from 知識は行為によって証明されなければいけない 「成果に焦点を合わせた情報」の「成果」とは何 考察
- 「成果に焦点を合わせた情報」この「成果」ってのは何だ。お金か?
- もちろんお金が得られない知識よりは、お金が得られる知識の方が「成果」を生み出しているだろう。
- でも、「お金に焦点を合わせた知識」と解釈すると大間違いだと思う。
- なぜなら、お金は資本だから。
- ドラッカーが「ポスト資本主義社会」という本で言いたかったことってのは、資本よりも知識の方が成果に対する寄与が大きい「知識社会」になりつつある、ということ
- だからここでの「成果」も「お金としての成果」と「知識としての成果」では後者の方が大事
知識としての成果の上げ方は大きく分けて二つある。
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自分の知識の量を増やす
- たとえば
- 自分が知識を習得する速度を上げる知識、
- 知識を新しく発見する知識
- 今は学ぶことができない知識を学べるようにする知識
- たとえば英語の知識
- あるのとないのとで読めるドキュメントのクオリティや新しさに大きな差が出る
- なので、英語の学習、特に英会話じゃなくて英文の速読は知識の獲得速度に大きく影響する。
- 追記: これを書いたのは2010年。2018年の今考えると「機械翻訳がすごく進歩したし、今後ももっと進歩して、英文速読スキルは陳腐化するかもな」という気持ち
- 追記: 今は2022年。間違いなく陳腐化しつつある、と感じる。今の僕はミルの功利主義論などの古典を読む時、オンラインで公開されてるものからDeepLで機械翻訳して読んでいる。10年前なら多分Amazonで岩波文庫を買っていたはずだ。機械翻訳の質の向上によって「人間による訳であること」よりも「今すぐ読めること」の価値が上回り始めたということだ。
- たとえば
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他人の知識の量を増やす
- 知識は個人に属する資産であるから、自分の中の知識を他人にコピーして分け与えると全体の資産は増える。つまり、教えることは資産の生産である。効率良く教える知識は生産の効率を上げる知識だ。
などと言うことを友達に話していて、「知識」って言葉がいくつもの意味を持っているから分類して別の言葉を割り当てた方がいいのではと指摘された。もっともだ。 知識には色々な種類がある