2019-04-10 日本語は得意なので、わかっていないことでもなんとなく辻褄のあった文章にすることができてしまう。 その結果「わかっていない」という事実に気づく機会を失う。
日本語で書いた文章を、英語に、しかもなるべく難しい語彙を使わずに表現しよう、という活動を3ヶ月ちょいやってきた。
- エンジニアの知的生産術英語化プロジェクト
- その結果、気づいた
- 普段使っている日本語は、難しい語彙を使いすぎている。
例
-
「転職しない=現状維持」ではないで「社内と自分を変える」の部分に共感できるかどうかが分かれ目ではないか。と書いた。
- この「分かれ目」とは何か?
- よくわからない。他の単語やシンプルな英語で説明できない。
- つまり意味を明確にすることができていない。
- この「分かれ目」とは何か?
-
違和感とは何か?これをシンプルな単語で説明できるか?
言語化は、できた時点で意味が明確化できているような勘違いがある。
- しかし意味が明確にならないまま、座りの良い単語が置かれてしまっている文章は存在する。
- 日本語が得意すぎる、つまり脳の中に大量の日本語の例文があることによって、パターンマッチで適当に座りの良い単語を選ぶことができてしまう。
日本語が得意すぎる
- speed of understandingの差
- [/intellitech-en/(4.2.2) Where is the bottleneck?](https://scrapbox.io/intellitech-en/(4.2.2) Where is the bottleneck?)