わかるとは何か、理解とは何か、という問いに対して食器を洗っていたらふと湧き出してきたので急いで書き留めた。
「Xとは何か」という問いに対して
レベル0の理解:
- 問いに対して、何も答えられない
レベル1の理解:
- 問いに対して、何か他の書籍などに書いてあることを引用して答えられる
- 個人的にはこれを「理解してない」の側に入れてレベル0にしたい気持ちだ
- しかし、読者が本題に進む前に混乱しそうだからやめた
- 学校の試験では、教科書の内容を覚えていて、時間の問題に対してそれを引用して答えることができれば良い成績がもらえるだろう
- それによって、この行動が「理解」であるという社会通念が作られた
- コンピュータのない時代に人間に知識をインストールすることが有用だから訓練されただけ
- 「インストール効率」を測っているだけに過ぎない
- これを「理解」とするなら、検索エンジンが登場した段階で人間より理解度の高い存在があらわれたことになる
- 理解してない時は引用しかできない
- ”Phenomenology as non-logical steps” Eugene Gendlin (1989) からの引用
レベル2の理解:
- 問いに対して、引用ではなく自分の言葉で答えられる
- ファインマン
- 「自分の言葉で答えられる」ことと「その解説が真であること」は無関係
- 「燃焼」はフロギストンという物質の放出の過程である --- 燃焼に対する真ではない説明: フロギストン説 - Wikipedia
- 理解は仮説であって「仮説が正しいか」は仮説ができた後に検証が必要
- 仮説を作ることができる人とできない人がいる
- 作ることができる人が、より深く理解している、という考え方
レベル3の理解:
- 問いに対して、検証可能な実験の形で表現できる
- レベル2では言葉で説明できるかどうかを指標にした
- この「言葉」に選択の余地がある
- 自然言語で説明できる
- プログラミング言語で実装できる
- プログラミング言語で実装すると、実装したものの挙動によって理解の正しさが検証できる
- 理解に反証可能性が生まれる
- この「言葉」に選択の余地がある
- プログラミングに限らず「検証可能な実験の形で表現できること」が重要
- 検証不能な言説よりも明晰な形になっている
このページは「理解」について僕が「レベル2の理解」に達していることによって書かれた
- ここに書いたことが正しいかどうかはレベル3の理解に到達した後に検証される
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