ルールは過去の交渉の産物」と「著作権はグーテンベルグ活版印刷の発明によって生み出された概念」が結合した

--- log

mishiki 集合知を発揮した結果、人間が「絵柄」「作風」と感じる様式を画像生成AIが獲得できてしまうことが改めて分かりやすく確認されてしまった。そして改めて確認なのだが、このさくらの画像は思想や感情の創作的な表現ではないので、「著作物性は認められない」のだ。これが今多くの人の脳をバグらせてる。

  • @8co28:#nijijourney 出力なのですが流石の既視感に学習画像そのまま出てるんじゃないか?という危機感を覚えたのでCCさくら有識者の方この画像「モロ元画像あるよ」みたいな絵があったら教えていただけませんかpromptは「1990sの同人便箋 —ar 2:3 —niji 5」のみです。

  • image

mishiki もともと著作物性というのはかなり面倒な概念だが、画像生成AI以後、著作物性の概念を理解するハードルは、間違いなく一段難易度が上がった。直感と著しく異なるからである。少なくともこのさくらの絵を人間が描いたのであれば、著作物性のところから否定されるということは考えられなかった。

mishiki 人間が描けば思想や感情の創作的な表現だと認められるのに、同程度に複雑な画像を画像生成AIで生成しても著作物性は認められない、という整理になるのは間違いない。となれば、これから絵を描きたい人達には「思想や感情」をどれだけ表せるか、つまり具体ではなく抽象的な感情表現などが重要性を増す。

mishiki 抽象的な感情表現というのは、「物語性」「世界観」「奥行き」などと言い換えても良いだろう。きれい・かっこいい・かわいいにプラスして一癖二癖あって感情に訴求出来るかどうかが求められるようになってくる。

そういう目線で俺がめちゃくちゃ上手いと思ってる作家さんは、たとえば526さんとかだ。

mishiki 画像生成AI前提時代でも絵を描きたい作家側が取れる手段は、「表現の抽象性を意識し、より感情を揺することを意識する」になると思われる。ただ、その努力って今までの絵画表現で何百年も探究されたことと何か違うのか? というと、

別に何も変わってない

ということにも気づく。

mishiki だから個人的にずっと言っている通り、画像生成AI以後でも、作家側の考える課題には特に変わりがない。作業手順は変わるかもしれない。

一方で絵を観る側は、作家がどういう人間であるのか、何考えてるのか、という部分を今までより一層気にすることになるのではなかろうか。

tanji_y 著作権という概念自体が、印刷技術の発明から生まれた極めて人工的なもので、それに匹敵するような技術革新が起きたら、概念の根底から揺らぐ宿命を持っていますよね。生成AIは、そうした構造を恐ろしいほどわかりやすく見せつけています>RT

tanji_y グーテンベルクの活版印刷技術の発明と、そこから派生した出版産業の発展によって、「大規模に複製した本を大量流通させて儲ける」産業が生まれた。

同時に、海賊版業者も大量に出現して、そいつらを取り締まるために著作権という新しい概念を「発明」する必要が生じた――と理解しています。

tanji_y そうした「大量生産した本を買う消費者」もまた、印刷技術から派生した産業革命から生まれた(いわゆる中産階級)。

加えて、産業革命による印刷機の動力化や高速輸送網の発達など、グーテンベルク以降の何重にも及ぶイノベーションが、クリエーションの世界を一変させたと私は理解しています。

tanji_y 「著作権の発明以前」って、クリエイターは、主に王公貴族や宗教界に養われていたんですね。または無名の人たちの趣味みたいなものか。

「大量生産・大量消費」を支えた中産階級(大衆)自体が、産業革命(印刷技術)由来。すごく重層的です。

加えて、宗教改革という歴史的大事件も印刷由来。

tanji_y 生成AIが、グーテンベルク級のイノベーションであるなら、宗教改革、産業革命、中産階級の隆盛(貴族階級の没落)、知的財産権の出現など、広大な分野に渡る社会構造の変化を、長期間に渡って起こすのだろうなあと感じています。

もしグーテンベルク以上だったら……

想像を絶しますね…