「世界を変える」について、「自分は世界を変えられる」と認識している人Aと、「自分は世界を変えられない」と認識してる人Bがいる。
これは能力よりも「変わる」に対する認識の違い。
例えばAさんが床に落ちてるゴミを拾ってゴミ箱に入れたとする。
Aさんの視点から見ると、これは当然「世界を変え」ている。
- だって行動の前と後で状態が違うのだもの。
- 「ゴミが落ちてない方がいいな」と考えて行動したので「世界をよりよく変えた」のである
Aさんにとって、この程度の「世界を変える」は日常的に行っていること
- だから一々「今日は世界を変えた!」とは言わない。
- Aさんは日常的に「自分は世界を変えることができた」という成功体験を蓄積している
- それがもっと難しいチャレンジの後押しになる
- 難しいチャレンジが失敗した時に自己の価値が否定されない根拠になる。
- 何度も成功しているから、失敗が「今回はたまたま失敗しただけ」と認識されるからだ。
一方でBさんは、これを「世界を変えてはいない」と認知する。
- 「世界を変えること」を、もっと大きくてすごくて、達成したら周囲の人に自慢しまくれるようなものだと認識している
- 漠然と大きくてネクストアクションが見えない
- もしくはゴールまでがものすごく遠くて辿り着くまでやる気が続かない
- 最初から大きな成果を求める病
自分には世界を変えることはできないと思い込み、行動しない。
- ネクストアクションが見えないから着手できない
- もしくはゴールが遠くてたどりつけない
最初から大きな成果を求めて難しいことに挑戦し、失敗する
- そして「ほらやっぱり世界は変えられない」とネガティブな信念を強化する。
- 学習性無力感
2021-01-06 created 2023-02-10 updated