1. メノンは、ソクラテスが対象を全く知らないのであれば、それをどうやって、どういう目処の下で、探求するのか、また、仮にそれを獲得できたとして、どうやってそれを確認するのか問う。ソクラテスは、それは論争家たちがよく持ち出す議論、「人間は、知っているものも、知らないものも、探求することはできない」という話と一緒だと指摘。メノンは、それはよくできた議論だと思わないか問う。ソクラテスは、否定しつつ、「不死の魂」の話を始める。
  2. ソクラテスは、魂は不死であり、その輪廻の過程で、あの世この世のあらゆるものを既に見て学んできているのだから、それを想い起こすことができるのは、何も不思議なことではない、人が「探求する」とか「学ぶ」とか呼んでいるものは、実は全て「想起する」ことに他ならないと述べる(想起説)。更に、先程の論争家好みの議論は我々を怠惰にするので信じてはいけないし、こちらの「想起説」は我々の探求を鼓舞するのでこちらを信じると述べる。メノンは、「想起」の意味を尋ねる。ソクラテスは、メノンの従者を使って証明しようと述べる。メノンは、従者の中から1人の召使を選ぶ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/メノン_(対話篇)

この「不死の魂」「探求や学びは『想起』である」という考え方は現代人にはしっくりこないだろうnishio.icon

その後の流れ

  • 自分の「思い込み」に気づく
  • 「わからない」という気持ちになる
  • その後「わかった!」となる

この「わかった!」は「前世で知っていたことを思い出した」のだとソクラテスは考えたわけだが、前世の自分がどうやって学んだのか不明。 後にプラトンは「イデアの世界で見たのだ」と主張する。 僕が前世の存在を仮定しない説明をするなら「わかった!」は自分の過去の経験と整合する解説を見たときに感じる感情であって、「わかった」と思ったからといって実際に理解しているとは限らない。

  1. ソクラテスは、今の一連のやり取りによって、召使は知らなかったはずの事柄に対し、彼の中で様々な「思いなし」(思惑)が生じ、繰り返し尋ねられることでそれが明確化していったことを指摘。メノンも、同意する。ソクラテスは、それは「自分の中にあった知識を取り出し、把握し直すこと」であり、「想起する」ということではないかと指摘。メノンも、同意する。ソクラテスは、召使はこれまで幾何を教わったことがあるのか問う。メノンは、否定する。
  2. ソクラテスは、召使が「現世」でそれを学んでないとすると、「前世」以前に学んだことになると指摘。メノンも、同意する。ソクラテスは、したがって魂は不死であり、全てを知っているのであり、知らないと思っているようなことでも、それを励まし、探求し、想起できるように努めるべきではないかと指摘。メノンは、なるほどと感心する。ソクラテスは、この説を以て様々なことを確信的に断言しようとは思わないが、人が何かを知らない場合に、こうしてそれを探求しなければならないと思う方が、勇気づけられ、怠け心が無くなり、より優れた者になるのではないかと指摘。メノンも、同意する。