今回のお題は「楽しいとは何か?」です。
- 楽しいことに没頭している時、リアルタイムには「楽しい」とは感じておらず、事後的に「楽しかった」になるのでは?
- 事前に発生する「楽しみ」という気持ちは別のものなのでは?
- 楽しいとは何か
- 「最近この実験に関して楽しそうにしてる」どこを見て楽しそうだと思った?
- ここ1〜2週間は圧倒的に西尾さんからの「こういうことをしたい」が増えた、「乗り気」になっている
- 第三者は乗り気を観測したことによって相手の内面が「楽しい」だと推測している
- 能動的に活動してるのを見て「楽しそう」
- 「楽しい」が大事だっていう時、他人から見て「楽しそう」かは重要ではない、本人が自分自身のことを考えて「楽しい」のが大事
- 西尾さんはこの2週間「楽しい」と感じてた?
- 「楽しい」とは思ってなかった
- 楽しい、面白い、乗り気、はリアルタイムで本人が観測できない
- 「本人がどう思うかが大事」も間違ってない、一見矛盾的な二つの話が混ざっている
- 他人が指摘しないと「楽しい」とわからない
- 他人が、というわけではない。
- 「楽しみな予定」「楽しみにしている」は自覚的
- 未来だね
- 遠足の前日は楽しみにしてるが、当日は一旦離れる
- より具体的な「あんな花がある!」「蝶が飛んでる!」が頭の中を占める
- 大阪の謎解き、やってる最中に「わあ、これ楽しい」と思った
- 思ったきっかけはなんだったんですか?
- よく考えられた工作パズルがあって、それをやってる時に楽しいと思った
- やってる最中に楽しさに気づく時もあるという反例
- 長時間だった、時間関係あるのかな
- 長時間ずっと楽しさを自覚してたわけではなく、ふっと楽しいと思った瞬間があったという話でしたよね、本人の自覚してないトリガーがあったんじゃないかなと思うが。
- ゲームしてる最中に楽しさを感じることはあるが、リアルタイムストラテジーでバリバリ戦ってる最中に楽しいと思う余裕はない
- 楽しさを感じるには余裕が必要
- 運動会の部活、引退した後に楽しかったなと思う
- 「人生楽しい方がいい」が大前提だが「楽しい」を観測するのが行為が終わった後だとすると、いかにして人生を楽しくするかはすごく難しい問題なのでは
- 未来に楽しみな予定があるのは、今楽しくはない。楽しかったは事前には観測できない、憂鬱だったりすることもある。楽しみな予定は事前にも「楽しみ」であって憂鬱ではない。
- 楽しみな予定が終わった後、本当に「楽しかった」になるのかな?
- 「楽しかった」にはなるが、ちょっと質が違いそう
この後の話
- 「楽しみ」と「楽しそう」も違うものでは?
- 「面白そう」と「面白み」は?
事前の考察と方針
- 今回の方針:
- 「面白いの概念」について
- その場にいない第三者をケアしないで、
- 可能な限り早くラリーを始める
- 前回はその場にいない第三者への解説を口頭でやってしまったのが「卓球のラリー」的状態への移行を妨げた、それを明示的に禁止する
- 開始時点のテーマを事前に共有する
- これはラリーへの移行をスムーズにする
- 動画の公開時に「このテーマについての10分間の会話です」と書ける
- 見る人が「なんかよくわからないものを見せられる」ではなく、事前に何が話されるか把握できる
- 見る人の受け止めやすさが向上する
- 見る人が「なんかよくわからないものを見せられる」ではなく、事前に何が話されるか把握できる
- 「面白い」をテーマにする予定だったが、開始までの時間に「最近楽しそう」という会話をしたせいで間違えて「楽しい」をテーマにしてしまった
- まあ、害はない
- 派生的なお題
- 決断力は自分の感情にフォーカスする訓練によって培われる
- これの「感情にフォーカスする」の「感情」に「面白い」が含まれる、と、この時点で明示的に書いている。なので「面白いとは何かを掘り下げよう」って案ともシナジーがある
- 「感情にフォーカスする」と「ちゃんと主観する」はほぼ同じ意味で使っているような気がしますね
- 僕は違いがあるように感じる
- 「嘘とは?」
- これがどうつながるか西尾はまだピンと来ていない
- 決断力は自分の感情にフォーカスする訓練によって培われる