image 14正解がすでにあるもの みなさんが今受けてる期末試験 大学に入るために受ける入学試験 社会人になってからでも資格試験

image 正解がまだないもの研究大学入って研究します、ってなった時、研究には正解がない15商品開発人生の大部分会社入って商品開発しますってこれも正解がない研究結果は正しいと思って発表するわけだけど、後から間違いがわかったり、もっとよい理論が見つかったりする。商品開発も売れると思って発売するけど、出してみたら売れなかったりする。人生も正しいと思った道を進むわけだけど、それが正しかったのかどうかは死ぬときにしかわからない。

image 16正解と見比べて採点ができない状況で、じゃあ「正しい」って何だ?ということを悩み始めたわけですまあ悩み始めたのは30歳ぐらいになってからで「もっと早く悩んどけよ」って話なんですけど(苦笑)

#真理論

image 17正しさって、大雑把に分けて少なくとも3通りの定義がある・論理的な正しさ・自然科学の正しさ・意思決定の正しさ

image 18 !正しいということに決めた公理正しい公理から 論理的に導出されたこと論理的に正しい手順を組み合わせて純粋数学の正しさ

#基礎づけ主義

image 19 !正しいということになっている教科書の説明教科書での説明から 論理的に導出されたこと数学の証明問題だったら、教科書に書いてあった情報を組み合わせて論理的なギャップなしに証明を構成できたら丸がもらえる試験採点での正しさ

image 20自然科学の正しさ

image 21「実験で確認した!」「…それ証明になってない」100回実験して再現したとしても、101回目に再現するかどうかは論理的には何も言えない。具体的に、例えば100匹鳥を捕まえてきて全部飛ぶ鳥だったとして「鳥は全部飛びますね」って結論づけていいかって言うとそうじゃなくて、「ちょっとペンギン捕まえてこいよ」ってことになる。

image 22そういう理屈で言うと自然科学は正しくないってことになってしまう純粋数学の正しさの定義に従った場合、正しいと主張することはできない。 でも、科学者たちが真実だと思ってるものごとはすべて正しくなかった…なんてことになると科学者たちは困ってしまう、そこで正しさの定義を変えることにした。純粋数学の正しさの定義に従った場合、正しいと主張することはできない

image 23自然科学の正しさ!他人が反証できる主張で現時点で反証されてないをとりあえず正しいと認めて研究を進めましょう。反証されたら、正しくなかったとしましょう。こう正しさの定義を変えたわけです。正しさの定義が純粋数学と異なる

#反証主義

image 24さて意思決定の正しさについて考えてみましょう

image 25具体的な話で言うと「灘に入学する」というあなたの人生の選択は正しかっただろうか?正しかったでしょうか?どう思います?ニヤニヤしている人がいっぱいいますね(笑)

image 26共学に入った方が良かった男子校に入ったのは間違いだった……という可能性大学で工学部に進んだら90人中女性は2人だけで、日常的に全く女性と会話する機会がなく…あれ、もしかして男子校に入ったの間違いだったか?!と思ったりするわけです(笑)

image 27じゃあ、灘に入ったのが正しかったかどうか検証するために入った人生と入らなかった人生の対照実験をしようどっちのほうがより幸せ度が高かったかでどちらが正しいか決めましょう!

image 28ついでに1回の実験では心許ないので何度か繰り返し実験しよう1回ではたまたまかも知れないから10回か20回実験を繰り返して実験しよう!

image 29そういうことは人生ではできません。1回しかタイミングはない。選択肢なかった側の実験結果は得ることができない。今から共学に入った場合の人生がどうであったかはもう検証できない。そんなことできません

image つまり人生における判断の大部分は正しくない少なくとも科学的には正しいと主張することができない。じゃあどうするか?そうするとまあ正しさの定義が別にあるのだろう自然科学の正しさの定義に従った場合、正しいと主張することはできない30

image 31じゃあ意思決定の正しさの定義は?

image と決めるしかないのでは?こういう定義を仮にしたとしましょう。と決めるしかあるまい意思決定の正しさ32色々意見はあるとは思います。現時点で僕が正しいと思っていることを説明するので異論があればアンケート用紙に「自分はこう思う」って書いてください!とった行動の結果が自分の人生にとって有益だったかどうか

image 33そう定義すると、行動の前に正解を知ることができないということが導出されるわけです。行動の前に、その行動が正しいかどうか知ろうとすることが無益である、無益であるということはこの定義からすると正しくない、となるわけです。

image 34また、定義に「自分の人生にとって」が入っているので、正しさが人によって異なる「自分にとっての正しさ」しか存在しないが導出される。ここにいるみんなのうち、灘に入ってよかったと思う人もいるだろうし、後悔する人もいるだろう。それは人によって異なっていて、一般的な正解はない。

image 35行動の前に普遍的に正しい答えを得ようとすると行き詰まるなのについつい正解を求めてしまいがち。例えば気になる女性がいたとして、バラを贈るほうがいいのか、スイーツを贈るほうがいいのか。この喩えだとピンと来ない人が多いか。大学の選択で京大がいいのか東大がいいか、むしろ海外がいいのでは、いやいや大学進学前に1年leaveを取って海外一周とかして社会経験を積んだほうが…などなど。行動の前に正解がない、他人とも正しさが一致しないので意見が役に立たない。