from 真鶴2023-05-13課題感」と「解ける課題」は別物

nishio 課題を抱えている人をもっとコミュニティに入れるべきなのかどうか、という話題で「課題感」と「持ち込んだ人以外が解ける形に言語化された課題」とは別物ですね、と言ったのにはこの図が背景にあります。未踏社団のプロジェクト発達成長プロセスのモデル図 image

nishio 「解ける課題」と「[解く手段]」をマッチングすることは価値を生み出すのでコミュニティにとって有益なのだが、しばしば「課題」が「解ける課題」ではなくぼんやりとした感覚である「課題感」に過ぎないことがあり、課題感はそのままでは他人が解くことはできない。

  • ニーズシーズマッチングをしよう!という話は多いんだけど、大部分がうまくいかない理由がこれ
  • 技術を持っている側からすると、課題感を遂げる課題に変換する作業は「我々がやることじゃないよね」と熱意を失いがち
    • 解ける課題に変換した結果、自分たちの技術で解決するのに向いてないとなったらその時間の持ち出しが損失
    • 先払いでコンサルティングフィーをもらえるとしてもやりたくないってケースが多い

nishio 「課題感」を「解ける課題」に変換するためには、それが課題感を抱えている人以外にとっても理解できて「解決したい」という熱意を生むところまで言語化する必要がある。

nishio じゃあ言語化のためにブレインストーミングしようか、となるんだけどそれは「ある程度自信のあることをいう」ハードルがある。雑なアイデアをバンバン言えるのはある種の自己肯定感に溢れた人だけで、大部分の人はそうではない。そこでPolis匿名シードコメントを使う手があるかもという話をした

以前別の切り口から書いていた