言葉は複雑な現実の細部を無視してシンボルと対応づけることで思考のコストを下げるものなので「何々の本質は何々である」と言葉で表現した場合、それはすべてのモデルは間違っていると同じ意味で常に間違っている。

別の表現。「Xの本質はYである」という主張は、文字通りの意味の客観的事実があることを意味しない。「私はXのYという側面に注目している」という個人の主観の表明に過ぎない。