2018-03-25 知識は行為によって証明されなければいけないという話をしたら、「知識」って言葉がいくつもの意味を持っているから分類して別の言葉を割り当てた方がいいのではと指摘された。もっともだ。
ページ番号はポスト資本主義社会
- ソクラテスの知識:
- 自分自身を知ること、自分自身を啓発することを目的とした知識 P.61
- プロタゴラスの知識:
- 何を言うか、いかにうまく言うか、を目的とした知識。
- 他人の自分に対するイメージを良くすることを目的とした知識。 P.61
- テクネー(技能):
- 何をするか、いかになすか、を目的とした知識。
- ソクラテスの時代には知識だと考えられていなかった。
- どうやって石を綺麗に割るか、みたいな。
- 体系的に教えられず、見よう見まねや実体験で覚えるものだった。
- テクノロジー(技術):
- 1700年から50年程度で発明された。
- 1751年から72年にかけて編纂された「百科全書」百科全書 - Wikipedia
- 「知識を労働者に与えることで労働者の生産性を向上させること」を目的とした知識。
- 知識が、労働者に与えることができる「資源」として認識された。
- 労働者->生産性の高い労働者 P.36
- 労働者を生産性の高い労働者に変えることを目的とした知識
- 機械技術:
- 1776年のワットによる蒸気機関(特許取得)など。
- これにより「労働者+機械」という労働者単体よりはるかに生産性の高いシステムができた。
- 機械を所有する資本家とそうでない労働者に大きな格差が生まれることが危惧された(マルクス)
- 人力機織り機を自動織機へ、水車を蒸気ポンプへ、と考えると「道具を改良することで生産性を向上させること」を目的とした知識と言える。
- 道具->生産性の高い道具 P.38
- 管理技術:
- 1881年、テイラーによる科学的管理法。
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肉体労働者の仕事の研究、分析、組み立てに知識を応用した。
- 1907年、フォードによるフォードシステムなど。
- 「労働者の仕事を解析し、改良することで生産性を向上させる」ことを目的とした知識。
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教育訓練が生産性を爆発的に向上させた
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テイラーが知識を仕事に応用した数年後には肉体労働者の生産性が年3.5%~4%伸び始めた。これは18年で倍増することを意味した。テイラー以降今日までに生産性が50倍に増加した。P.51
- 仕事->生産性の高い仕事 P.43
- 知識→生産性の高い仕事、では?誤記?
- いやこれ矢印の意味の解釈違いか
- 「仕事をより生産性の高い仕事に変えることを目的とした意味」ということ
- 上の方にも加筆しておいた
- 知識→生産性の高い仕事、では?誤記?
- メタマネジメント:
- 1950年頃、ドラッカーによるマネジメントの概念。
- ここまでのストーリーは「Xに知識を適用することによってXの生産性を向上する」だった。
- このXに生産性向上のための知識それ自体を代入する。
- 「生産性向上のための知識を改良することで、知識の生産性向上を向上させること」を目的とした知識。
- 知識->生産性の高い知識。
2010-06-16 「知識とは何か」ドラッカーのポスト資本主義社会を読んで考察 - 西尾泰和のはてなダイアリー
なにが産業革命をもたらしたか: 産業革命は知識の応用によってもたらされた。かつて知識は存在に関わるものだった。ところが、知識は行為に関わるものになった。資源となった。 第一段階として、知識は18世紀半ば以降100年に渡って道具、行程、製品に応用された。それが産業革命だった。同時にマルクスの言う疎外、階級、闘争、共産主義がもたらされた。 第二段階として1880年頃に始まり第二次世界大戦の末期を頂点として、知識は仕事に応用された。その結果生産性革命がもたらされた。生産性革命が階級と闘争と共産主義を打ち破った。 第三段階として知識は知識に応用されるようになった。それがマネジメント革命だった。知識は土地と労働と資本を差し置いて最大の生産要素となった。P.24-25
プラトンの時代から長い間、知識には二つの形しかなかった。ソクラテスは知識の目的を自己認識、つまり自らの精神的成長にあるとした。一方プロタゴラスは知識の目的をナニをいかに言うか知るにあるとした。知識とは、論理、文法、修辞、つまり一般教養を意味した。東洋でも同じだった。儒教とは何をいかに言うか知ることであり、人生の道であった。道教と禅宗では知識は自己認識であり知恵に至る道であった。
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このように二派の対立があったが、知識は行為に関わるものではなかった。効用ではなかった。効用を与えるものは知識ではなくギリシャ語にいうテクネー(技能)だった P.34
今日では知識だけが意味ある資源である。そのような新しい意味における知識とは、効用としての知識である。 P.57