yuiseki_ 前から考えてたことなんだけど今ならハッキリと言える。『あたたが、「自分」というアイデンティティを確たる「中心」として維持しながらも、どこまで、その「自分」というアイデンティティを、薄めながら、その範囲を広げられるか?』←この能力が知的産業におけるその人の生み出せる価値の限界になる

yuiseki_ 『一人の人間が、すべての意志の代弁者になることはできない。「」にでもならない限りは……』

yuiseki_ 『自分が広がって薄まってそこに他人が混ざってくる』というのは、コミュニケーションの本質だけれども、『自分が薄まってそれまでとは違う自分になってしまうんじゃないか、果てには自分が消えてしまうんじゃないか」という恐怖』こそが、知的生産における最大のストレスで、

yuiseki_ 最近の私は国連のおかげで「お前中東や南アフリカで紛争に巻き込まれてる市民の前でもそれ言えるの?」という状況と向き合っているので、だいぶ「器」として広まっていると思う。一方で、私は生きている限り逃れられない性的マイノリティでもあるので、自分を見失うことも絶対にできないんだな、これが

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