ポルトガル語圏での Plurality の広がりってなに?
住民が集まって、市の予算の使い道を自分たちで決める。「参加型予算」と呼ばれるこのやり方は、1989 年にブラジルの都市ポルトアレグレで始まりました。台湾でも同じ仕組みが使われていて、オードリー・タン(Audrey Tang)は、その手本の一つがポルトアレグレだったと語っています。この記事では、ポルトガル語を話すブラジルとポルトガルで、書籍『Plurality』とその周りの考えがどう受け止められてきたかをたどります。
ひとことで言うと
タンとグレン・ワイル(E. Glen Weyl)の書籍『Plurality』には、2026 年 10 月の時点でポルトガル語訳がありません。2025 年 1 月のブラジルの新聞 Folha de S.Paulo も、本はまだポルトガル語に訳されていないと書いています[1][2]。
ブラジルでは、研究所 ITS Rio に属する弁護士のロナルド・レモス(Ronaldo Lemos)が、Folha のコラムでクアドラティック投票や『Plurality』を紹介してきました[3][4][5]。2024 年 6 月には、タンとワイルがブラジルを訪れています[4]。ポルトガルでは、本や二人を取り上げた報道は見つかっていません。
たとえば
タンとワイルの来訪(2024 年 6 月)。 レモスは 2024 年 6 月 23 日のコラムで、いまタンがブラジルにいる、と書きました。タンは 23 日にリオデジャネイロ、24 日に首都ブラジリアを訪れる予定で、ワイルも一緒でした。二人は新しい本「Plurality(Pluralidade)」を出すところで、本はネットで無料でダウンロードできる、と紹介しています[4]。
市議会でのクアドラティック投票(2021 年)。 クアドラティック投票は、一人が複数の票を持ち、一つの案にまとめて入れるほど割高になる投票のやり方です。レモスによると、ITS は 2021 年、RadicalxChange と組んで、ブラジルでこの投票を研究し始めました[3]。グラマド(Gramado)やジョアン・ペソア(João Pessoa)などの都市で、この方式を使った試みがありました。グラマドの市議会は、何を採決にかけるかの順番を決めるのにこの方式を試しています[5]。レモスは、ポルトガル語で初めてのクアドラティック投票のサイト Concordamos.com.br を作るのに加わった、とも書いています[6]。
くわしく
伝え手としてのレモス
いちばん目立つ伝え手はレモスです。2024 年のコラムでレモスは、『Plurality』を、ブラジルが自分で作ってきた参加の仕組みと結びつけました。ブラジルが生んだ参加型予算はいまではドバイからニューヨークまで使われていること、1988 年の憲法づくりには郵便で 7 万 2 千件を超える意見が寄せられたこと、インターネットの基本法「Marco Civil da Internet」がオンラインで開かれた形で作られたこと、を挙げています。本はブラジルがかつて多元性に野心的だったことを思い出させる、というのがレモスの読み方です[4]。
ワイルとブラジル
ワイルとブラジルのつながりは、『Plurality』より前、ワイルが法学者エリック・ポズナーと書いた『Radical Markets』の時期からあります。ブラジル版『Mercados radicais』は 2019 年に Portfolio-Penguin から出ました。訳はデニーゼ・ボットマン(Denise Bottmann)、336 ページです[7]。
刊行のときの新聞 Estadão の記事によると、ワイルは 2007 年の夏に数か月をリオで過ごしました。豊かな地区とスラムの差などを見たことが、本の考えを形にする助けになった、と記事は書いています[8]。レモスの 2024 年のコラムは、ワイルがリオのヴィジガル(Vidigal)地区に住んでいた、と書いています[4]。→ ラディカル・マーケット
タンとブラジル
タンは 2020 年に Folha の記者パウラ・ソプラナ(Paula Soprana)の取材を受け、偽情報への対策「humor over rumor(うわさにはユーモアで)」を語りました[9]。記者がブラジルの「フェイクニュース」をめぐる議論を尋ねると、タンは、中国語では news と journalism が同じ語なので「fake news」という言葉は使わず、disinformation(偽情報)と言う、と答えています(英語の記録、CC0)[10]。
2025 年の Folha の取材では、タンは SNS の相互運用性(別の会社のサービスどうしをつなげること)を、ブラジルの即時決済 Pix にたとえました。メールのように、また特定の銀行に口座がなくても使える Pix のように、という説明です[2]。Pix は本の 4-3 章にも、途上国の政府が作った公的な即時決済の例として出てきます[11]。
参加型予算と Brasil Participativo
ポルトアレグレの参加型予算は 1989 年に始まりました。市の発表によると、2025 年の集会には 18,055 人が集まり、始まって以来 2 番目に多い参加者でした[12]。タンは 2025 年のポッドキャストで、台湾の参加型予算の仕組みはブラジルのポルトアレグレ、そしてマドリードとバルセロナから学んだと語っています[13]。
2025 年の Folha の記事は、記者の地の文で次のように書いています。タンは 1990 年代に労働者党(PT)の市政が考えた参加型予算を着想の一つに挙げる。しかしブラジルではこの仕組みは年を追って勢いを失った。ルラ大統領が導入した連邦政府の参加の場「Brasil Participativo」は、ほかの主題に重きを置いている、と[2]。
Brasil Participativo は 2023 年、国の複数年計画(PPA)に入れる提案を市民から集めました[14]。ただし、このサイトが集めた資料の範囲では、Brasil Participativo を『Plurality』や Polis と直接結びつけた一次資料は見つかっていません。
クリチバ市とワイル(2025 年)
2025 年 6 月、ブラジルの都市クリチバの市長が、ワイルと RadicalxChange のパウラ・ベルマン(Paula Berman)を迎えました。市の発表によると、目的は「合意のアルゴリズム(algoritmos de consenso)」にもとづく道具をクリチバで使う話し合いで、市長はその使い方を検討すると述べました。市の発表はこの道具を、ワイルが開発し台湾で試されたものと書いています[15]。RadicalxChange の側は、同じ月にクリチバの公務員向けの研修を開き、Pol.is とクアドラティック投票を体験してもらったと報告しています[16]。
ポルトガル
ポルトガルで見つかった接点は 2016 年にさかのぼります。2016 年 3 月 4 日、タンはコインブラ大学の社会研究センター(CES)でセミナーを行いました。主催は、参加型予算のための情報技術の基盤を作る研究計画 EMPATIA で、まとめ役はジョヴァンニ・アッレグレッティ(Giovanni Allegretti)です。タンはそこで、台北市が参加型予算を始めるまでの経緯も説明しました[17]。2017 年の経済ニュースサイト ECO の記事は、ポルトガルでは 118 の参加型予算が行われていて、ヨーロッパでも多い国の一つだと伝えています[18]。
どこが議論になっているか
- 『Mercados radicais』への批判。 経済学者モニカ・デ・ボッレ(Monica de Bolle)は Estadão に、本は政治と行動経済学を無視し、市場の合理性に「魔法の力(poder mágico)」を与えている、と語りました。同じ記事は、デ・ボッレの示すように、この本は政治哲学の本として読むのがよいかもしれない、とも書いています[8]。→ Plurality への批判
- Community Notes は効いているか。 米紙ワシントン・ポストの記者ジェフリー・ファウラー(Geoffrey A. Fowler)の試用記を、Folha が訳して載せました(2025 年)。ファウラーが Meta のサービスで 4 か月に書いた 65 本の注のうち、公開されたのは 3 本で、5% に満たなかったといいます。理由の可能性の一つとしてファウラーは、意見の違う人どうしの賛成を求める「橋渡しのアルゴリズム(algoritmo de ponte)」の条件を満たすほど多様な参加者を、Meta が集められていないのかもしれない、と書いています[19]。→ Community Notes・ブリッジング
- 参加の場の運用。 Folha のコラム「Painel」によると、Brasil Participativo では最初の 1 か月で、利用規約にもとづいて 2,420 件の提案のうち 20 件が除かれました。そのうち 11 件は、紙の投票記録を求める提案でした[14]。また 2023 年 7 月 14 日の夜の時点では、医療の地域職員など、特定の職業の待遇改善を求める提案が投票の上位を占めていました[20]。
- クリチバの道具は誰が作ったのか。 市の発表は、話し合った道具を「ワイルが開発した」と書いています[15]。一方、RadicalxChange の報告が名前を挙げる研修の道具は Pol.is とクアドラティック投票です[16]。Pol.is の開発者たちが書いた論文の著者(クリストファー・スモール、コリン・メギルら)に、ワイルの名前はありません[21](Polis の記事を参照)。
よくある誤解
- 「ポルトガル語版がある」。 GitHub には「Tradução para português(ポルトガル語訳)」と名乗る複製(fork)がありますが、中身は原書のままで、訳文はありません[1]。
Plurality の中での位置
本の本文(英語版)では、ブラジルは 4 か所に出てきます。4-3 と 7-0 では公的な即時決済の例(Pix)として[11][24]、2-0 では 2022 年の国連の電子政府発展指数で 49 位と、いくつかの専制主義国より下の順位として[22]、3-3 では「ケニア、ブラジル、特にインドは開発のためのデジタルインフラの先駆者」として出てきます[23]。日本語版にも同じ箇所があります。ブラジルの参加型予算と本を結びつけてきたのは、レモスのコラムやタン自身の発言です[4][13]。→ デジタル公共インフラ
ブラジルで実際に動いた仕組みは、グラマドやジョアン・ペソアの クアドラティック投票 と、クリチバの研修で使われた Polis です[5][16]。担い手として RadicalxChange が関わっています。
ほかの言語圏と比べて読むと、違いが見えてきます。
- 日本での Plurality の広がり — 有志の翻訳が完結し、日本語版が出た例
- スペイン語圏での Plurality の広がり — 台湾が参加型予算を学んだもう一つの地域
- イタリアでの Plurality の広がり・フランス語圏での Plurality の広がり
もっと知りたい人へ
- Ronaldo Lemos「Audrey Tang, maior nome da democracia digital, está no Brasil」(ポルトガル語・コラム、2024)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/ronaldolemos/2024/06/audrey-tang-maior-nome-da-democracia-digital-esta-no-brasil.shtml
- Folha「Livro mostra como Taiwan aposta em internet e participação social」(ポルトガル語・記事、2025)— https://www1.folha.uol.com.br/tec/2025/01/livro-mostra-como-taiwan-aposta-em-internet-e-participacao-social-para-driblar-discurso-de-odio.shtml
- タンとパウラ・ソプラナの対話(英語・記録、2020、CC0)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2020-07-18-Interview-with-Paula-Soprana.md
- タンのコインブラでのセミナー「Fork the Government」(英語・記録、2016、CC0)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2016-03-04-Fork-the-Government-at-CES.md
- RadicalxChange「Pol.is and Quadratic Voting in Curitiba」(英語・報告、2025)— https://www.radicalxchange.org/updates/announcements/2025-06-polis-and-quadratic-voting-in-curitiba/
出典
- GitHub elvis-sik/plurality-portuguese(fork の記録)— https://github.com/elvis-sik/plurality-portuguese [CC0]
- Folha de S.Paulo「Livro mostra como Taiwan aposta em internet e participação social para driblar discurso de ódio」(2025-01-03)— https://www1.folha.uol.com.br/tec/2025/01/livro-mostra-como-taiwan-aposta-em-internet-e-participacao-social-para-driblar-discurso-de-odio.shtml
- Ronaldo Lemos「Tendências de tecnologia para 2021」(Folha、2021-01)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/ronaldolemos/2021/01/tendencias-de-tecnologia-para-2021.shtml
- Ronaldo Lemos「Audrey Tang, maior nome da democracia digital, está no Brasil」(Folha、2024-06-23)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/ronaldolemos/2024/06/audrey-tang-maior-nome-da-democracia-digital-esta-no-brasil.shtml
- Ronaldo Lemos「Brasil pode apontar caminhos da democracia」(Folha、2021-12)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/ronaldolemos/2021/12/brasil-pode-apontar-caminhos-da-democracia.shtml
- Ronaldo Lemos「Mudança no voto do BBB traz uma lição」(Folha、2024-01)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/ronaldolemos/2024/01/mudanca-no-voto-do-bbb-traz-uma-licao.shtml
- Companhia das Letras『Mercados radicais』(2019)— https://www.companhiadasletras.com.br/9788582850831-mercados-radicais-7445/p
- Estadão「Economista propõe sistema 'mais socialista que Marx e mais livre mercado que Friedman'」(2019-04-27)— https://www.estadao.com.br/cultura/economista-propoe-sistema-mais-socialista-que-marx-e-mais-livre-mercado-que-friedman/
- Folha「Meme é arma de Taiwan contra desinformação sobre coronavírus, diz ministra」(2020-09-12)— https://www1.folha.uol.com.br/mercado/2020/09/meme-e-arma-de-taiwan-contra-desinformacao-sobre-coronavirus-diz-ministra.shtml
- Interview with Paula Soprana(2020-07-18)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2020-07-18-Interview-with-Paula-Soprana.md [CC0]
- 『Plurality』4-3「Commerce and Trust」— https://www.plurality.net/v/chapters/4-3/eng/ [CC0]
- ポルトアレグレ市「Orçamento Participativo de 2025 mobilizou 18 mil pessoas」(2025-08)— https://prefeitura.poa.br/smgov/noticias/orcamento-participativo-de-2025-mobilizou-18-mil-pessoas
- Audrey Tang「Accelerating AI Ethics: AI and Democracy」(2025-08-05)— https://archive.tw/2025-08-05-accelerating-ai-ethics-ai-and-democracy [CC0]
- Folha「Painel: Plataforma de sugestões populares para o orçamento barra pedido de voto impresso」(2023-07)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/painel/2023/07/plataforma-de-sugestoes-populares-para-o-orcamento-barra-pedido-de-voto-impresso.shtml
- クリチバ市「Curitiba estuda plataforma digital para ampliar diálogo com a população」(2025-06-27)— https://www.curitiba.pr.gov.br/noticias/curitiba-estuda-plataforma-digital-para-ampliar-dialogo-com-a-populacao/78087
- RadicalxChange「Pol.is and Quadratic Voting in Curitiba」(2025-06-30)— https://www.radicalxchange.org/updates/announcements/2025-06-polis-and-quadratic-voting-in-curitiba/
- Fork the Government at CES(2016-03-04)— https://github.com/audreyt/transcript/blob/main/2016-03-04-Fork-the-Government-at-CES.md [CC0]
- ECO「Portugal tem 118 orçamentos participativos, um dos melhores valores europeus」(2017-04-09)— https://eco.sapo.pt/2017/04/09/portugal-tem-118-orcamentos-participativos-um-dos-melhores-valores-europeus/
- Folha「Zuckerberg demitiu checadores de fatos, e testamos o substituto deles」(2025-08-04)— https://www1.folha.uol.com.br/tec/2025/08/zuckerberg-demitiu-checadores-de-fatos-e-testamos-o-substituto-deles.shtml
- Folha「Painel: Pautas corporativistas lideram votação em plataforma participativa do governo federal」(2023-07-15)— https://www1.folha.uol.com.br/colunas/painel/2023/07/pautas-corporativistas-lideram-votacao-em-plataforma-participativa-do-governo-federal.shtml
- Christopher Small ほか「Polis: Scaling Deliberation by Mapping High Dimensional Opinion Spaces」(RECERCA、2021)— https://doi.org/10.6035/recerca.5516 [CC BY-SA 4.0]
- 『Plurality』2-0「ITと民主主義 拡大する溝」— https://www.plurality.net/v/chapters/2-0/jpn/ ;英語版 2-0「Information Technology and Democracy: A Widening Gulf」— https://www.plurality.net/v/chapters/2-0/eng/ [CC0]
- 『Plurality』3-3「失われた道」— https://www.plurality.net/v/chapters/3-3/jpn/ ;英語版 3-3「The Lost Dao」— https://www.plurality.net/v/chapters/3-3/eng/ [CC0]
- 『Plurality』7-0「政策」— https://www.plurality.net/v/chapters/7-0/jpn/ ;英語版 7-0「Policy」— https://www.plurality.net/v/chapters/7-0/eng/ [CC0]
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