心の問題を掘り下げるのは有害である。 特に工学系の人は問題を掘り下げる思考をしがちである。これは機械やプログラムなどの複雑なシステムにおいて、問題がどこにあるのかを特定することが、その問題を解決するために有益だからだ。工学系の人は過去の経験において「問題を掘り下げることが有益」という経験をしやすいわけだ。うまく機能しない部品を見つけて取り替えることで問題が解決することも多い。
しかし、人間の心は機械でもプログラムでもない。 問題を掘り下げて行って例えば「自分に自信がないことが問題の原因だ」となったとしよう。じゃあ、自信のある心と交換しますね、というわけには行かない。例えば「小学生の時に親がXXしたのが自信がない原因だ」となったとしよう。タイムマシンで過去の出来事を変えることはできない。
心の問題は工学的アプローチで解決できないのだ。
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補足: この話をしていた時に思い浮かべていた具体的なストーリー
- 部下「自信がないんです」
- 上司「なぜ自信がないの?」
- 部下「成功体験がないから..」
- 上司「なぜ成功体験がないの?」
- 部下「私の能力が不足しているから…」
- 上司「なぜ能力が不足しているの?」
- 部下「私がもっと頑張って勉強しないから…」 「なぜなぜ分析」は「なぜ」を繰り返す分析手法だが、それは対象が機械やプログラムなどの「心を持たないシステム」だから可能なのであって、心を持っている人間に対して上記のように「問題」を掘り下げていくとしばしば心を傷つける。
議論 Facebook
- 自分が自分に対して「なぜ自分はこういう反応をしているんだろう」と考えるのは有益な時もあるのではないか
- 「他人の心に対してなぜなぜ分析をするのは有害」とすべきか?
- いや、問題のある心はすでに正しく機能していない
- なので、問題を抱えた人が自分の心に対してなぜなぜ分析をするのも危険
- 「他人の心に対してなぜなぜ分析をするのは有害」とすべきか?