KJ法 渾沌をして語らしめる p.337

  • 葛藤の弁証法の技術化

    • 考える花火で導き出された結論には不思議と従いやすい

    • 次の二ヵ条が不可欠な要件と考えられる。

      • データのコマがそろっていること

      • 全体像が掌握できること。

    • 考える花火では、前者がネットづくりによって、後者が統合図解化

  • ネットづくりは、体の中に内在する矛盾・葛藤を素直に、 しかも綺麗に表現する。すなわち、「体感認識」の外在化であり、 表現である。

  • これに対して統合図解化は、表現された矛盾・葛藤を素直に、しかも綺麗に乗り越える。すなわち、「知的認識」の弁証法的創造である。この両者が運動して考える花火は成立する。 p.338-339

  • 結論に従えるということは、その結論に基づいて私たちが行動を起こすということである。

  • 二層構造の世界について考えてみよう。

    • ネットづくりは体が言葉を創るプロセスであり、 体感認識の世界を構成する。

    • 統合図解化は、言葉が体を創るプロセスであり、知的認識の世界を構成する。

    • 一旦論理的整合性を持つ知的認識が形成されると、その元にある体感認識を形成していた身体は知的認識のレベルに、弁証法のプロセスに乗って移動するのである。

    • すなわち、言葉が体を創るのである。 そして知的認識は、思想としての新たな体感認識となり、創造されたこの体が行動を創るのである。

    • …そして、これによって生まれた行動は、新たな体感認識をもたらし、新たな矛盾・葛藤を胚胎することになるのである。

  • 私たち人間は、日々食物栄養を摂取し、呼吸をして生命体を維持している。と同時に、さまざまな状況の中で判断し、決断し、行動することによって「命」を燃焼させている。ここで述べた体感認識における矛盾・葛藤は、食物や空気とともに、私たちの「命」の生成の源動力であり、智恵と創造の母なのである。だから、考える花火は、矛盾・葛藤に起点をおく「命」の生成プロセスを原理的に内在させているといえる。まさに心のはたらきの表現であり、「心のはたらき」 をそっくりそのまま技術化したものなのである。 しかも、「人間が考えるとはどういうことか」「人間が悩むとはどういうことか」を、実技的に教えている。その意味で、原理的には生命体の思索原理を人間レベルで外在化させた技術なのである。

  • T: 体感認識、って表現良いですね。なるほど体感認識と知的認識

  • N: モヤモヤ悩んでる(体感)なら、まずはそのモヤモヤを紙の上に出せば良い、その後で知的認識で解決すれば良い

  • T: だからホワイトボードが必要なのか