Scrapbox自動翻訳の文脈でblu3mo書いた「GPTなら翻訳するのではなく執筆をさせてもいいんではないか」という着想に関して(翻訳ではなくブログ文章生成)
因数分解して、まず「日本語Scrapbox→英語ブログ記事」ではなく「日本語」「Scrapbox→ブログ記事」を試そうと考えた
- たまたま断片的に箇条書きした、言いたいことを全部書けている気がしない箇条書きがあったのでそれを変換してみた
- GPTにブログ記事を作らせる実験
gpt-4 prompt
Here is a memo for blog entry. Write draft in Japanese.
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- 変換してから書きかけの断片があったことに気づいた:
だから自分が思いついた
- GPTが
なぜなら、それらの感情は「自分が思いついたこと」に固執する結果から生じるからです。
と生成したのを見て「いい言葉だね」と思って箇条書きの方に「固執する」を書き戻した
- 変換してみて、言葉足らずで想定と違う解釈をされたことに気づいた
私たちが自己の内側から見るとき
あ、そういう解釈をするのか、組織とかコミュニティとかの内外の話をイメージしていた
- これを補足して再変換すると大幅に変わるだろうと思ったのでバージョンを分けた
- ver.1ブログ記事を参考に、箇条書きスタイルでver.2箇条書きを更新
- ver.1箇条書き→ver.1ブログ記事→ver.2箇条書き→ver.2ブログ記事
- ver.1箇条書き→ver.1ブログ記事→ver.2箇条書き
- 箇条書きにver.1ブログ記事の文章がかなり使われている
- そもそもアクティブ読書という形の「箇条書きになってない文章を箇条書きにする」というアクティビティが有益という議論がある
感想
- このイテレーションを回すことは思考を深めることにかなり有益
- 箇条書きはデッサンのようなもの
- ざっくり形をとっただけ
- 文章の形にしてみることで重要な文脈に言及し忘れてたり、飛躍があることに気づく
- これは「フォーマットを変えることによる知的生産」の一種だ
- この言葉を作った時はKJ法における空間配置から文章への変換をイメージしていた
- その後アクティブ読書、Kozaneba読書が生まれた
- どちらも人間が変換処理をするものだった
- LLMの登場によって「LLMが変換してそれを人間が読む」というスタイルが生まれた
- これは「フォーマットを変えることによる知的生産」の一種だ
- 文章の形になってから英語にする方が伝わりやすいだろうな
- 英語にしたら「主語の解釈が違うなー」となったりしそうだ
- 思いつきを書いてから、その結果でベクトル検索して、それをさらにプロンプトに積んだ
- 見出しの制約が強い
- 維持しようとしてしまっている