from /villagepump/独断的瞑想解説
- 井戸端で議論してて「それヴィパッサナー瞑想では」となったことがあるが、そもそも瞑想に関してのまとまった説明がない
- 宗派によってまちまちなことを「これが大事!」と言う
- 特定の宗教から切り離した解説があるといい
- 僕はマメにやるわけでも、言われた通りにやるわけでもないが、有益だと思ってるので、何がやるべきことか、何を有益だと思ってるのかを言語化できると有益な気がした
- 瞑想で座る必要はない
- 「無になる」とかいうの忘れた方がいい
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「無になれ」って言われてなれるもんじゃないでしょ
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そういうことを言ってくる人は単に説明が下手くそなだけ
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まず現状がどういう状態なのかを把握する必要がある
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多分外からの刺激がなくても、自分の中からどんどんと言葉が出てくる状態になっているのと思う。
- 井戸端にはそういうタイプの人が多そう。
- 思いついたことを記録せずに、ただ消えるに任せることに対して苦痛を感じるのだと思う。
- 記録したいことを記録したらよい
- 思いついたことが消えることに苦痛を感じるのは「思いついたことに対する執着」がある状態だけど、執着をなくすのは簡単ではない
- なので瞑想を続けるのを一旦諦めてたらいい
- 「瞑想を続けてる自分でありたい」という執着と「思いついたこと」に対する執着がぶつかってるので瞑想の側の執着を手放す
- それによって「価値のあるものが消えてしまう恐れ」をなくす
- 消えてしまう恐れや苦痛にさいなまれてる状態ではどうせ瞑想はできないのでさっさと中断した方がいい
- この記録に関しては、公開されているプロジェクトだと、他人からの目線が気になってしまうと思うので、非公開の個人プロジェクトに書くのがいいと思う
- こうすると何日もただ考えを記録していくだけで時が進むかもしれん
- いつまでたっても瞑想には入っていない
- だが、そもそも瞑想に入る事が目的なのだろうか
- 「瞑想ができなければならない」は執着なのでは?
- 瞑想に入らなくても、価値のある記録がどんどんと積み重なっていくのだからそれでいいではないか
- 心配しなくても、これをやっているうちに言葉が尽きる時が来る。
- 「これは前に書いたな」「これは記録するまでもないような考えだなぁ」と思う時もある
- 思いつく速度よりも処理される速度の方が上回ってくる
- 記録したいことを記録したらよい
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いずれ、何も考えていない状態が訪れる
- この状態を言葉で説明するのは難しい
- 不立文字を連想した
- 擬音語でいうと「スン…」みたいな感じ
- これを「無心」と呼んで「無心になれ」とかいうのは無益だと思う
- 経験しないとわからないから
- 「無心になんかなれないのではないか」と思ってる状態になる
- 一度その状態を体験すれば、次からは「ああ、あれね」とわかるようになるだろう
- 「無心になることはできる、だって過去にできたから」となる
- 最初に体験した時は「あっ、今のか!」と言う気持ちによって破られるだろう。
- 何度も繰り返してるうちに、そう状態に入ること自体に関して心が動かなくなって、長い時間続けることが可能になっていく
- この静かな状態をサマタ瞑想と呼んでいる
- この言葉が指すものも宗派によって差がある
- この状態を言葉で説明するのは難しい
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例えて言うならば、湖の表面が静まりかえっているような状態。
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今まで風が吹いて波が立っていたところを風を止めて、しばらくたつと水面がなめらかになる
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この状態をしばらく続けていると、急に水中から泡が湧き上がってくるかのように、ポコリと言葉や気持ちが湧き上がってくる
- ななぜこの気持ちが湧き上がってきたのだろうということを考えると興味深い
- 普段その思考にならないのはたくさん湧き上がりすぎていて、一つ一つがつぶだって見えないから
- 一旦静かになることによって、湧き上がってきたものに対して注目をすることができるようになる
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例えば唐突に「この前AさんがXって言ってたのは間違いだ。なぜならYだからだ」と言う反論が思いついたりする。
- なぜこれが起きたのかと言うと、無意識にその彼の発言に対して怒りを感じていたからである。
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これは精神の状態が一歩進んでいる。
- それまでは感情と自分が一体のものだった
- 感情が発生しているときは、それが自分自身だったが
- ここでは感情が観察対象に変わった
- 感情とそれを観察する自分と言う2つに分かれている
- これをディソシエイトと言う
- それまでは感情と自分が一体のものだった
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自分から湧き上がってくる感情を対象として観察する
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Q: 瞑想をすると睡眠やパワーナップの効果(注意資源が回復する)はもたらされますか?
- あるいは回復ではなく63a7eb65aff09e0000b11615なのかもしれないですが
- A: 睡眠のようにハードウェア的な機能回復があるわけではないと思う
- 外界からの刺激で「気が散りまくってる」状態から、刺激を減らしていくと「刺激で突き動かされた思考」と「自発的な思考」の比率が変わっていくと思う
- 自分が考えたいと思ってることに対しての思考が増えていく
- これを「注意を向けたいものに向けられるようになった、注意資源が回復した」と解釈する人もいるのだと思う
- 例えて言うなら「いらないアプリを開きすぎてカクカクだった、いらないものを終了したらスムーズに動くようになった」のような感じ
- パソコンの性能は上がったわけではない
「俺は今~~を思いました」「~~の音がしました」 ← こういういわゆるラベリングをしてても別に何も起こらないし
- あー、なるほど、サマタの前段階が必要な人向けのケアね
- 世の中にはすでに強い感情に塗りつぶされてしまってる人がいるわけ
- 極端な例として「明日死んだらどうしよう」と思ってる人を考えてみよう
- その人を情報遮断しても、持ってる感情を再生成して苦しみ続ける
- ずっと「明日死んだらどうしよう」って考え続けちゃう
- サマタ瞑想の状態に入らない
- だからそういう人に対してはまず頭を忙しくするして「今貼りついちゃってる感情を剥がす」ことが必要
- その一つの方法がラベリングだけど、それには限らない
- 例えば意味のわからないお経を唱えるとか、念仏を繰り返し唱えるとか
- これはよく行われてることだよね
- 不安とか恐怖を感じたときに「なまんだぶなまんだぶ…」とかやる
- 例えば、素数を数えても、円周率を唱えても、ポケモン151匹言えるかチャレンジするのでもいい
- 要は有害な思考以外の思考で脳のリソースを奪って有害な思考が行われないようにできればなんでも良い
- ラベリングは、上手くハマってスピーディーにヴィパッサナー瞑想の状態に行く人もいるだろうけど、一般的には難しいんじゃないかな、タスクの内容が複雑すぎる
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- 暗記物を唱えるのは、知識が得られるので有益
- 結果として瞑想状態に入ったら一石二鳥
- 淡々とAnkiをやるとかね
- あと有名なのは数息観ね
- 自分の息を実況中継する
- ラベリングの少し簡単なバージョンといえるかな
- 歩行に意識を向ける
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繊細な感覚に意識を向けていると、まず頭であれこれと考えることが出来なくなります。
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ただ感覚のみが顕わになっていると感じになるのです。
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自我意識が薄らいできます。
- 歩行禅 | 臨済宗大本山 円覚寺
- これも仲間
- 歩行禅 | 臨済宗大本山 円覚寺
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- Q: 剥がれるまで続けるしかない?
- たとえば30分間63a7f0e6aff09e0000b1163aをして剥がしたとしても、やめたらまたひっついてくる感じがある
- 恒久的に剥がれてくれない
- もちろん何もしなくても自然と消えていく(憎悪などガチで強い感情だとそうでもない?)けど、それでも数日くらいはひくことがある。自然消滅を待つのは辛い。さっさと消したい
- 仮に「剥がし行為」と呼ぶことにして、剥がし行為はどういうふうに取り組むのが最適なのだろうか
- 1: 1日10分くらいを毎日
- 2: 1日できるだけ詰め込む
- etc
- 特定の感情が止まらなくて「剥がし」ても戻ってきてしまって、生活に支障がある状態、個人が瞑想でどうにかするのではなく医者のケアが必要な状況
- ブッダの時代には精神科医はいなかった
- 今はいるんだし、状況によっては薬によってコントロールする手段もあるのだから、そういう「難しいケース」は専門家に任せた方がいい
- 生活に支障がないなら「自分はそういう感情にとらわれがちなんだなぁ」と思って、それを一旦当たり前のこととして受け入れてしまう、とか。
- 別に解脱して仏になりたいわけではないし。
- あまり苦しくなく共存できるならそれでいい
- 一般論的には感情を自分と別のものとして「認識」できるようになると「あっ、また戻ってきたねー🤗」「またサヨナラしようねー」的な感じで、その感情のことがスルーされるようになっていって苦しみが減る感じ
- この話題思い出した
- /marshmallow-rm/うつ病の後遺症で、こべりつくような希死念慮が残りました。落ち込むとそれが足に絡みついて、身動きが取れなくなることがあります
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襲ってくる記憶や感情を、意味づけしたりコントロール下に置こうとしない(これやると逆に支配される)、「お前のせいで人生めちゃくちゃだ」などと怒りをぶつけない、
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ただ
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「こんにちは、また会いましたね」
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とだけ挨拶して
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「ちょっと急ぎますので、これで失礼します」
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と別のことに意識を(できれば身体も)移していく感じです。
- あ、そうか、これ/sta/反応するのはやめるだ
- まあこれだけだと63a7e0e3aff09e0000b115e5だが
- 「無になれといわれてなれるものではない」「反応するなといわれてやめれるものではない」
- 確かにその通りで、いきなりそんなことは求められてない
- レベル分けしたらわかりやすい?
- レベル1: 刺激に対して即座に反応する
- レベル2: 刺激に対して反応した後、自分が反応したことに気づく
- レベル3: 刺激に対して反応した後、自分が反応したことと、それを引き起こした刺激に気づく
- この辺ですでに実益がある
- 例えば「Twitterである種の人を見ると怒りが沸くのだなぁ」と気づいたらミュートすればいい
- 「怒りが湧かないようになる」ではなく「原因を遠ざける」「原因から離れる」
- レベル4: 刺激を見た段階で、それが「反応を引き起こすものだ」と気づく
- 自分の場合、レベル1の反応をした後、レベル2~4を発生「させることもできる」という自覚がある
- 高確率で「いや頭では反応すべきではないってわかってるけど、むかつくものはむかつく」となる感じ
- 我慢できない感じ
- 身近だと生活騒音系でよく起きて、隣人にクレーム言いに行ったりしちゃう
- レベル1自体をやめられていないせいなのかしら?
- いや、ミュートするなど行動をして遠ざけよってことか
- 高確率で「いや頭では反応すべきではないってわかってるけど、むかつくものはむかつく」となる感じ
- この話題思い出した
- かなりためになる
- 自分の場合、医者に頼ることを忘れがち(何なら謎の意地で「頼ってなるものか」)+「こういう平常ではない感情は絶対になんとしても取っ払わねばならない!」という謎の信念、の両方がある……
Q: サウナで整うのは瞑想か A: 僕はあんまりやらないけど、サウナと水風呂で緊張させてから外気浴で弛緩させるってのはクンダリーニ瞑想に似たコンセプトだね
- 外気浴でぼんやりしてるところがサマタ状態って意味ね
- 「整った!」は経験してないから知らない
from /sta/サマタ瞑想#63a8f3d979d3a90000876896
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「何も考えていない状態」を「認識する」って無理じゃない?
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認識という行為も「考えること」にはならないか
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- 例えば車のボンネットを洗ってる状況で
- 鳥のフンが付着してることに気がついて(認識して)
- 洗剤を多めにかけて擦ったとする
- この過程で
- A: 特に何も考えてない、静かな心のままの人
- B: 「あっ、鳥のフンがついてるじゃん!」と考えて、すぐまた静かな心に戻る人
- C: 「あっ、鳥のフンがついてるじゃん!ちくしょう!余計な仕事を増やしやがって」と考える人
- の3種類がいる
- Cさんは刺激に反応して「怒り」の感情を呼び起こし、その怒りによってまた怒り…という「ネガティブなことを考え続けるサイクル」に入ってる
- フンを取り終わってもイライラし続けたりする
- まだ背負っているのか なるほど、余計な思考だけを減らすイメージなのですね
- 車を洗う行動をするための思考もカットするのだと思っていた(いやそこもカットしたら車洗えなくない?無意識で洗える達人なの?みたいな)
- 余計な思考だけを減らす 思考を減らすことは目的ではなくて、苦しみを減らすことが目的
- だから「苦しみを生み出してない思考」をなくす必要はない
- それはそうと慣れた作業は思考せずにできるよね
- 歩く時に「えっと、右足を出したから次は左足だな」とやらない的な意味で
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