nishio: さて今日は社会的意義について。これについては意見が分かれてるとも言えるし、幅はあるけど共通の方向性だともいえる。 「社会的意義はまったく評価しない」「提案書に社会的意義を盛り込むべきだという誤った教育を行う大人が有害なのでなんとかする必要がある」というサイドから、

  • nishio: 「社会的意義を絡めることは、自分のやりたいことをやる上で有益なことがある」まで。幅があるともいえるし、だいたいみんな社会的意義を重視はしてないとも言える。

nishio: 僕はどうなのかなーというのを考えていて、この「社会的意義」も不明瞭な概念だという気持ちがした。「社会」と「意義」が不明瞭。

nishio: 「社会」の広さは人それぞれ。全人類とか全日本人を自分のターゲットとする「社会」に設定する人もいれば、「半径5メートル以内の人」を設定する人もいる。前者はしばしばイマイチな提案をする。なぜかというとターゲットが具体的でないからだ。

nishio: 「社会的意義」にフォーカスした提案に対してネガティブな評価をするメンターは、おそらく社会的意義が書かれてるからネガティブなのではなく、あると主張している「社会的意義」が曖昧だったり不明瞭だったり具体的な事例に基づかない空想だったりすることをネガティブに感じているのだと思う。

nishio: これに対して全然社会的意義にフォーカスしてない「なんの役に立つわけでもないが、僕はこれを作りたいので作ります!!」系は、明確なニーズがあるわけですよ。それができたら「僕」が嬉しい、という。その点で漠然とした社会的意義を語ってる提案よりも明確な記述がなされている。

nishio: 「僕はこれを作りたい!」という提案をみて一人のメンターが「それいいね!自分もそれが完成したところを見てみたい!」となれば最小限の社会的意義はある。

nishio: そうか、結局のところ「社会的意義」の存在不存在は、社会が決めることなんだ。実際にそれを喜ぶ人が存在することが確認されて初めて「社会的意義がある」といえるのであって、頭で考えただけで書類の上で「社会的意義はありま〜す」と主張したところでそれが実際に存在するかどうかは未検証な訳だ

nishio: もう一つ「自分ごと化」というキーワードとの関連について書こう。広い社会をターゲットとしたプロジェクトは「なぜあなたがそれをやるのか?」が不明瞭になりやすい。未踏ジュニアの応募フォームに「あなたがこれをやる理由は?」はあるが「社会的意義は?」はない。

nishio: 今確認したら「これができると誰がうれしい?たくさんの人の役に立つ必要はありません。役には立たないかもしれないけれど、おもしろいというのもありです」 って明示的に書いてあった。大勢の役に立つ提案である必要などないって明示的に言ってるわけだ。

nishio: これは「社会的意義を提案書に盛り込むべきだと誤った指導をする大人が有害」論とも関係してくるのだけども、まず一番大事なのか「相手が質問してることに答えましょう」だと思う。質問してる内容について自分で考えて素直に答えてもらう想定で設計してるので周囲の大人が邪魔しないで欲しい

nishio: ただでさえ提案書はいろいろな思い込みで歪んでいて読み取るのに苦労しているので、歪みを大きくする大人に対して怒りを感じるメンターがいるのもまあ当然のことだよね。僕はその大人を直接どうこうするのは高コストなので情報発信によってより良くできないかと考えるタイプ。

nishio: さてだいぶ考えたので「じゃあ僕は社会的意義に関してどう思ってるのか」を言語化して終わりにしよう。 僕は「社会的意義があること」をポジティブに評価しているが、この社会的意義が「ある」と考える範囲が世の中よりだいぶ狭い。具体的な受益者の顔が見えてないものは「あるかどうか未検証」と考えてる

nishio: 自分の心を見つめてみると、こんな感じになってそう 「未検証の社会的意義が主張されてる」 <(高い壁)<「自分がやりたい」 <「社会的意義が検証されてる」 <「社会的意義が検証されていて、スケールする可能性がある」