2012-12-22 文脈
僕は怒りは有害であると考えていた
- しかし「理想と現実のギャップに怒りを感じ、それが改善の原動力になる」という主張
では怒りを避けている自分は何が原動力なのか?
- 「面白い」という感情なのでは
- 世の中に理想と現実のギャップがある
- 怒りドリブンの人はギャップに怒りを感じて現実を変えようとする
- 面白さドリブンの人は「面白いな」と言ってもっと詳しくみようとする
- 例えば僕の人間のバグ収集は現実の人間が理想的振る舞いをしていない事例の収集
- SNSでたまたま見かけた言説がおかしいなと思った時、ほとんどの場合は直接その人の行動を正そうとはせず、事例として収集するだけ
- 若い頃は正してたが: 僕がマサカリを投げなくなったわけ
- 面白さドリブンでよく観察した結果「あれ?ここをこうしたら解消するのでは?」と気づくことがある
- そうするとそれを試してみたくなる
- これは現状の改善の欲求ではなく理解の検証の欲求
- なので「やってみたらうまくいかなかった」という時に「そうか、この方法ではうまくいかないのかー」で満足することがある
- 粘り強く問題に取り組む力が足りない
- 面白さドリブンなのに粘り強い人もいるぞ?なぜだ?
- →粘り強く取り組むと面白いと経験的に知っているから