「Xは何か?」という質問がウイルス的な有害なミームである可能性について
ある現象Pについて「なぜそうなのか?」と問うこと ある現象Pについて別の理想Iに近づけたい「どうすればできる?」と問うこと どちらも現象を対象にしている
「何?」という問いはシンボルに対して行われる
- 現象による検証ができない
関連
具体例
- 「理解とは何か?」
- これを考えることがあまり有益でない可能性がある
- 「理解」という抽象的なシンボルに対して「頭で考え」て「理解とはXYZである」みたいなシンボル間関係を作り出すことは有益でない可能性がある
- 有益さが少ないが、常に無益とまではいかない
- シンボルが結合しあったネットワークが生まれることによって、それをたどって現象と結合する確率が上がる
- 根なし草、水面に浮かぶ水草、大きく育っても根がないので川の流れに押し流されていくが、それでも大きな塊であった方が杭に引っかかりやすい
- シンボルが結合しあったネットワークが生まれることによって、それをたどって現象と結合する確率が上がる
- 有益さが少ないが、常に無益とまではいかない
- 「理解とは何か?」の代わりに「理解はどのようなプロセスで起こるのか」「理解はどうすれば起こすことができるか」と問う
- 前者をwhyと呼んだが、これ「なぜ」は曖昧だな。