡張熟議」で、くじで選ぶ市民の話し合いの場を、参加者の選び方の一つとして取り上げています[1]。けれども、本が扱う話し合いと参加の道具(拡張熟議・クアドラティック投票)と、ハンガリーの事例を直接つないだ資料は見つかりませんでした。
重なりは、台湾の市民テック(Cofacts・台湾のデジタル民主主義)への関心、Community Notes をめぐる議論、くじで選ぶ市民会議にとどまります。ハンガリー語の Wikipedia には、参加型予算の票の数え方の一つ「Method of Equal Shares」(egyenlő részvétel módszere)の記事がありますが、ハンガリーで使われた例は書かれていません[19]。
ほかの国・地域の記事: ポーランド・チェコ・ドイツ語圏・台湾
もっと知りたい人へ
- ブダペスト市の市民会議のページ(ハンガリー語・市のページ)— https://budapest.hu/nyitott-budapest/reszveteliseg/budapesti-kozossegi-gyules
- HVG.hu の記者によるタンの取材の記録(英語・対話の記録、CC0)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2020-01-19-Interview-with-HVG.hu.md
- Political Capital の台湾視察の報告(ハンガリー語・団体の記事)— https://politicalcapital.hu/hirek.php?article_read=1&article_id=3136
- Pospieszna ほか「Diverse roles and perceptions of public officials and NGOs in local citizens' assemblies」(英語・論文、CC BY 4.0)— https://doi.org/10.1080/03003930.2025.2481390
出典
- 『Plurality』5-4「Augmented Deliberation」— https://www.plurality.net/v/chapters/5-4/eng/ [CC0]
- pluralitybook/plurality の fork の一覧(GitHub、2026-10-02 に確認)— https://github.com/pluralitybook/plurality/forks [CC0]
- ハンガリーの報道サイトでの「Audrey Tang」の検索(Magyar Nemzet ほか、2026-10-02)— https://magyarnemzet.hu/kereses?global_filter=Audrey+Tang
- Political Capital「A Political Capital látogatása Tajvanra 2022 decemberében」(2022-12-22)— https://politicalcapital.hu/hirek.php?article_read=1&article_id=3136
- Budapest Főváros Önkormányzata「Budapesti közösségi gyűlés」— https://budapest.hu/nyitott-budapest/reszveteliseg/budapesti-kozossegi-gyules
- タンと HVG.hu の Nagy Gábor の取材の記録(CC0)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2020-01-19-Interview-with-HVG.hu.md [CC0]
- Budapest Portál「Klímaügyi közösségi gyűlésre hív 10 ezer budapestit a Fővárosi Önkormányzat」(2020-08-07)— https://budapest.hu/hirek/2020/08/07/klimaugyi-kozossegi-gyulesre-hiv-10-ezer-budapestit-a-fovarosi-onkormanyzat
- Hetek「A Szilícium-völgy legnagyobb átverése: Hitrendszert kódolnak a gépekbe, de kihagyják belőle a Teremtőt」(2026-07-09、冒頭のみ確認)— https://www.hetek.hu/cikkek/kulfold/2026julius/a-papai-enciklikatol-az-mi-laborok-uzleti-terveig
- Napunk「Ázsia bajnoka – Tajvan, a létező, nem létező ország」(2022-08-15)— https://napunk.dennikn.sk/hu/2967942/azsia-bajnoka-tajvan-a-letezo-nem-letezo-orszag/
- Paulina Pospieszna ほか「Diverse roles and perceptions of public officials and NGOs in local citizens' assemblies – A comparative analysis of the cases of Poland and Hungary」(Local Government Studies、2025、CC BY 4.0)— https://doi.org/10.1080/03003930.2025.2481390 [CC BY 4.0]
- タンの対話の記録集(2018-09-20 の New York University での対話、2020-04-07 の Jonas Parello-Plesner との対談ほか、CC0)— https://github.com/audreyt/transcript [CC0]
- Lakmusz「Zuckerbergnek hirtelen eszébe jutott, hogy mégsem jó a Facebook tényellenőrző programja, amire eddig büszke volt」(2025-01-08)— https://lakmusz.hu/2025/01/08/zuckerbergnek-hirtelen-eszebe-jutott-hogy-megsem-jo-a-facebook-tenyellenorzo-programja-amire-eddig-buszke-volt
- Lakmusz「A republikánusok még Musk platformjának önkéntes tényellenőrei szerint is több dezinformációt terjesztenek, mint a demokraták」(2025-07-02)— https://lakmusz.hu/2025/07/02/a-republikanusok-meg-musk-platformjanak-onkentes-tenyellenorei-szerint-is-tobb-dezinformaciot-terjesztenek-mint-a-demokratak
- atlatszo.hu「Igazi és AI-generált influencereket is bevet Kína a Tajvan elleni információs háborúban」(2024-07-11、CC BY-NC-SA 4.0)— https://atlatszo.hu/vilagterkep/2024/07/11/igazi-es-ai-generalt-influencereket-is-bevet-kina-a-tajvan-elleni-informacios-haboruban/ [CC BY-NC-SA 4.0]
- Budapest Portál「Edukáció, épületkorszerűsítés és forgalomcsillapítás - így küzdenének a klímaváltozás ellen a budapestiek」(2020-10-01)— https://budapest.hu/hirek/2020/10/01/edukacio-epuletkorszerusites-es-forgalomcsillapitas-igy-kuzdenenek-a-klimavaltozas-ellen-a-budapestiek
- Wikipedia(ハンガリー語)「Közösségi költségvetés」(CC BY-SA 4.0)— https://hu.wikipedia.org/wiki/K%C3%B6z%C3%B6ss%C3%A9gi_k%C3%B6lts%C3%A9gvet%C3%A9s [CC BY-SA 4.0]
- Budapest Főváros Önkormányzata「Később indul a közösségi költségvetés」(2025-12-22)— https://budapest.hu/hirek/2025/12/22/kesobb-indul-a-kozossegi-koltsegvetes
- K-Monitor「Rólunk」(CC BY-SA 4.0)— https://k-monitor.hu/rolunk [CC BY-SA 4.0]
- Wikipedia(ハンガリー語)「Egyenlő részvétel módszere」(CC BY-SA 4.0)— https://hu.wikipedia.org/wiki/Egyenl%C5%91_r%C3%A9szv%C3%A9tel_m%C3%B3dszere [CC BY-SA 4.0]
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