「ソフトウェアエンジニアは技術革新に付いていくために勉強する必要性が高い」→わかる 「研修だけで勉強して、プライベートではしないエンジニアは比較すると伸び悩む」→事実としてはそうだね 「当社はプライベートでも勉強するエンジニアを採用する」→それって育成に金出さないブラック宣言じゃ?

これは悩ましい話で、事前承認型の制度には学びの対象をすぼめてしまう効果がある。

  • 例えば技術書を「申告すれば」なんでも買ってもらえるという制度があったとしても、「中国語を学ぶの有益だと思うが技術書には含まれないよな」となる。 自発的に学ぶ性格がないとそういう対象は学ばれなくなる。

先日の「自分で育つ力」の話題とも関連するけど「フロントエンドエンジニアだけどハードウェアに興味があるので技術書予算でラズパイ買っていいですか?」みたいに、事前に他人に何故それが必要か説明しないといけないのは、価値をうまく説明できないような新しいことを学ぶのを妨げてしまう

なので他人から承認されなくても自分の学びたいと思う気持ちに従って(たとえ自腹でも)学ぶ人は、事前に申請して支給を受けないと学ぶことのできない人とは大きな差があるわけだし、前者を後者に変える方法もよくわからないので、選抜の段階で前者を優先的に採用するのは合理的だと思う。

そういう採択の仕方をするかどうかと会社がブラックかどうかは独立。

  • エンジニアが業務外や自腹で学んだことに対してもポジティブに評価して待遇を上げるのならホワイトだし、
  • 業務に好影響が出てても「それは業務外だから評価しない」とか言うならブラック、ということになるだろうか

評価のタイミングが学びの事前であるのか事後であるのかが重要 新しい分野にチャレンジすることは成果につながるかつなからないか事前にわからない だから事前に評価するスタイルは学びを妨げてしまう。事後評価の仕組みが必要。

事後評価に対して「学びの対象選定のリスクを個人に押し付けてる」という批判はアリだな。でも、個人が「学びたいものを学ぶ」という自発性を持ちつつ「リスクはすべて会社持ち」にするというのは流石に均衡を欠く。自発的に学びの対象を選ぶこととリスクを取ることは切り離せないのではないか?