「津波てんでんこ」という言葉があります。津波が来たら、一刻も早く高台へ散り散りに逃げることが求められます。「一人でも逃げろ」という意味で、指示を待つのではなく、自分自身で行動しなければなりません。防災アナウンスを鳴らし、声が届く範囲の人に知らせたらそれで十分であり、話を聞かない人や動かない人に影響されて自分の逃走が遅れてはなりません。
津波の場合、高台へと逃げることがすぐにわかります。しかし、どこに逃げるべきかが分からない状況もあります。
「どこに逃げればいいのか?」その問いに対する一つの例えとして、「遊牧民のたとえ」があります。草が生い茂っている場所はどこかと人に尋ねても、その答えが得られた頃には、草がすでになくなってしまう。進むべき方向が不明確なときでも、どこに留まってはいけないかはわかることがあります。例えば、草がなくなる場所には留まってはいけません。草がある場所の情報が届くのを待つのではなく、自分自身で動き、草のある場所を見つけなければならないのです。それは「自分自身の目で見なければならない」という意味です。
同じように、「他人が価値がないと思っている間に、その価値を見つける」という考え方も重要です。他人がまだその価値を認識していない間に、その価値を見つけ、十年後にはその価値が認められるような仕事を行い、その波に乗って進むべきです。それは、長い時間をかけてポジションを確保し、価値を認めない批評家を排除するという意味でもあります。
--- 2023-07-26 津波てんでんこ
- 「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台へ逃げろ」
- 一人でも逃げろということ⇔指示待ち 防災アナウンスを鳴らした、声の届く範囲の人に声を掛けた、それで十分であり、話を聞かない人や動かない人に関わって自分が逃げるのが遅れてはいけない 議論
- 津波の場合は「高いところ」に逃げれば良いことが既知
- しかしどこに逃げればよいかが不明なタイプの変動もある
- 遊牧民のたとえ
- 「どこが草の生い茂ったところ?」と人に聞いても、そこにたどりつくころには草がなくなっている
- どこを目指して進むべきかわからないときでも、どこに居続けてはいけないかわかることがある
- 留まってはいけない
- 草がなくなる
- 草がある場所の情報が来るのを待ってから移動すると、草はない
- 自分で走って草のある場所を見つけなければならない
- みずからの目で見なければならない
他人が価値がないと思っている間にそこに価値を見出せ