philomyu 朝日新聞の記事に「エビデンスに殴られている」って表現あったらしいんですけど、どっちかというと「これまでちょくちょく『お気持ち』で殴ってた人が最近エビデンスの守り固くなって手をケガするようになってる」とかそういう状況の方が近いんじゃないかな、という気がする。

philomyu たぶん同じような感じで「コンプライアンスで殴られている」みたいに被害者感情持っている人も世の中にいるんじゃないかという気がするんですけど、あれも「これまでハラスメントで殴ってた人が最近コンプライアンスの守り固くなって手をケガするようになってる」のだと思う。

shioshio38 エビデンスで殴るという表現を見て各国のジャーナリストが何を重視するかの調査を思い出した。 水島六郎氏によると日本のジャーナリストは、

「事実をありのままに伝える」がトップでないのはこの中で(中露も含めて)日本だけ。 「政治的アジェンダを設定する」をジャーナリズムの重要な仕事と考えている率が異様に突出。 「客観的な観察者であること」「人々が意見を表明できるようにすること」に重要性を感じている率が低い。

日本のジャーナリストは、「客観的な観察者であること」に重要性を感じている率が低いという話と繋がるのかも知れない。 image

shioshio38 客観的な観察者であることを軽視する態度と、エビデンスで殴るという表現は通底するのではないか?