Computer Graphics, Media Art, Tea Culture, and Zen コンピュータグラフィクス、メディアアート、茶文化、そして、禅。落合 陽一
2021-12-16#siggraphasia2021 会場でざっくりノートを取った 2021-12-20 加筆した
目次
- 物化する計算機自然
- コンピュータグラフィックとメディアアート
- 定在する遊牧民
- 持続可能性とメディアアート
- 茶文化
- メディアアートのオルタナティブ
- 茶禅一味
- 詫と寂、一期一会
- 民藝と共生
- いのちへ
- 人間と自然のオルタナティブ
「物化」とは?
- https://ja.wikipedia.org/wiki/荘子
- 斉物論(さいぶつろん)
- 胡蝶の夢
- 最近ハイデッガーの「技術とはなんだろう」を読んでたので、そっちの「物化」のことかと勘違いした、もしかしたら根が同じかもしれないけどまずは別物と考えた方が良さそう
- transformation of material things
メディアアート
- 写真や映像の技術発展
- →メディアアートの誕生
- 新しく出てきたmediumに意識的
物質世界と心の中のイメージのギャップ
- イメージへの物質へのレンダリングプロセス
- 石を掘る
- 壁画
- アニメーション
- 空中ディスプレイ
- 空気を光らせる
- 音響浮揚
- 空中に触れるディスプレイを作るのは触れる物質と触れないイメージの中間
- 動物や植物とインタラクションできる
- 物質とイメージ
物質とイメージ、アフターコロナの捉え方の変化
- 身体性の延長としてのイメージ
- 映像が第二の身体
- アバター的なものやビデオ会議のカメラ映像
- それがプレゼンスになる
- コンテンツではない
- 映写装置や作品鑑賞とは違った文脈になる
- アバター的なものやビデオ会議のカメラ映像
「定在する遊牧民」
- stationary nomad
- ナム・ジュン・パイク
- 石油危機とかあって環境との関係を考えた時代
- ランダムアクセスインフォメーション
- 音楽やダンス50万年の歴史、絵画は2万年
- 農業が生まれるまで定住してなかったから
- 音楽: 人が持ち運べる芸術
- 重力のないもの
- 大きな絵
- 重たいので持ち運びに不便
- エネルギー問題解決のため
- 体を動かさず、アイデアを動かす
- 定在する遊牧民
- 体は固定されてる
- この二年間でみなさん痛感したはず
- でも何か満たされない、身体性の問題
- 映像的な作品を作ることが増えた
- 今まではメカニカルなものが多かった
- 防水、LED、解像度高まり4K、6m、1ミリピッチ、屋外で映像
- ≪醸化するモノリス≫
- 物理的に構成しなくてもインスタレーションとして成立するように
Post-Covid、ナムジュンパイク考える
- サステナビリティ、新しい日常、身体性と映像、NFT、メディアアートの変化
映像的作品が身体性を増している
- 水平線に水平線を引く
- 30台の透過型ディスプレイ
- 身体性を感じる程度に
- 大きい
- 空間に溶け込んでる映像
- 人間が移動してメンテナンス、が、困難
- 現場に行かずに設営
- ものは通関できる、人間の移動が困難
- 電子的に作品を送る、物を送る
NFTマーケットの盛り上がり
- 物理的でないアートを電子空間上で動かす
- 定在する遊牧民に近づいている
- 物理的なギャラリーやオークションから電子的なものへ、合理的な変化
メディアアートとサスティナビリティ
- 2つ
- 1: それ自体のサステイナビリティ
- よく壊れる
- 鏡すき
- 周りが映るように浮かせる
- 容易に壊れる
- 3つ展示、予備10個もっていって8個壊れる
- サステナビリティに反している
- どうすれば壊れないのか
- →NFTにして保存した
- 2: 環境負荷
- スモールイズビューティフル
- シューマッハ
- 人間中心の経済学
- 仏教経済学
- 定在する遊牧民
- 周辺で解決
- スモールイズビューティフル
- 1: それ自体のサステイナビリティ
茶文化にヒントがあるのでは
- 茶杓
- 煤竹
- 茅葺き屋根で竹を100年寝かせるとできる
- 廃屋から取れる
-
煤竹(すすだけ)とは、古い藁葺き屋根民家の屋根裏や天井からとれる竹のこと。100年から200年以上という永い年月をかけ、囲炉裏の煙で燻されて自然についた独特の茶褐色や飴色に変色しているのが特徴。
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茶文化をメディアアートのオルタナティブと捉える
- 儀礼的
- 出す仕草自体がパフォーマンス
- 茶人はキュレーター兼パフォーマンスアーティスト
- 茶室に何を置くか=キュレーション
- 何かを語り出すための体験を創造する
- メディアアートと近しい
- 何のメディアを使うか意識的なアート
- 「動画の取り合わせでメッセージを発する」という古典的メディアを使う
- ガンプラのランナーでできた茶室
- 利休の待庵(たいあん)のうつし
- 地産地消の自然物
茶禅一味
- ちゃぜんいちみ
- 同じ味
-
茶道と禅は、違うように見えても、求める境地は同じである、という意味を込めて用いられる表現。茶の湯は禅に通じる。もともと茶道は禅から生じた道である。(実用日本語表現辞典)
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- 利休
- 侘茶
500年前の茶碗
- サステイナビリティ高い
日本科学未来館
- 茶室を作ったわけではないが茶室を表現した
- 竹林を銀でつくって掛け軸や生け花を置く
- コンピューターの中にある自然、
- 外にある自然
- 茶禅
- 華厳
- コンピュータのカルチャー
- 近しいのではないか
- 生け花はインスタレーション
- 生け花とロボットアーム
- 茶碗
- 重さを揃えてアルミで出してみる
- デジタルで作った物を職人に向かい合わせる
侘び寂び
- 仏教用語を使わずに説明できる
-
- Wabi: Roughで Randomな decadance
- Sabi: forms appearing by time、時間を使って出てくる物
- 調和のプロセスに見出された美
- ネイチャーに近づいていく繰り返し
民芸運動
- 生活と共にある美
- 特定の作家ではない人が作ったアートを探す
民藝と共生
- Zoomだと足りないもの
- イリイチ
- 「コンヴィヴィアリティのための道具」
- コンヴィヴィアリティと祝祭性と共悦
- 足りないと、社会成員間に生み出す欲求を効率よく満たすことができなくなる
柳宗悦
- https://ja.wikipedia.org/wiki/柳宗悦
- 無名の職人が生活の中で作ったものの中の伝統の美
- 民藝のテクノロジーによる再発見
- 小指くらいの獅子の人形
- ズームカメラで見ると人間の目で捉えられないdetailがある
デジタルデータを長持ちさせたい
- プラチナプリント
- 醍醐寺に奉納
- https://ja.wikipedia.org/wiki/醍醐寺
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創建年 貞観16年(874年)
- 1000年持つ
- 市販のものでは印刷できない
- 手作業でプリント
- やるプロセスがとてもconvivial
- 和紙
- pHを変えたりしないので長持ち
- セルロースの塊
- おばあさんが手間をかけて作ったものだと知っていると紙をとても大事に扱う
- convivial
- SIGGRAPH会場でみんなで作るとか、家庭で作るとか
- 論文を書いたり、SOTAなものを作ったりするだけでなく
- どうやったらconvivialなものが作り出せるか
いのちへ
- ファッションショー
- パッチワーク
- 長く服を使う文化
- 東北のぼろ
- 200年引き継いできた服
- 恥
- 近年、再着目された
- 各地からサステイナビリティのものを集める
醍醐寺
- 台風で木が折れた
- 切り株からデジタルなものが生える展示
- 透過型ディスプレイ
- 読経の声とコラボレーション
- LEDも将来的には天然素材になる
- 意外と伝統のものに馴染む
- mediumを使い分けて楽しむ文化
- 茶文化のように生き残るのでは
サン=テグジュペリ
- 人間の大地
- 人間の意識から機械が姿を消していく
- あらゆる技術は自然に近づく
- デジタルも自然になる
人間中心でないいのちの風景
- 価値と無価値の超越
- 主語のない持続可能性
- 人がいなくなっても持続するもの
- 万博
- コンピュータサイエンスの知見がないと作れないものを定期的に作っていく必要がある
- 民芸
- 万博 1970
- 高度経済成長、工業製品、画一的
- 画一性から外れた手仕事の美の見直し
- 次の万博でも
- みんな画一的にゴーグルをつけてるかもしれない
- しかし画一的でないものが見直されるのではないか
華厳 共生 民藝
仏教哲学
- 計算機的自然
- 宗教性をなくしても成り立つのでは
- 侘び寂びのコンピュータ的表現と同じように仏教に根のある東洋思想を仏教から引き抜いて「コンピュータのある自然」の中に植え替えるということか
- たしかにブッダの時代にはコンピュータがなかったからな
質疑
何かが満たされない気持ち
- convivial
- 取り戻す手法として柳は民藝に注目
- 「信じるもの」ではなく「人が使うもの」
- 用の美(ようのび)
- 使う美しさ
- Zoomで何か足りない
- 「物」に回帰しないといけない?
- マインドフルネス
- 禅の修行から派生したもの
- 自分の心を落ち着かせる
- 民藝
- 自分が修行するのではない
- 道具からみいだす
- 満たされないものが満たされる
- 他力本願的
- 例えばご家庭で食材をする
- そのための食器がある
- 機能的であると言うよりは、自分が好きだ、美しい、と思うもの
- 手の技、デジタルファブリケーション
convivialityを満たしてきた物に回帰する?
- すると思う
メタバース、身体性を排する世界、これはこない?
- いや、convivialは解像度の問題
- 現状のメタバースの問題は解像度不足が大きい
- ディスプレイが進歩すればOK
- 論理のような頭で考えるものだけに特化していないシステムが大事
- 身体で感じるものへ
- 初期のTwitterの「なう」=身体性
- タイムラインにそれが流れることは意味ではなく身体
- 感じたことをあまり頭で考えることなく共有していた行動だからか
- それに寄っていけば共悦な体験が生まれる
- 意味のない、ロジカルでないこと、身体性に近づく
- あいづちをうつ、乾杯でぶつける
- タイムラインにそれが流れることは意味ではなく身体
直接の、目的に対する作用が明確でないもの?
- たしかにそれが減っていった
- たとえば会議室の移動とか目的に対して付加価値を産まない
- Q: 目的に対して付加価値を生まないもの増やす必要?
- A: 付加価値は付加価値でよりよい空間があっても良い
- 会議にそれを貼り付ける必要はない
- 会議の中に「移動」という「付加価値のないconvivialなもの」を入れる必要はない
- 家でお茶を点てるとか
- 生活に密着した工芸の形
- デジタルでも非デジタルでも良い
身体性の議論
- 家にいて動かないとモバイルの意味がない
- 定住する遊牧民は周囲に心地よいものを置く
- 働くもの、暮らすもの、好きなもの(これは何かの引用かな?)
- ナムジュンパイクのころから言われてた
- 限界費用が安くなって、利便性目的でないクリエイションが可能に
Q: デジタルネイチャーをなのった意味が少しわかってきた なぜ研究室の名前をそうしたのか?
- 26〜7のとき
- コンピュテーショナルネイチャーにしようかと思った
- 長すぎる
- デジタルでいっか、となった
- 元来の自然 ←→ 質量のない自然 シミュレーテッドな自然
- デジタル信号の上に情報を切り出したことによる
- 岩石にはないが生物にはあるネイチャー
- 質量のない自然が元来の自然に影響を及ぼす
- 総体としての自然物
- メタな自然
- メタバースの一つ一つの階層に違った法則がある(?)
Q: 高齢になるとデジタルとネイチャーがくっつくのはよくわからんなと思う、学生は理解してる?
- Object Oriented Onntology
- https://en.wikipedia.org/wiki/Object-oriented_ontology
- オブジェクト指向に影響を受けた哲学
-
In metaphysics, object-oriented ontology (OOO) is a 21st-century Heidegger-influenced school of thought that rejects the privileging of human existence over the existence of nonhuman objects.
- 自然を脱構築して、新しい自然をデジタルネイチャーと呼ぶ
- 勉強してる学生さんはわかる
- 哲学とか身体論とか
- 学生さんも勉強しないとわからないかも
- 自然
- 人間との関係ではなく
- 人間 v.s. 自然 という構図ではなく
- 人間も含めたシステムとしての自然
- ならば、デジタルがそこに含まれるのもおかしくない
- そしてデジタルが含まれた自然は今までの自然とはちょっと違う
- という境地にPhDぐらいになると至る
- 人間との関係ではなく
----その後の話
nishio: 質量がない芸術(歌など) v.s. 質量がある芸術(大きな絵など) の対立構造が「質量のないデジタルデータ」+「身体性を感じるほどに大きなディスプレイ(=質量があるもの)」というアウフヘーベンを迎えたということなのかなー
nishio: ちょっと講演動画かスライドを読み返さないと、僕のメモだけでは情報が足りないなぁ。特に「華厳、共生、民藝」の「華厳」というキーワードがあんまりしっかり腰を下ろしてない。前半と後半をつなぐパイプとして「身体性」の方が強いぐらい。
ochyai: 時間がなくて華厳をすっ飛ばしまして大変恐縮です.この辺りを. →『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成
- 『東西思想の超克』再説 第4回
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nishio: たぶんですけど「華厳の概念」それ自体の情報よりは「落合さんが科学未来館の展示のどの側面に華厳の概念を感じているのか」の情報が重要なのではという気がします。
落合さんにもらった華厳の資料を読み始めた Kozaneba:『華厳経』と『荘子』の融合による中国華厳の形成
nishio: 我々、ものが「ある」と、それが「あり続ける」と暗黙に仮定するが、それは古い物理的な自然の中で育つ間に学習した「世界の仕組みに対するメンタルモデル」に過ぎない。視覚をHMDで覆うことの延長線上にある「五感すべてをデジタルで覆う状態」では、ものが「あり続ける」という前提が成り立たない
nishio: 「『ある』ものは『あり続ける』」などを含む「古い物理世界」の法則は、「新しいデジタルな世界」では成り立つ必要がなく、その世界で生きている未来人の世界観は当然現代人の世界観とは異なると考えるのが自然。例えば物には固定的な実体などなく、必要に応じて現れる物である、とか。
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nishio: 現代人の言葉で言えば「VR空間の3Dモデルは、膨大なデータの入ったアセットストアから必要に応じてダウンロードされ、配置されます」であっても、生まれつきデジタルの世界に育った未来人にとっては「個物とは、絶対的存在が多様に分節化して顕現した物であり、固定的実体を持たない」となる
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nishio: この「未来人にとって当たり前の世界観」が、実は意外なことに華厳宗における「真空観=すべての個物は固定的実体を持たない」と「理事無礙観=永遠無限絶対の存在である理が自己分節化して多様な個物が顕現する」とほぼイコールである。というわけで計算機上の自然では華厳の世界観になる。
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nishio: とここまで考えてからこれを教えてもらった。後者のリンクの「山紫水明∽事事無碍∽計算機自然」における「事事無碍」は、真空感、理事無礙観、の次に来る周遍含容観と対応する概念なので、僕の思考は正しい方向に進んでそうだ >ochyai
まとめた
- 自分の言葉で再生成したもの
- Kozanebaのネットワークとオリジナルの文中キーワードを利用したもの