何回か言ってるけど、勝手に育つエンジニアは「勝手に育つ能力を育てられた」のであって、勝手に育つという能力の背景には幼少期に「分解してもいい時計を貰ってた」とか「雑誌図鑑模型マイコンその他を買い与えられていた」みたいな明らかな(家庭)教育行為があるんじゃないのかと主張しています 「勝手に育つ能力」という概念、重要。学びを「教えられて、それを蓄える」という捉え方していると何歳になっても自力で育つことができない。試行錯誤のサイクルを回して学ぶ形への切り替えが必要、というのを「エンジニアの知的生産術」で書いた https://twitter.com/nishio/status/1037868085787512832