自分という存在の自分にとっての価値はありとあらゆるものより高い
- なぜなら自分がいなくなれば、ありとあらゆるものの「自分にとっての価値」はゼロになるからである
「社会にとっての価値」は曖昧概念である
- なぜなら「社会」という人はいないから(誤った擬人法)
具体的な他人Aさんを想定すれば「Aさんにとっての価値」は意味のある概念になる
- この「Aさんにとっての価値」は「自分にとっての価値」とは一致しない。自分と他人は別物だから
from /villagepump/インポスターシンドローム
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何かを達成したときに、それを振り返ってみると、誰でもできそうなことの積み重ねで構成されていて、大したことじゃないと感じてしまう
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できた後で振り返ると道が見えるけど、できる前には道は見えてないんだよな〜
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これを見て連想したけど、僕は割と「観測事実として私がやったもののリストはこれです。それを高く評価するのか低く評価するのかはあなたの仕事であり私のではない」みたいなことを考えてる気がする
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そもそも自己評価をしない?のか
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なるほど、自己評価をしてないのか?
- いや、自己評価はカンストしてる気がした
- 「僕という存在の僕に取っての価値は当然ありとあらゆるものより高い、なぜなら僕がいなくなればありとあらゆるものの『僕にとっての価値』はゼロになるからである」みたいな?
- で、他人からの評価は自己評価と一致しないけど、それは当然のこと
- 自分と他人は別物だから
- あと「他人からの評価」を一塊の概念として捉えてないかも
- 他人それぞれで異なってるもの
- 「Aさんによる評価」「Bさんによる評価」
- 二人は別物だから食い違っていても何もおかしくない
- 下に書いてあったこれだな
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「この方は自分のことをそのように評価してるのだなあ」とそのまま受け取る
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- 他人それぞれで異なってるもの
- /yosider/自己肯定は無条件にするものを思い出した
- /unnamedcamp/自己肯定と自信
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自分の場合、/blu3mo-public/自分からの声を少し弱めて、他者の声を素直に受け止めてみるのが多少出来るようになって脱却できたと思っている
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他者からの評価を素直に受け止めてみるというのは、そこに合わせて努力するという意味ではなく「この方は自分のことをそのように評価してるのだなあ」とそのまま受け取るという意味です。
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その評価はあくまでその人の評価に過ぎなくて、そこにもしもあなたが至っていないとしても、あなたの責任ではありませんし、あなたがそこに至らねばならない理屈はどこにもありません。
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自分からの声を少し弱めるというのもわかりにくい言い方でしたが、いままでと違う方向に(試しに)行ってみるということです。あなたの内なる声がたとえば「こんな分不相応な評価を受けてしまった!このまま進んだら自分は嘘つきになってしまう!必死にギャップを埋めねば!」といったとしても、
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「いやいや、そうそう焦りなさんな。潰れてしまっては評価の何もあったもんじゃない。マイペースで着実に行こう」と自分の「声」を押し返してみるのです。
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