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  • プロローグ

    • 今日求められているものは知識の裏付けのもとに技能を習得し続ける者である。技能の基盤として理論を使えるものは無数に必要とされる。それは技能者というより、技術家、テクノロジストである。若者の中で最も聡明なものにこそ、知識に裏付けられた技能を使うテクノロジストとしての能力を持って欲しい。

    • テクノロジストはマネジメントすることを好まない。むしろそれぞれの世界で技術や科学の仕事をすることを好む。彼らはまた他人の仕事をマネジメントすることも好まない。得意でもない。その結果、テクノロジストでない人がテクノロジストをマネジメントすることが多くなっている。

    • 近代の特質は、技術革命を意図して体系的に行うこと。それを行う社会的機関が近代企業

    • 未知なるものをいかにして体系化するか。モダンの世界観とはデカルトのもの。全体は部分によって規定される。

    • 未知なるものの体系化、未知なるものへの跳躍への方法論、その典型がメンデレーエフによる周期表の発見。彼は既知のものを体系化したわけではない。既知の元素に秩序をもたらすには、いかなる未知のものを想定しなければならないかを考えた。

    • 小児ワクチンの開発もまた未知なるものの体系化にもとづくイノベーションだった

      • どれのこと?
    • かつて変化は破局を意味した。

    • イノベーションにおける変化とは、目的意識を持って方向づけした活動。変化を恐れるプレモダンとも、変化を必然の進歩とするモダンとも違う。これら二つの見方は、変化を人間の力ではいかんともしがたいものとしていた。

    • 秩序とはダイナミックに動く変化そのもの

    • 産業人の役割をイノベーターだと見た最初の経済学者がカール・マルクス、しかし認めてしまったら必然の進歩のコンセプトが壊れてしまう。

      • 「マルクスの歴史観に基づき、成熟した資本主義の社会では、下部構造にさまざまな矛盾や疎外が内包されており、これらの矛盾や疎外を契機として上部構造の変革をドラスティックに推し進める社会革命が必然的にやってくることを予言した」のことかな?
    • イノベーションは天才のヒラメキに代わるものではない。既知なるものの応用と洗練のための体系的な仕事を不要にするものでもない。これらの力を倍化する。

    • フレミングのヒラメキによってペニシリンの殺菌力が発見された。ワックスマンによる未知なるものの体系化によって、生物現象についての理解と抗生物質による治療というイノベーションが生まれた。その間に10年を要した。しかしそのイノベーションの後は、抗生物質の体系的な発見とその効用、副作用の理論的な解明が可能になった。

    • セルマン・ワクスマン - Wikipedia「Waksman’s team discovered several antibiotics, including actinomycin, clavacin, streptothricin, streptomycin, grisein, neomycin, fradicin, candicidin, candidin, and others.」

      • アイザック・アシモフの科学と発見の年表によれば、フレミングが例の有名な方法でペニシリンを発見したのが1928年、11年放置されて1939年にフローリーとチェインによって有効成分の単離がなされ(この3人は1945年ノーベル医学生理学賞)、同年デュポスにより土中の細菌も似たようなものを作ってるんじゃないかという研究からチロトリシンが発見され、翌1940年にその手法を大々的に使ってワクスマンがアクチノマイシンとストレプトマイシンを発見、その後もたくさんの抗生物質を発見し、それらのものに「抗生物質」という名前も与えた、という流れらしい。
  • テクノロジストは機械的な人工物が道具だとしがち。それは狭義に過ぎる。言語をはじめとする抽象的なコンセプトも道具である。 p.21

  • 機械的な人工物だけでなく抽象的なコンセプトも道具である

  • (かつて)科学は哲学の一分野であり、目的は知識の完成であった。それを利用することはプラトンの有名な主張にあるように科学の濫用であり、科学の墜落であった。これにたいし技術は利用に焦点を合わせていた。目的は人間の能力向上にあった。 P.46

  • (1720年)サウスシーバブル事件の時代には特許は独占として攻撃されていた。ワットが特許をえた1769年には技術の進歩を推し進める手段として認識されていた P.47

  • 1780年ごろ: はじめての農業大学設立

  • 1751年: 百科全書

  • 1841年: ユストゥス・フォン・リービッヒによる化学肥料の発明

  • 1776年、初めての鉱山大学設立。蒸気機関の使用の増加による現場監督の技術訓練ニーズの高まりが理由の一つ P.49

    • 教訓として忘れてはならない。当時医学と呼ばれていたものはすでに敬意を払われる存在となっており、医学だけは18世紀にそのような転換を遂げるに至らなかった。 P.50
  • 1840年、産褥熱の原因が伝統的な医療方法にあることを発見したイグナーツ・ゼンメルワイスは追放された P.51

  • 誰もがIT革命ほど進行が速く、大きな影響を与えたものはないと思っている。しかしかつての産業革命も同様に速く、大きな影響を与えた P.56

  • (ポール・ジョンソンによれば)奴隷制の復活をもたらしたものは蒸気機関を手にした繊維産業だった。低コスト労働への需要の爆発的な増加により、奴隷の繁殖が最も高収益の産業となった P.57

  • 1829年、鉄道の発明

  • 競争はもはやローカルたりえず、あらゆる企業がグローバル化せざるを得ない。eコマースの時代においてローカルな存在はありえない。どこで販売するか、いかに販売するかは今は重要であってもあと20年もすれば意味を持たなくなる P.61

  • IT革命からいかなる新産業、社会制度、社会機関が生まれるかは分からない。1520年当時やがて世俗的な本が出現することなど誰も予想しなかった。1820年当時電報や写真や公衆衛生の出現を予測したものもいなかった。