フランス語圏での Plurality の広がりってなに?
フランスは、市民がくじで選ばれて政策を話し合う「市民会議」を、国の規模で何度も開いてきた国です。そういう国で、台湾から来た「デジタルで民主主義を広げる」という考えはどう受け止められたのでしょうか。この記事では、書籍『Plurality』の仏訳の状況と、オードリー・タン(Audrey Tang)とフランス語圏の人々との関わりをたどります。
ひとことで言うと
フランス語圏では、書籍『Plurality』の仏訳は、2023 年に RadicalxChange のパリの支部の人たちが始めた部分訳の草稿で止まっています[1]。フランス国立図書館(BnF)の目録にも、2026 年 10 月の時点で仏語版は登録されていません[2]。
一方で、タンは本が出るずっと前の 2016 年からパリで紹介されてきました[3][4]。フランスの市民参加の団体 Make.org と組み[5][6]、国民議会の調査委員会でも証言しています[7]。フランス語圏の聞き手との対話では、タンのやり方が、フランスの「大討論」や市民会議と並べて語られてきました[8][9]。
たとえば
途中で止まった仏訳(2023 年 12 月)。 原書の案内のページは「French」として、RadicalxChange Paris のサイトの複製(fork)の中にある「Plurality, le livre - G Weil」というフォルダを挙げています。作業の記録(commit)は 2023 年 12 月 15〜16 日の 2 日間だけです。訳されているのは、当時の章立ての序章の前半の一部だけで、残りの 2 つのファイルは英語のままです[1]。この序章は、いまの版の 2-0 章「広がる溝」に当たります[1]。→ 2-0 章
大討論の話でもちきりになった vTaiwan(2019 年 1 月)。 大討論(Grand débat national)は、フランスで 2019 年に政府が全国で開いた、市民の意見を集める話し合いです。フランスの哲学者シンシア・フルリー(Cynthia Fleury)との対話で、タンは、2 日前の vTaiwan(台湾の市民と政府が法案を話し合う場)の会合は、ほとんど大討論の話だったと述べました。大討論のサイトを作ったのは Cap Collectif で、オンラインの部分の実行は信頼しているが、社会的な仕組みの部分はわからない、とも語っています[9]。
くわしく
担い手:RadicalxChange France と Make.org
RadicalxChange France は、自分たちを RadicalxChange 財団の独立したフランスの支部だと説明しています。重点はヨーロッパとフランス語圏の取り組みに置く、としています[10]。2024 年 5 月には、タンとグレン・ワイル(E. Glen Weyl)のヨーロッパ巡回の一部として、パリの技術見本市 VivaTech での基調講演と、パリ政治学院(Sciences Po)での催しが予定として告知されました[11]。
Make.org は、市民の参加を広げ、多くの人が合意できる案から社会を変えることを掲げる、フランスの団体です[12]。テレビ局 France 24 は 2018 年、タンが Make.org の取り組みに加わると伝えました[5]。2025 年 2 月にパリで開かれた「AI アクション・サミット」では、タンは Make.org などを代表して出席した、と台湾の国際放送 Rti の仏語版が報じています[6]。
Make.org は 2024 年、パリ政治学院・ソルボンヌ大学・国立科学研究センター(CNRS)と組んで、民主主義のための生成 AI の研究計画「Communs Démocratiques(民主主義のコモンズ)」を始めました。発表によると、国の投資計画「France 2030」の支援を受け、公的投資銀行 Bpifrance が 600 万ユーロを出します[12]。タンは 2026 年の対談で、自分はその取り組みの科学顧問だと、「I believe(たしか)」と添えて述べています[8]。→ 市民の AI
紹介のされ方
2016 年 1 月、ラジオ局 France Culture はタンを、自らを「市民ハッカー(hackeuse civique)」と名乗る人として紹介しました[4]。同じ年の 3 月、パリの SuperPublic での講演では、主催者が、タンはこの数日でほとんどフランスのスターになった、と紹介しています[3]。
2023 年 4 月には、国民議会の「外国からの干渉」についての調査委員会でタンの聴聞がありました。報告書は、透明性を高めて市民社会に頼るべきだという文脈でタンの言葉を引いています。そして報告者は、台湾の経験は本当によく考えてみる価値がありそうだ、と書きました[7]。
本そのものを正面から紹介したのは、2024 年の雑誌 L'ADN の記事です。記事は、本が誰でも書き換えを提案できる共同執筆の本だと紹介しました。また、タンが Plurality を「多様性のあるところで協働を促す哲学」と定義したと伝え、例として Polis による Uber の話し合いと Community Notes を挙げています[13]。
France Culture の 2023 年のページでは、タンは、台湾ではデジタル化と民主主義を同じ漢字で書く、と語っています[14]。同じ番組の英語の記録では、「數位」は plural(複数の)の意味もあるので、自分は「plural minister」でもある、と言っています[15]。→ 數位と ⿻
フランスの市民会議と並べて
2019 年 4 月、マクロン大統領は大討論のしめくくりの記者会見で、くじで選んだ 150 人の市民による会議を開くと発表しました。そこから出たものは「sans filtre(手を加えずに)」議会の採決・国民投票・規則のどれかにかける、と約束しています[16]。この「気候のための市民会議」の公式サイトは、会議は大討論の結論、市民団体の提案、経済社会環境評議会(CESE)から生まれたものだと説明しています[17]。
タンは 2019 年 5 月の取材で、大討論を、人々が議題を決められる社会的な工夫だと評しました。2 年や 4 年ごとの投票は、情報科学で言えば 2 ビットの情報が上がるだけで、政府が何をすべきかを知らせるには足りない、とも述べています[18]。フランスの団体 Missions Publiques のイヴ・マチュー(Yves Mathieu)は、2020 年のタンとの催しで、司会者から、くじで選ばれた市民によるフランスの気候会議を最近共同で運営した人として紹介されました。マチューは、気候の市民会議はすばらしい経験だったと述べ、くじで選ばれた人々を一つの部屋に集めると、知恵のある解決策と信頼が生まれる、と語りました[19]。
Polis そのものもフランスで使われました。シンクタンクの Terra Nova は 2023 年、警察と住民の関係について Pol.is で意見を集めました。すると、はっきり対立する 2 つのグループが現れました。それでも、両方のグループが賛成する提案もありました。警察官の研修を強めることと、地域に密着した警察を復活させることです[20]。
一方で、くじ引きの市民会議とオンラインの意見集めは、そのままつながるわけではありません。研究者たちの論文によると、気候の市民会議の公開サイトには約 3,400 件の投稿が寄せられましたが、その大部分は使われませんでした。主な理由として挙げられたのは、市民たちがほかの情報ですでに手一杯だったことです[21]。タンは 2026 年の対談で、自分が話しているのはプラットフォームではなくプロトコル(手順の決まり)であり、全国的な対話だけでなく、ふだんの SNS の会話でも動かせる、と語っています[8]。
どこが議論になっているか
- フランスの civic tech(市民のための技術)の事情。 研究者のクレマン・マビ(Clément Mabi)は 2018 年、タンとの対話で、フランスでは行政が公共調達を通じてスタートアップと組むので、市民ハッカーの場が育ちにくい、と問いかけました。タンは、台湾ではこれはあまり問題にならず、市民社会の正統性のほうが政府より高い、と答えています[22]。
- 『Radical Markets』への評(2019 年)。 ワイルがエリック・ポズナー(Eric Posner)と書いた前の本について、雑誌 Le Grand Continent の書評は、提案される部分的な共同所有がかえって富の集中を招く可能性も否定できない、と書きました。お金に換えられない価値を無視している、とも指摘しています。そのうえで、立法の手引きとしてより、政治哲学への貢献として読むとよい、としました[23]。哲学者のガスパール・ケニグ(Gaspard Koenig)は、ワイルの「急進的な市場」を、自由主義を作り直す案の一つに挙げています[24]。→ ラディカル・マーケット
- 台湾の「守られなかった約束」。 スイスの swissinfo は 2024 年、市民が偽情報対策に加わったことは成功だったと書きました。その一方で、台湾の中央研究院の法学者、蘇彦図(Yen-Tu Su)の評も伝えています。長く掲げられてきた市民のデジタルな政治参加は、これまで大したものを生んでいない、という評です[25]。→ Plurality への批判
- 合意は真実か。 雑誌 Usbek & Rica は 2025 年、Community Notes について、社会データ科学のコンサルタント、フロラン・ルフェーヴル(Florent Lefebvre)の「合意は必ずしも真実ではない」という指摘を伝えました。ブルッキングス研究所の研究者の、意見の違う人どうしの合意にもとづく管理は、分断の強い話題ではとても難しい、という言葉も引いています[26]。
- Polis への疑問と、その答え。 Terra Nova の報告によると、結果を話し合う場では、合意を探すと、合意しやすいだけの弱い提案が持ち上がるのでは、という疑問が出ました。報告の書き手は、その危険は小さく、Polis は対立も見えるようにする、と答えています。ただし、試験的な協議で、参加者は社会の縮図とは言えなかったとみられること、提案の多くがまだ大まかな方向にとどまることも認めています[20]。
- 市民会議の約束。 2026 年の対談で、聞き手のジュリアン・ドヴォレックス(Julien Devaureix)は、気候の市民会議では、大統領が提案を受け入れると約束したのに何も起きず、信頼を損ねた、と述べました。これは聞き手の評価で、タンの言葉ではありません[8]。
Plurality の中での位置
フランス語圏で実際に動いた仕組みとしては、Terra Nova が使った Polis があります[20]。Make.org との協働は、市民のための AI を作る 市民の AI の流れにあります[12][8]。
ほかの言語圏での広がりとあわせて読むと、違いが見えてきます。
- 日本での Plurality の広がり — 有志の翻訳が完結し、日本語版が刊行された例
- ドイツ語圏での Plurality の広がり — 同じく市民会議の伝統がある地域
- スペイン語圏での Plurality の広がり・イタリアでの Plurality の広がり
- RadicalxChange — パリの支部の母体
- オードリー・タン — フランス語圏での紹介の中心にいた人
もっと知りたい人へ
- L'ADN「Le meilleur livre pour inventer la démocratie dans un monde numérique」(フランス語・記事、2024)— https://www.ladn.eu/nouveaux-usages/le-meilleur-livre-pour-inventer-la-democratie-dans-un-monde-numerique/
- France Culture「Taïwan : contre la Chine, une démocratie numérique radicale」(フランス語・番組ページ、2023)— https://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/l-invite-e-des-matins/tawian-contre-la-chine-une-democratie-numerique-radicale-4610629
- タンとシンシア・フルリーの対話(英語・記録、2019)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2019-01-18-Conversation-with-Cynthia-Fleury-Perkins.md
- 国民議会 外国干渉調査委員会の報告書(フランス語・公文書、2023)— https://www.assemblee-nationale.fr/dyn/16/rapports/ceingeren/l16b1311-t2_rapport-enquete
- 仏訳の草稿(フランス語・訳文、2023)— https://github.com/xitobal/radicalxchangeparis.github.io/tree/main/public/Plurality%2C%20le%20livre%20-%20G%20Weil
- Giraudet ほか「Co-construction in deliberative democracy」(英語・論文、2022)— https://doi.org/10.1057/s41599-022-01212-6
出典
- 仏訳の草稿「Plurality, le livre - G Weil」(RadicalxChange Paris、2023-12)— https://github.com/xitobal/radicalxchangeparis.github.io/tree/main/public/Plurality%2C%20le%20livre%20-%20G%20Weil [CC0]
- フランス国立図書館 総合目録(SRU、2026-10-02 照会)— https://catalogue.bnf.fr/api/SRU
- Conference at SuperPublic(2016-03-02)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2016-03-02-Conference-at-SuperPublic.md [CC0]
- France Culture「Audrey Tang : Portrait d'une hackeuse」(2016-01-27)— https://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/les-nouvelles-vagues/audrey-tang-portrait-d-une-hackeuse-4959278
- France 24「Audrey Tang, la hackeuse taïwanaise devenue ministre」(2018-11-16)— https://www.france24.com/fr/20181116-audrey-tang-taiwan-tournesols-makeorg-civictech-smartphones-futurapolis-postgenre
- Rti「Audrey Tang participe au Sommet pour l'action sur l'IA de Paris」(2025-02-11)— https://www.rti.org.tw/fr/news?uid=3&pid=135948
- 国民議会 外国干渉調査委員会 報告書(タンの聴聞 2023-04-12)— https://www.assemblee-nationale.fr/dyn/16/rapports/ceingeren/l16b1311-t2_rapport-enquete
- Interview with Julien Devaureix(2026-02-25)— https://archive.tw/2026-02-25-interview-with-julien-devaureix [CC0]
- Conversation with Cynthia Fleury-Perkins(2019-01-18)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2019-01-18-Conversation-with-Cynthia-Fleury-Perkins.md [CC0]
- RadicalxChange France のサイト — https://github.com/RadicalXChangeParis/radicalxchangeparis.github.io [MIT]
- RadicalxChange「2024 Plurality European Tour」— https://www.radicalxchange.org/events/2024-plurality-european-tour/
- Sciences Po「Lancement des « Communs Démocratiques »」(2024-05-24)— https://newsroom.sciencespo.fr/lancement-des-communs-democratiques-une-initiative-de-recherche-francaise-prend-le-lead-mondial-pour-construire-une-ia-ethique-au-service-de-la-democratie/
- L'ADN「Le meilleur livre pour inventer la démocratie dans un monde numérique」(2024)— https://www.ladn.eu/nouveaux-usages/le-meilleur-livre-pour-inventer-la-democratie-dans-un-monde-numerique/
- France Culture「Taïwan : contre la Chine, une démocratie numérique radicale」(2023-06-09)— https://www.radiofrance.fr/franceculture/podcasts/l-invite-e-des-matins/tawian-contre-la-chine-une-democratie-numerique-radicale-4610629
- Interview with French Public Radio(2023-06-08)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2023-06-08-Interview-with-French-Public-Radio.md [CC0]
- エリゼ宮「Conférence de presse grand débat national」(2019-04-25)— https://www.elysee.fr/emmanuel-macron/2019/04/25/conference-de-presse-grand-debat-national
- Convention citoyenne pour le climat 公式サイト — https://www.conventioncitoyennepourleclimat.fr/
- Interview with Marjorie Paillon(2019-05-08)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2019-05-08-Interview-with-Marjorie-Paillon.md [CC0]
- Digital Democracy – What Europe can learn from Taiwan(2020-09-07)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2020-09-07-Digital-Democracy-%E2%80%93-What-Europe-can-learn-from-Taiwan.md [CC0]
- Thierry Pech・Foulques Renard「Pol.is sur la Police, bilan d'une expérimentation」(Terra Nova、2023-10-16)— https://www.lagrandeconversation.com/societe/pol-is-sur-la-police/
- Giraudet ほか「"Co-construction" in deliberative democracy: lessons from the French Citizens' Convention for Climate」(2022)— https://doi.org/10.1057/s41599-022-01212-6 [CC BY 4.0]
- Conversation with Clément Mabi(2018-10-04)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2018-10-04-Conversation-with-Cl%C3%A9ment-Mabi.md [CC0]
- Le Grand Continent「Radical Markets : abolir la propriété pour libérer le capitalisme」(2019-12-25)— https://legrandcontinent.eu/fr/2019/12/25/radical-markets-abolir-la-propriete-pour-liberer-le-capitalisme/
- Gaspard Koenig「Quel libéralisme pour demain ?」(Les Echos、2019-12-18)— https://www.lesechos.fr/idees-debats/cercle/quel-liberalisme-pour-demain-1157297
- swissinfo「Le combat de Taïwan contre la désinformation numérique」(2024-05-19)— https://www.swissinfo.ch/fre/democratie/le-combat-de-taiwan-contre-la-desinformation-numerique/77077031
- Usbek & Rica「Les « notes communautaires » sont-elles le futur des réseaux sociaux ?」(2025-01-11)— https://usbeketrica.com/fr/article/les-notes-communautaires-sont-elles-le-futur-des-reseaux-sociaux
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