KJ法 渾沌をして語らしめる p.448 「無明の霧

無明の霧が深くたれこめている。… 停滞する水は腐る。創造的に生きるには、まずその起点に「えらいこっちゃ」という切実感が必要である。切実感を抱くためには、二階に自分を追い上げ、ハシゴをはずせ。こうすれば自分の中に葛藤が起こらざるを得ない。そうして、葛藤こそ万物の母なのである。とはいっても、そこには生産的な葛藤と不毛な葛藤がある。KJ法を用いるとき、葛藤は生産的なものとなる。そうして力戦奮闘のなかから、はるかかなたに光が見えてくる。こうして「えらいこっちゃ→葛藤→光」というドラマがおこる。

KJ法でなぜ生産的になるかというと、小さな閃きを蓄積していって大きな閃きを導くから。

小さな閃きを貯めて、塵も積もれば山となる