現金は弱い資本である。 別の言い方をするなら、現金は万能の資本ではない。 現金によって得ることのできないものがある。

「たとえ報酬がゼロでも、複業をやっていた」 このタイトルを見て「対価はいらない」という意味に解釈する人がいる。 しかし、「対価はいらない」と「対価が現金の形である必要はない」は違う話である。

現金が弱い資本だという考え方があることを理解していないと、現金が何とでも交換できると誤解する。 そう誤解していると「対価が現金の形である必要はない」の意味が理解できない。 現金を対価として提示しても「現金よりもっといい対価ないんですか」と蹴られる可能性があることを理解できない。


関連: 現金というコモディティ知識資本社会関係資本

1年前の2017-11-01に書いた

「対価は必ずしも現金の形である必要はない」と「対価は要らない」は違う話で、何かを勘違いして対価なしに仕事を依頼してくる人がいたら「は?」と一蹴されるだけ。むしろ現金を対価として提示しても「現金なんかよりもっといい対価ないんですか」と蹴られる可能性もある。現金はとても弱い資本。

  • Shunsuke Soeda > 現金はとても弱い資本。

  • 前半の論点は同意だし、最後の上記の論点に関しても強い反論はないのだけれども、前半で言いたいことと最後の論点って、(一応つながっているけれども)相当距離あるよねー この指摘になるほどなと思ったがこの時はつながりがわからなかった。 1年ぶりに読んで、これは文章の並びが逆なのだと思った。 前半が「現金はとても弱い資本」を導くのではなく、「現金はとても弱い資本」が前半を導く。