理解できない速度で読む速読実験に対するU理論の視点からの解釈。

  • 「中身を理解できないような速度で速読をすることに意味はあるか?」「意味はないのでは?」というのが僕の既存の考え。
  • その既存の枠を「手放す」(U理論)#既存の枠組み
  • これが必要だということは探索と利用のトレードオフで説明できる。
  • 手放して実験してみた結果、そもそも「理解度」をKPIにするのは適当でない、という気づきが得られた
  • この件に関しては理解度の定義で詳しく書いていた

U理論の、新たな概念の結晶化のために一度既存のものを手放す必要があるという話、要するに強化学習における探索と利用のトレードオフだ。今まで知っている中で最も良い方法ばかりを使っていたのでは、もっと良い方法に出会うことができない。しかし出会いを求めて新しいものばかり試していたのでは、良い方法を利用することでメリットを享受することができない。

「中身をしっかり説明できないような速度で読んで意味があるのか?」という過去の自分からの声を無視して、とにかくやってみてたんだけど、ボチボチ結晶化が進んできた。時間をかけてその本の内容を説明できるようになったからと言って、それに意味があるの?と問うべきだ。仮に書籍の内容を完璧に説明できたとしても、それがそれは著者の劣化コピーに過ぎない。社会に対して何の価値も生み出していない。 新しい価値を生み出すには、よりわかりやすくするか、より短くするか、他のものと結合するか…。理解度を高めることは次の一手のための準備であって、それが目的化するのはおかしい。

tokoroten

自分の場合は、抱えている中途半端なアイディアを人に話すことかなー、価値が有るかもしれないと思って考え続けている時間が不健康なので、そこそこまとまったら人に話すようにしている。

  • 新しい「アイデア」になっている時点で、それは結晶化が済んだ状態なのではないか? 中途半端でも人に話してみるってのは「プロトタイプを作って検証」のフェーズじゃないのかな

知識の価値はそれを使うことで実益があるかどうか、というプラグマティズムの考え方からすると書籍を読んで「何を生み出したか」で読書の価値が測られる

2014-04-16 2014-04 2014