講演スライドのつくり方は人それぞれだが、僕は「著作」だと考えている。 そうでない考え方の例: 講演はしゃべっている自分の側が主体であり、スライドは話のきっかけづくりに過ぎない こういうタイプの講演者でもとてもうまい人がいるので、良い悪いではなく講演者の「作風」なのだろう。
スライドを著作と考えている例
- 背景はスライドを手にした人が印刷しやすいように白である
- アニメーションを使わない
- 講演時に読むことを想定していない小さい字での情報付記がある(出典論文へのリンクなど)
- 書籍でいうところの脚注に相当する
なぜスライドを著作と考えるのか
- 今まで経験した最も大きい講演で、たしか聴衆は900人程度だった。
- 講演での音声伝達では、僕が時間拘束されてたかだか1000人に情報が伝わるだけ。
- 技術書を書いたとして、多くの場合初版1000部で、僕の本は1桁多く出てるけど、作成に掛かる拘束時間の割には大した量ではない。
- 一方、講演後の講演スライド公開では、簡単に数千人にリーチすることができる。
- 講演後のスライドの配布は、知識を伝搬する上でとても効率よくスケールする。
スライドを著作だと考える考え方が原因で
- スライドが主で、講演が従
- 「新作スライド公開を記念しまして、著者本人による解説会を開催します」みたいなノリ
- たとえば台風が直撃して講演イベントが吹っ飛んでも「あー、解説会なくなっちゃったね、残念だったね」ぐらいの気持ち