2018-08-02

  • kur 最近デザイン思考に関する日本語の情報をいくつか見てるんだけどポストイットの色を使い分けましょうみたいなのあって、マジで?!?!ってなってる。たしかに有効そうだけどそんなの初めて聞いた… kur
  • nishio 僕の「エンジニアの知的生産術」では「色分けめんどくさい、認知負荷を減らすのが目的なので分けてない」って書いてる (p.166 (Column) 表札とふせんの色)
    • 努力しても成果が得られる保証のないタスクに対して、不安だから、重厚長大な儀式を行って「こんなに頑張ったのだから私は悪くない」という方向に走りがちだが、それは正しい方向ではない。成果保証がないからこそむしろコストを削ぎ落として試行錯誤をたくさん行い、結果から学ばねばならない#頑張ったから私は悪くない思考
    • 僕が「俺が考えた最強の儀式」的なものを作るのが嫌いなのは(それをやった方が自分で考えずに儀式に従いたい人は喜ぶことはわかっているのだが)結局儀式が一人歩きしてしまうと思考停止の原因になるから。儀式は思考停止の入り口であって、活用しつつも時に破壊しなければならない
    • nishio これも手法の儀式化の一種
      • taichi オブジェクト指向の呪いは、そもそもが問題解決のためのツールにしか過ぎない技術なのに、延々と理屈だけを積み上げて時間を浪費しがちなことです。設計の良しあしを定量化するのは難しいのですから、いつまでも机上で遊んでないで実装しましょう。

      • この発言に対するコメント:
        • uchan_nos しかしプログラムの高度化に役には立ってるのですよね.オブジェクト指向が無かったら割と世の中辛いと思います.ほどほどの儀式は役に立つということでしょうか.
        • nishio 「方法論」が生まれた時には、それは特定の目的に役に立つために生まれてるんです。しかし普及するに従って目的のことを忘れて、ただ言われた通りの方法論に従っていれば「正しい」と誤認して、盲目的に使う人が出てくる。これを「儀式化」と呼びました。
        • uchan_nos なるほど.あるあるですね.会社のルールもそうですよね.儀式化されても,それが弊害なく目的を達成できている間はいいですが,次第に最初の目的を知っている人がいなくなって儀式だけが残ると危険な状態になりますね.

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