私が一三歳のとき、宗教のすばらしい先生がいた。教室の中を歩きながら、「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこういつた。「今答えられるとは思わない。でも、五〇歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになるよ」 今日でも私は、この 「何によって憶えられたいか」を自らに問い続けている。これは、自らの成長を促す問いである。なぜならば、自らを異なる人物、そうなりうる人物として見るよう仕向けられるからである プロフェッショナルの条件 p.235

私が 一三歳のとき、宗教の先生が 「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなか った。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも五〇になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」といった。 非営利組織の経営 p.219

gpt.iconこの問いは自己認識自己成長のための重要なもので、私たちがどうなりたいのか何を成し遂げたいのかを考えさせます。それはただの質問ではなく、自己を映し出す鏡のようなもので、今の自分と理想の自分との間のギャップを明らかにし、成長する方向を示してくれるのです。 言い換えれば、この問いは人生の道しるべとなり、自分自身を理解し、成長していくための指針となるのです。

ドラッカー