本日の西尾家 僕「雨の中出掛けたくないけど行かなきゃいけない」 妻「行かなくてもよい。『お腹が爆発したので欠席します』とメッセージ送ればよい。『お腹が頭痛です』でもよい」 僕「なるほど!」
- つまり「行かなければいけない」はポリシー制約であって、交渉によって変えることができる!
- 「行かなければいけない」から行くのではなく、「行くのも行かないのも僕の選択だが、どちらを選ぶか?」と考えた結果、行くことにした笑
僕「雨の中出掛けたくないー」 立川「今からあなたにしてもらうゲームは雨に当たるとヒットポイントが削られるゲームです。 雨から身を守る方法はあなたが自由に考え、実行することができます。 目的地までのルートですらあなたの自由です。身の回りにあるもので道具をクラフトすることもできます。
さあ、お出かけに行きましょう。」
- クラフトの方法を少し考えて面倒だったので大きめの傘をさして普通に出掛けました笑
- まず、漠然とした抽象概念としての「雨の中を出かける」に対してネガティブな感情が発生していた
- それが、手段自由なゲームであると再定義されたことで「多種多様な選択肢から自分が選択するもの」に変わった
- 段ボールの巨大傘とか、足に装着するアーマーとかを10秒くらい考えて「いや、普通の傘でいいや」という結論になった笑
要するに「やる気」を出すことに「選択肢があること」が大事なのでは
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(立川) 「選択肢は無い。やるしかない」という状況を作り出すことも有用ではありませんか?
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「やらなければ死ぬ」くらいの状況が必要では
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で、面白さは何によって生まれてくるのか
- それが選択肢ではないか
- 例のボドゲも、最初はバランスが良くなかったので選択肢が実質的になかった
- コマンドを発動することもしないことも選べたが、発動しない方が得なケースがなかったので実質的に選択肢がなかった
- あれ?今回のも実質的には選択肢がないぞ?