システムに対するなぜと心に対するなぜは違う で、書き出し法は「心」を「情報が付箋の集まり」という客体(システム?)に変換する作業

議論をする時に口頭でやらずにホワイトボードを使う

  • 「Xさんの意見」を「Xさん」から切り離して「ホワイトボードに書かれた情報」という客体にする作業
  • 意見に対する反論を相手の心への攻撃と解釈されないようにする
  • 議論を戦争と捉える人

認知療法

  • 自分の辛い気持ちなどを紙に書き出す
  • 心の客体化
  • 「自分が気持ちを感じて辛い」という状態から、「気持ち」が紙に書かれて客観視できる状態にする

ディソシエイトは心の客体化

主体性のない人に当事者意識を持たせるのは、逆の方向なのかも