人は生まれつき能力に大差ないから努力してみんな標準的に成長しよう、というのが日本の平等って考え。アメリカとかは最初っから人は生まれつき大差ある子がいるから、それぞれにあった教育を受けられるのが平等。考え方から変えなきゃギフテッド教育なんてできない。

なるほど。「生まれ持った本来の能力には違いがないはず」という「平等主義」的な教育は、パフォーマンスの差を「努力」に帰属させてしまい、かえって子どもたちを非互恵的再分配政策に対して否定的にさせてしまうという話。 →反競争的な教育が助け合いを減らす? https://twitter.com/otenkiiina100/status/1130640069495181313?s=21

反競争的な教育が助け合いを減らす? 大竹文雄の経済脳を鍛える 日本経済研究センター

競争よりも協力を重視する教育の一番極端なものは、様々な成績の順位をつけないというものだろう。日本でも運動会で順位が明確になる徒競走を種目に入れないとか、仮に徒競走をしても順位をあえて付けない、極端な場合は手をつないで全員一緒にゴールするというようなことをした小学校もあった。そういう教育慣行を小学校で受けた人たちは、競争を嫌い、互恵的になっただろうか。Ito, Kubota and Ohtake(2014)の分析結果は衝撃的だ。反競争的な教育を受けた人たちは、利他性が低く、協力に否定的で、互恵的ではないがやられたらやり返すという価値観を持つ傾向が高く、再分配政策にも否定的な可能性が高い。おそらく教育が意図したことと全く逆の結果になっているのではないだろうか。