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1: 「KJ法」という手法が生まれた
- 川喜田二郎は「紙キレ法」と呼んでいたが、梅棹 忠夫が「KJ法」という名前を示唆した(KJ法 渾沌をして語らしめるp.212)
- この手法は自分が知りたいことを知るためにフィールドワークをして集めた大量の定性的データを「まとめる」ことが目的だった
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2: 川喜田二郎が他の人にKJ法を教えていく過程で「KJ法は色々な目的に応用できるのではないか」と、川喜田二郎本人や周囲の人により多種多様な目的への応用がされた
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3: 多種多様なKJ法の応用のうちの一つを「KJ法的ワークショップ」と呼ぶことにしよう
- 大勢の「KJ法を学んだことがない人」を集めて、彼らが考えたことを付箋に書き出し、みんなでワイワイとグループにまとめて議論をするワークショップのイメージ
- 「大勢のKJ法を学んだことのない人を対象に行う」という性質から、多くの人にとってこれが「初めて経験するKJ法」になった
- その結果「これがKJ法だ」と認識する人がたくさん発生した
- しかしこの「KJ法的ワークショップ」は、色々な面で「はじまりのKJ法」とは対立する
- なのでこの「KJ法的ワークショップ」を「KJ法」だと認識している人は、川喜田二郎の著者を読んだときに混乱してしまう
- 「KJ法」は解像度の低い言葉なので、言葉の解像度を高めることが必要
備考
- 「KJ法的ワークショップ」が「はじまりのKJ法」と色々な点で対立することを根拠に「これは正しいKJ法ではない」という人がいる
- 「この手法ははじまりのKJ法とは異なっている」という意味では一理ある
- 一方で「正しい」という言葉の選択には「違っていることは良くないことである」と考えるバイアスがあって、イマイチだ
- 目的が違うのだから手法に差が出るのは当然であって、川喜田二郎本人もいくつもの「はじまりのKJ法とは異なる手法」を生み出している(パルス討論、探検ネット、考える花火など。see 考える花火誕生の流れ)
- 手法の良し悪しは目的達成に有用かどうかで決まる。はじまりのKJ法との一致度で決まるのではない。
- 関連 KJ法の正しさについて