from 野中郁次郎×青野慶久

(青野) 私は「暗黙知」は、自分の中にあるもやもやとした考えや感覚のようなもので、でもそれを自分の中にとどめておくのではなく、言葉にして表現してみると、共感してくれる人がいるかもしれない。それを繰り返していけば、自分だけでは発想しえなかったような知恵が生まれるかもしれない、と解釈しています。 そして、実はこの繰り返しが、会社の中でのコミュニケーションそのものであり、イノベーションの種だと思っているんですが…。 (野中)その解釈で結構ですよ。仰る通り、暗黙知はもやもやしたものなんです。肝心なのは、そのもやもやを解消するためにも、それを言葉にして表現することです。…自分の感情(暗黙知)を、言葉(形式知)にして、人の感情(暗黙知)を刺激し、共感・共振・共鳴する「共同化」が非常に重要です。 我々は何らかの思いを持ち、人々と暗黙知を共有し合いながら、あるいは相手の暗黙知を引き出しながら、新しい知をつくっていく。

(青野)私は以前、戦略の振り返りを、全社員が見る掲示板に書き込んだことがありました。私の中では、“こう決めてやってみた結果、こうでした” と論理的に説明して、「みなさん、分かったよね」というつもりで書き込みました。すると、ある社員から「青野さんはそれについてどう思っているんですか?」と言われたんです。そこで私は、ハッとして、これはたぶん共感する言葉が足りてないのかな、と思って、正直な気持ちで「悔しい」と書いたんです。 「勝ちたい。悔しい」と。そしたらみんなが「納得しました」と言ってくれたんです。 「悔しい」とか「勝ちたい」とかという言葉は、私にとってあまり意味がある言葉ではなかったのです。自分が勝手にそう思っている主観だと思っていたから。ところが、みんなが求めていた言葉はそれで。それを発したことによって、みんながアイデアを出してくれるようになりました。このときに「理屈だけではサイクルが回らない」、みんなの気持ちを触発する何か言葉が必要で、その言葉(自分の暗黙知)を発しない限りは、次の共同化が生まれない、と思いました。 これを体験したときに、野中先生のおっしゃっている理論が、少しだけ体感できたような気がしました。「あ、これか」と。「理屈だけではイノベーションは絶対に起きない」と。 自分の感情(暗黙知)を、言葉(形式知)にして、共有・共感してもらい、そこから対話してお互いの言葉をぶつけ合って、新たなものを産んでいくことができるんだと思いました。 (野中)まさにその通りですね。私たちは、自分の経験を語りきることは不可能だけども、語り合うことで、お互いの不足点を補いあうことはできます。知を創造するために重要なのは、さまざまな関係性を読むことですが、私はこれを「コンテクスト(Context、文脈)」と呼んでいます。…SECIスパイラルは、コンテクストを共有していくこと…関係性から世界を見ることが非常に重要…関係性から世界を見るためには、そういう言語・文章で表現するのが難しい「暗黙知」と、それを何とか言葉で表現した「形式知」を絶えずスパイラルに回していく必要があります。

主観的なモヤモヤを言葉にすることが、複数人の組織が組織として知識創造を行うために重要。 これをKeichobotが支援できるといい。