僕のScrapbox上でのある種のアクティビティを表現するのによい言葉がないので「リンク化」という言葉をひねり出してつかってきたのだけども、よく考えたら説明したことがなかったのでこの機会に説明する。

リンク化: 本文中の「いつか別の概念とつながる かもしれない 部分」を[ ]で囲ってリンクにしておくこと

情報の整理方法にはいくつもの流派があって、ざっくりいえば「A: フォルダを作ってそこに入れる」「B: 時系列に並べる」「C: タグを付ける」「D: リンクをたどる」の4つについてここでは言及する。

Aのスタイルは、人間が「適切なフォルダ」を見つけることができないという問題がある。「動物・植物」というフォルダを作って分類していたとして、ミドリムシはどっちのフォルダに入れたらいいのか、即答は難しい。こうやって「適切なフォルダに入っている情報」が発生するので、特に複数階層になったときに目的の物が見つからなくて探し回るはめになる。

このことを嫌って、あえて階層的に分類しないことを選択する手法が生まれた。書類を一か所にまとめる「ポケット一つ原則」の超整理術や、「ノートは1冊にする」という複数のノートにトップダウンで分けてしまうことを避ける手法だ。特に電子デバイスの進歩によって、電子化すれば普段は時系列に並べておいて最近使ったものがすぐ見つけられ、昔のもの探すときには検索をする、というスタイルが生まれた。

タグ付けは、検索を支援するために生まれた。例えば現時点での科学技術では「人間が脳内に思い浮かべている映像」をクエリーとして画像を検索できないので、画像を後から検索したいなら、検索のとっかかりになる言葉(タグ)を付与しなければならない。スマートフォンの普及とともに「写真を撮ってクラウドサービスにアップロード」という作業のコストがとても下がったため、紙の資料などを撮影してアップロードし、必要に応じてタグ付けするというスタイルが生まれた。有名どころとしてはEvernoteがある。

あたりまえだけども、人間が適切なフォルダを即答できないのと同じで、人間は適切なタグを即答できない。だから「適切なタグが付いていない」「間違ったタグが付いている」という現象は必然的に起こる。

Scrapboxのリンクはタグとしても使うことができるし、Scrapbox自体が[リンク]#タグという同じ機能の異なる表記法を採用している。この「リンク」はWikiからの文化であり、リンクの先は別のページである。ここがタグとリンクの異なる点で、「文章、画像、PDFなどのコンテンツ」と「それに付与されたタグ」の2種類のものがある世界観と、「すべてはページ」「ページの本文には他のページへのリンクがある」という1種類のものだけの世界観。

ScrapboxではあるページAからXにリンクし、あるページCからもXにリンクすると、AとCそれぞれに2ホップ先のページとして互いのページが表示される。「将来検索で見つけられるように事前に適切なタグを付けておく」は不可能であって、その代わりにページをリンクしていくことによって、検索でどれかを見つけた後、リンクをたどっていくことで目的のものにたどり着ける、というのがScrapboxの思想。

なので僕の感覚としてはリンク化は「情報と情報をつなぎ合わせていく」という作業。それも、既存の「存在するとわかっているページ」にリンクするだけではなく、将来誕生しうるページにもリンクを張る。まだ書かれていないページへ、入り口だけ作っておくイメージ。これによって、将来そのページが作られたときには自動的に接続されるし、他のページで類似のリンクを入力しようとしたときにサジェストされる。これが知識の接続をとても加速するように感じる。

動詞としての「リンクする」だと違和感がある。すでに存在するページとつなげる行為に感じる。他のページへの道の入り口を名詞としての「リンク」と捉えて、「入り口を開けておく」というニュアンスで「リンク化する」と言っている。

塩澤先生はScrapbox上でタグを付けることを「タグる」と表現しているけど、上記のようにタグとリンクは別の概念としてとらえているのと、もう一つは同音異義語は発話は入力の時に面倒だから嫌いだから、という理由で使っていない。 [/shiology/05133-180516 「手繰る」ために「タグる」Scrapboxの真髄](https://scrapbox.io/shiology/05133-180516 「手繰る」ために「タグる」Scrapboxの真髄)

ここまで書いてからこのScrapboxを「リンク化」で検索してみたら8件ヒットした。 image