from Keichobot on ChatGPT LLM以降の世界観

  • gpt.iconこの会話で何がどうなるとよいですか?
  • nishio.iconおぼろげに見えてきた世界観について言葉にしたい
  • gpt.icon具体的に、どのような世界観をイメージしているのでしょうか?その世界観の特徴や要素について教えていただけますか?
  • nishio.iconホモサピエンスは、まず音声によって知識を伝えることを始めた。音声は消えてしまうため、同時刻に同じ場所にいなければ知識の受け渡しができなかったし、受け手の理解能力によって未来に伝えることのできる情報に限界があった。
  • gpt.iconなるほど、音声を使って知識を伝えることの限界について感じているのですね。そうした限界を克服するために、あなたはどのような新たな伝達方法を考えているのでしょうか?また、その方法がどのような特徴を持つと考えていますか?
  • nishio.iconその後、ホモサピエンスは文字を発明した。これは、音声でアウトプットするよりもコストが高かったが、同じ時刻に同じ場所にいなくても情報伝達が可能になった。
  • gpt.iconなるほど、文字によって情報伝達が可能になることで、時間や空間の制約を超えたコミュニケーションが可能になったということですね。あなたにとって、文字がもたらす利点として何があると考えていますか?また、文字による情報伝達のデメリットや制限についてはどのように考えていますか?
  • nishio.icon文字で表現しにくい概念を使った思考が抑制される問題があるが、その話はまた今度。文字による情報伝達は、すでに過去から引き継がれた情報のすべてを一人のホモサピエンスが受け取ることができない状態になっている。
  • gpt.iconなるほど、過去の情報が蓄積されているため、一人の人間がすべての情報を受け取ることは不可能になっているということですね。この状況に対して、あなたはどのように対処したいと考えていますか?また、情報が増えすぎて取捨選択が困難になるという問題についてはどのように考えていますか?
  • nishio.iconそこで検索エンジンが生まれた。ホモサピエンスが読める量以上の文章を読んで知識を蓄え、ホモサピエンスのリクエストに応じて知識を返す。初期の形ではホモサピエンスが入力した文字列を含む文章へのポインターを返すことしかできなかった。それが入出力とも自然言語になったのがこの数年の話。
  • gpt.iconなるほど、検索エンジンが生まれることで、大量の情報の中から必要な情報を簡単に取得できるようになったということですね。現在の自然言語処理による検索エンジンは、入力された自然言語の意図を理解し、適切な情報を返すことができるということですが、あなたにとってこの技術の利点は何だと考えていますか?また、自然言語処理による検索エンジンにはどのような課題があると思いますか?
  • nishio.iconこれを書いてる過程で思いついたことを別のところに書いた。要約すると「まだ言葉になっていないもの」は対象にできないことだ。
  • gpt.iconなるほど、言葉になっていないものについては、検索エンジンでも対象にできないということですね。それに対して、あなたはどのように対処したいと考えていますか?また、言葉になっていないものを言葉にするための方法やアプローチについてはどのように考えていますか?
  • nishio.icon個人的には言語的思考の前に映像的思考がある。シンボリックモデリング的には言語の手前にシンボルの空間があってそれを五感で体験する。同じことだと思う。
  • gpt.iconなるほど、あなたにとっては言語的思考よりも映像的思考が先行しているということですね。また、シンボリックモデリング的には、言語の前にシンボルの空間があって、そこで五感で体験したものが言語化されるということですね。このように、言語以前に五感で体験したものが存在するという考え方について、あなたはどのような意見をお持ちですか?また、映像的思考や五感での体験を言葉にすることの難しさについてはどのように考えていますか?
  • nishio.icon言葉という抽象的なシンボルと具体的な感覚とのリンクを意識的に切ったりつないだりする力がいる。ところが人類史においては活版印刷によって「図の複製コストが高いまま文字の複製コストだけ下がる」という時代が起きた。これによって「主に文字によって伝達する」という表現形式がデファクト化した。これによって主に文字によって思考する癖がついてしまった。
  • gpt.iconなるほど、言葉と具体的な感覚とのリンクを意識的に切り替えることが必要である一方で、活版印刷によって文字の複製コストが下がることで、主に文字によって思考する癖がついてしまったということですね。この状況に対して、あなたはどのような解決策を考えていますか?また、具体的な感覚と言葉のバランスをとるためにはどのような方法があると考えていますか?
  • nishio.icon意識的に、文字を文字のままではなく具体的な感覚や体験に結びつけていくことが必要だと思う。多くの人にとってそれがアンバランスに不足しているから。
  • gpt.iconなるほど、文字を具体的な感覚や体験に結びつけることが重要であるということですね。多くの人にとって、このバランスが不足しているということであり、それを改善するためには、具体的な感覚や体験にアクセスしやすい状況を作ることが必要だと考えているのでしょうか?また、具体的な感覚や体験と文字を結びつけるためにはどのような方法があると考えていますか?
  • nishio.icon抽象的な言葉からスタートすることはできないから、まずは自分の体験を言葉で表現する訓練かなぁ。で、その「仮の言語化」を時間をおいて見返してブラッシュアップする。
  • gpt.iconなるほど、自分自身の体験を言葉で表現する訓練が、具体的な感覚や体験と言葉を結びつけるための第一歩として重要であるということですね。また、仮の言語化を時間をおいて見返し、ブラッシュアップすることで、より正確で表現力のある言葉に仕上げることができると考えているのでしょうか?それとも、別の方法もあると考えていますか?
  • nishio.icon最初に言語化した瞬間にはその表現で十分だと思い込んでいる。時間を置くと作業記憶が消えるので、読み返して「これはわかりにくいな、不十分だな」と気づく。これを繰り返すことで不十分さに気づく力を育てる必要がある。
  • gpt.iconなるほど、最初に言語化した瞬間にはその表現で十分だと思い込んでしまうことがあるため、時間を置いてから読み返すことが必要であるということですね。その際、読み返してみて不十分だと気づくことがあり、それを繰り返すことで不十分さに気づく力を育てる必要があると考えているのでしょうか?また、不十分さに気づく力を育てるためには、どのような方法があると考えていますか?
  • nishio.icon人に読んでもらうのもいいですね。そういう意味では、言語モデルには見せてやりとりするのもいい。僕が以前、機械翻訳で和英と英和をして戻るように日本語を書く練習をしてたのも同じだな。気づき。
  • gpt.iconなるほど、他の人に読んでもらうことや、言語モデルに見せてやりとりすることが、不十分さに気づく力を育てるための良い方法であるということですね。また、機械翻訳のように自分が書いた文章を他の言語に翻訳して戻すことで、文章の不十分さに気づくこともできるということですね。これらの方法を活用することで、より正確で表現力のある言葉を身につけることができると考えているのでしょうか?