これは「自分が使いこなせない道具の価値は理解できない」と指摘したことに意味のある古典だ。一方で「抽象度のスペクトル」と言う形で暗黙に一本の軸を仮定している。

Beating the Averages 普通のやつらの上を行け 著者:Paul Graham (2001)

「ほげ言語」のパラドックス ここで仮想的なプログラミング言語「ほげ」を使って私のポイントを説明しよう。 「ほげ」は抽象度のスペクトルのちょうど真中に位置するものとする。 …このプログラマ氏がパワーのスペクトルを見下ろしている時、 彼にはそうしているという自覚がある。「ほげ」よりも力の弱い言語は、 明らかに力が弱い。彼が慣れ親しんだ機能が無いからだ。 しかし、このプログラマ氏が反対の方向に目を転じた時、彼は自分が見上げているのだということに 気付かないのだ。彼が目にするのは、変てこりんな言語ばかり。 多分、それらは「ほげ」と同じくらいパワフルなんだろうけど、 どういうわけかふわふわしたおまけがいろいろついているんだ、と思うだろう。 彼にとっては「ほげ」で十分なのだ。何故なら彼は「ほげ」で考えているから。 でも、これよりもう一段階パワフルな言語を使っているプログラマを考えてみると、 多分彼は「ほげ」を見下ろす位置にいる。いったい「ほげ」で何ができるっていうんだい。 あれには機能yさえ無いじゃないか。

互いに相手が劣っていると思う リテラシーの霧

自然言語は明らかに力が弱い

  • 自然言語で考えていると自然言語で十分